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ネット右翼の「思想的苗床」となった『戦争論』を再検証する
ネット右翼十五年史(3)1998年夏 古谷 経衡 2017.10.3

クラウゼヴィッツの同名書を知らなかった無垢の私とて、
やおら直情的に『戦争論』を読んで天啓を受け、保守思想に目覚めたわけではない。
その前史として、1980年代後半から世紀を跨ぐまで、この国では「架空戦記」が密かなブームとなっていた
その筋書きは「敗北するはずの日本海軍が連合軍に快勝する」というモノがほとんどである。
当時、「日本の戦争大義は正しかった」などとは、口が裂けても言い出せない時代状況であった。
1993年の河野談話。続いて1995年村山談話発表。
1994年の細川政権瓦解を受けて急遽発足した羽田孜内閣において、法務大臣を務めた永野茂門は、
毎日新聞の記者に対し「南京大虐殺はでっち上げだと思う」と発言したことを契機に、法相を事実上罷免された。
そんな架空戦記の薫陶を受けていたいっぷう風変わりな少年たる私は、SFや架空といった迂遠な枕詞を置かず、
正面から「日本の戦争大義は正しかった」と漫画の中で主張する
くだんの『戦争論』に良い意味で衝撃を受けたクチであった。
しかし小林の『戦争論』刊行から20年弱が過ぎ、改めて同書を再読してみると、
当時の私、即ち高校生の私に「良い意味での精神的ショック」を与えた同書の内容は、
すでに当時の保守論壇で使い古されていた陳腐な歴史観の漫画化に過ぎない、
という厳然たる事実を認めざるを得ない。