現代の社会科学や構造主義以後の後植民地主義的思想の中で、
民族という前近代的分類の可能性は厳密な意味で否定されている。
全ての人は特有の文化を個人について持つが、この習慣は必然の物ではない。
しかも或る慣習は常に変化し、民族性と言われている偏見の実態は無実である。

文明と野蛮という民族主義的分類も多文化主義や文化多元主義の主張以後、否定されてきた。
或る民族という分類が厳密に不可能である限り、実在しない或る民族の文化を優劣で語る態度も単なる主観的偏見に過ぎないからだ。