二・二六事件の悲劇は、方式として北一輝を採用しつつ、理念として国体を戴いた、その折衷性にあった。
挫折の真の原因がここにあったということは、同時に、彼らの挫折の真の美しさを語るものである。
この矛盾と自己撞着のうちに、彼らはついに、自己のうちの最高最美のものを汚しえなかったからである。
それを汚していれば、あるいは多少の成功を見たかもしれないが、
何ものにもまして大切な純潔のために、彼らは自らの手で自らを滅ぼした。
この純潔こそ、彼らの信じた国体なのである。
そして国体とは?私は当時の国体論のいくつかに目を通したが、曖昧模糊としてつかみがたく、
北一輝の国体“論”否定にもそれなりの理由があるのを知りつつ、一方、
「国体」そのものは、誰の心にも、明々白々炳乎として在った、という逆説的現象に興味を抱いた。
思うに、一億国民の心の一つ一つに国体があり、国体は一億種あるのである。
軍人には軍人の国体があり、それが軍人精神と呼ばれ、
二・二六事件蹶起将校の「国体」とは、この軍人精神の純粋培養されたものであった。