南出がオカシイのは、
そもそも法とは何かを考えるときに、根本的な部分で別の法(国体)を持ち出してるところがオカシイですよ。
だったら、なぜ国体が”法”だと言えるのかまで深く考えてない。

国体は法であるから”法”、せいぜいにそれを裏付ける話は、昔の人はそう言った!と言ってるだけで、
なぜ、今もそのように思わなければならないとかいった事も考えてない。

法哲学の分野は、哲学と隣接する学問なんだから、哲学の素養がないと話しにならないわけ。
南出は一切、そうした素養が無い。

無理な話だよ。。。