■ドイツは60年も前に改憲し軍隊をもったのに
野党がこれほど無力な国は、先進国では珍しい。その原因は1946年に占領軍が日本に憲法を押しつけ、第9条で武装解除したからだ。
それ自体は占領統治の一環として当然で、西ドイツも1949年の基本法(憲法)で軍備を放棄した。

このころ、野党が「平和主義」を掲げたのも、西ドイツも日本も同じだったが、その後が違った。
西ドイツのアデナウアー首相は1955年にNATO(北大西洋条約機構)に加盟。56年には基本法(憲法)を改正して再軍備した。
ところが、日本は、1951年に、吉田首相が講和条約とセットで「憲法を改正して再軍備するよう」アメリカから求められたが拒否した。
彼は「国力が回復してから憲法を改正すればよい」と考えたようだが、その後、自民党は、発議に必要な両院の3分の2を一度も取れなかった。

それでも野党が協力すれば、憲法改正は可能だった。西ドイツでは社会民主党(SPD)が東西の緊張の激化の中で空想的平和主義を撤回。
基本法の改正に賛成した。日本でも社会党の中に憲法改正派がいたが、50年代の「全面講和」論争で護憲に傾いた。
 最大の岐路は60年安保だった。各地で米軍基地反対闘争が盛り上がり「安保条約を破棄せよ」という極左派(全学連)の勢いが強くなり、
大規模なデモが国会を包囲して、岸首相を退陣に追い込んだ。これが西ドイツと日本の分かれ道だった。

西ドイツは再軍備し、アメリカの核兵器をドイツ空軍機が搭載できる「核の共有」で実質的に核武装した。
日本は「憲法の制約」がいつまでも残り、核武装はおろか「核持ち込み」さえ許されなかった。(2018/1/19 Japan Business Press)