吉田裕「昭和天皇の終戦史」

序 実は、わたし自身は占領期の日米関係というまったく別の観点から、この「独白録」に注目した。
…八九年にアメリカに留学して東京裁判関係の在米資料を調査した時の経験から、
従来の東京裁判論とはことなる新しい見方が必要であると強く感じるようになっていた…
在米留学中のわたしの日課は、
ワシントンDCの国立公文書館に通って国際検察局(IPS)の資料に目を通すことだった。
直接の関心は、戦犯容疑者の尋問調書である。これは一九七〇年代半ばに初めて公開されたもので、
栗屋憲太郎氏の先駆的業績を別にすれば、これを使った本格的な歴史研究はいまだに存在しない。
…この調書を調査する中で、大きなショックを覚えた…
それは、多くの日本人容疑者が尋問に対してきわめて協力的だっただけでなく、
日本が戦ったあの戦争をいささかも弁護することなしに、逆に日本を破滅に導いた戦争責任者として、
特定の人物を名指しにさえしていたからである。
そこには、明らかに集団としての隠された意図のようなものが感じられた。
日本側関係者の東京裁判への積極的協力は何を意味するのか。
日本対アメリカという対立の構図だけで東京裁判をみること自体に、何か無理はないか。
…東京裁判を「文明の裁き」とか「勝者の裁判」とか一方的に断罪するまえに、
そこに日本側の「政治の論理」がいかに介在しているのかを具体的に明らかにすること…