748 名前:( ○´ー` ○)はカワイイ ◆2.r4M.pJ.RBR [] 投稿日:2010/12/27(月) 09:54:49 ID:ofnFATya [1/12]
>>746
>国民の合意を得ていない。

七三条の改正手続で成立したという理論上の矛盾を説明する最も適切な学説として大要
次のような趣旨の宮沢俊義の八月革命説を挙げることができる。

 1 明治憲法七三条の改正規定によって、明治憲法の基本原理である天皇主権主義と
真向から対立する国民主権主義を定めることは、たしかに法的には不可能である。
 2 しかし、ポツダム宣言は国民主権主義をとることを要求しているので、
ポツダム宣言を受諾した段階で、明治憲法の天皇主権は否定されるとともに国民主権が
成立し、日本の政治体制の根本原理となったと解さなければならない。つまり、
ポツダム宣言の受諾によって法的に一種の革命があったとみることができる。
 3 もっとも、この革命によって明治憲法が廃止されたわけではない。
その根本建前が変わった結果として、憲法の条文はそのままでも、その意味は、
新しい建前に抵触する限り重要な変更をこうむったと解さなければならない。たとえば、
明治憲法七三条については、議員も改正の発案権を有するようになったこと、議会の
修正権には制限はなくなったこと、天皇の裁可と貴族院の議決は実質的な拘束力を
失ったこと、国体を変えることは許されないという制限は消滅したこと、を認めなければ
ならない。
 4 したがって、日本国憲法は、実質的には、明治憲法の改正としてではなく、新たに
成立した国民主権主義に基づいて、国民が制定した民定憲法である。ただ、七三条による
改正という手続きをとることによって明治憲法との間に形式的な継続性もたせることは
実際上は便宜で適当であった。

 以上の八月革命説には有力な批判もあるが、この説の説くように、日本本国憲法は、
国民自身が自らの憲法制定権力に基づいて新たに制定したものである、と解するのが
妥当であろう。そう解すれば、明治憲法七三条は.「便宜借用」されたにとどまり、
その手続きによる改正という形式をとったからといって、明治憲法から日本国憲法への
連続性が確保されると考えることは、法的には不可能だと言うほかはない。
(芦部信喜「憲法」29-32頁)