>>655

丸山の西欧的な人間像は、以下のような考えのもとで解体されました。


○ 現代思想における人間が抱える認識ついて 

ニーチェによって示されることになった、意味無き世界で、自分を自分を乗り越えるという考え方は、
その後、サルトルの実存主義に引き継がれ、人間の主体的な決定の中に、
世界というのものが規定されていくといった考え方が広まるようになった。
この考え方は、進歩主義を自称する左翼の知識人や、マルクス主義に傾倒する学生に多いに受け入れられることになり、
「革命」といった、自らによって作り出す歴史の重要性を認識するようになった。

しかし、こうした考え方に対し、人間とは誰しもが、社会の中で主体的な存在ではない居られない。
人間とは、あらゆる認識や基本的なパターンが無意識レベルで外部の構造によって規定されており、
そこから抜け出すことができないような”弱い存在”であると主張する構造主義の考え方が登場するようになった。
実存主義vs構造主義間における論争は、サルトルがニーチェ以前の悪しき近代の代表と同じような見られるようになり、
構造主義的な理解が、その後における現代思想を席巻するようことになった。

ちなみに、オウム真理教信者には理系のエリートが多かった。
頭が良すぎる故に、自分の頭で考え選択した事に対し責任と確信を持ちすぎた結果、
自分が選んだ考え方からは、いつまでたっても離れることができずに、結果としてオウム真理教にのめり込む状況を生んだ。
これは上記における、実存主義にはまった60年代安保の左翼の人間に見られた傾向だ。
人間は、そのような主体的で強い存在ではないという自覚のもとに、例え自分の考えであろうと、
いつも疑って生きることは重要である事が示唆されたと言える。