「なんでもかんでも、大陸から渡来した。」というのがシナ人や朝鮮半島人の言い分だが、・・・

近現代において日本に渡来してる漢族、朝鮮族は、縄文人を皆殺しした残額、冷酷な家系気質・遺伝子を
もった末裔らである。


https://www.youtube.com/watch?v=wEVMcuVOyDo

日本人固有の遺伝子とさる縄文人の遺伝子(Y染色体D1b)は、シナ大陸や朝鮮半島では見つからない。
古代において絶滅させられた(皆殺しされた)からである。縄文人の遺伝子に最も近い遺伝子を
持っているのが、チベット族だが、「先住民」である縄文人の遺伝子を持った「日本族」は、日本列島の全般に
高濃度で分布している。(沖縄50%前後、本土:35%以上、北海道:35%以上、アイヌ:80%)
縄文人遺伝子の次に多くみられるのが、水耕稲作を伝えた「弥生人」と言われる百越系(揚子江流域から渡来、
Y染色体O1b2[O-47z]),朝鮮族はO1b2[XO-47z]の人たち。次は漢族(Y染色体O2)の三大人種である。
厳密には少数人種を含めると日本人の持つY染色体遺伝子は九種ある。
古代において日本に渡来した百越族や漢族は、本国での戦乱や政変に嫌気をさしたり亡命や避難してきた
人たちで、本国に居残った人たちに比して、「権力闘争が嫌い(悪く言うとお人よし。」な、温厚、柔和な気質の家系だったと思われ、
先住民である縄文人と多少の諍いはあったが、シナ大陸や朝鮮半島に侵入して縄文人を皆殺し、土地を奪って
支配した人たちのような残虐、冷酷な気質とは違っていた。古代渡来人たちは、先住民である縄文人と融和し、
世界でもまれな、先住民メジャー国家である日本の礎を築いた。先住民も後世渡来人たちも、どちらも
「お人よし。」の気質だったが、とにかくそうして、「大和」の民となった。

(筑紫:とは「君子がくつろげる国を築いた。」という意味である。
参照(『宋書』楽志「白紵舞歌」、「東造扶桑游紫庭 西至崑崙戯曽城」 (東、扶桑に造りて紫庭に
游び、西、昆崙に至りて曾城に戯る。原文の「崑崙」は山へん付である。紫庭とは君子の裏庭みたいな場所で
君子がくつろげる場所という意味。)