維新までの日本人には天皇朝廷はどういうものか知られてなかった(三条実美・三条家文書)し、
そもそもが国としての意識は薄く、移住が原則禁止され百姓は土地に縛られ藩の領民としての意識しか持てないようになっていた

>>909
封建体制での正当性って、結局、力づくの弱肉強食、勝者の総取りで、勝てば官軍負ければ賊軍

もし、幕府がフランスの申し出を受諾してフランス陸軍と幕府連合軍が、薩長反乱軍と英国海軍連合軍と江戸で市街地戦に突入していたら…
江戸城から南側は瓦礫の山になった一方で、江戸湾からの艦砲射撃には限りがあるから白兵戦では仏幕軍が優位に進め、薩長英軍を返り討ちにしていた可能性が高い
その際、錦の御旗などなんの効果もないのは明らか

妄想はともかく、日本の植民地化または権益確保を狙っている英国と密約を結んで(英国の真意とその危険を知りつつ、なおも倒幕を優先)資金と最新兵器の供与をうけていた薩長軍には外患誘致の非難を受けることはあっても、官軍などと名乗る資格は無かった

もっとも、官軍とか討幕の密勅とか有り難そうなものも天皇が自発的に出したものではなく、薩長が岩倉ら薩長のスパイ役の京都貴族に働きかけて出させたもの