樞密院は 天皇の最高顧問府として 天皇を輔弼する爲に創立された機關たる縡は明治廿一年十八日の敕令(第廿三號)に――

「朕元勳及び練達の人を選み、國務を諮詢し、其の啓沃の力に倚るに必要を察し、樞密院を設け、
朕が至高顧問の府となさんとす云々」

―― とある聖旨に依りて自ら明白である。
併し樞密院創設の直接の目的は全く帝國憲法及び附屬草案の審議にあつた。
其は開院式の敕語の一節に――

「朕前に閣臣に命じて起草せしむ所の皇室典範及び憲法の案を以て樞密院に下し詢議に付す。
(略)
其の他重要の法律敕令にして憲法と關係を有する者更に相續きて院議にくださんとす云々」

―― たる御言葉にて自ら明瞭であらう。
 斯くて明治廿一年四月廿八日、樞密院官制は發せられた。

 明かに上諭、第七十三條、同第七十五條、樞密院官制第六條違反である。