暴力をふるったとして相撲や評論家や学校の先生などが引退や逮捕や懲戒免職になっているとい
うニュースが日々起こっているが、昭和の人間からすると喧嘩や暴力は日常的なイベント程度の
ものであったため、これらの動きには違和感を感じる。

それぞれの案件事に見ていかなければいけないとは思うが、概ね報道されている限りにおいては
暴力を受けた側はすり傷程度である。片や訴えられた方は仕事を失って社会的信用も失墜させら
れ復帰さえも危ぶまれてほとんど人生を終わらされており、罪に対する罰があまりにも重すぎて
いてバランスを欠いていると思う。

精神的被害もあろうかと思うが、それについては殴った側も指導的立場が多い事から、善悪や道
徳等の公共性からくる責任感的言い分があった可能性が高いという点も無視されてはいけないと
思う。

暴力はいけないとキャッチフレーズ的に決めつけてしまえば次は暴言はいけないとなっていくだ
ろう。単純にいけない事を決めたり、ましてや法律化などしてしまえば、言論封殺など人間の自
由度を奪っていく事になる。社会的禁止事項を増やしていく事は庶民の手足が縛られ、権力者に
とって都合のいい社会に誘導させられるという点を危惧すべきだと思う。

また今日本で一番悲惨なのは職を奪われている男達だと思う。女性や子供に対して貧困対策が取
られているが、男も日本社会にとって必要な構成要員であるにも関わらず、一方的に実質解雇さ
れる非正規雇用の拡大であったり、就業引きこもりが54万人も見つかってきている事などから
も、成人男性から仕事を奪って日本を潰していくという策略が行われていると思う。

日本経済というか日本そのものの衰退や劣化は、格差の拡大によって大多数の日本人の立場や富
が奪われている事が大きいと思う。その原因はアメリカからの数々の断れない内政干渉であり、
言論規制や非正規労働の拡大等であるのだから、日本はアメリカ占領下から脱却する必要があり
、そのためには外国の基地などという暗殺拠点である事が疑われる在日米軍基地は撤去して、自
分の国は自分で守るために自主核武装するしかないと思う。