憲法の優劣は其處に書き示されてある規定内容の如何によつて決まるのでは無く、内容が其の國家の歴史的傳統から生え拔きの者であるか否かによつて決まるのである。
其だから憲法制定亦は改正の仕事は如何にしたら抽象的に見て、優秀善美で闡Rするところが無いやうな者を書き上げるかと云ふ縡では無く、
如何にしたら無理をせずに納得づくで、其の國家民生の傳統に即應した制度を作るか、否、如何にしたら内在する國民的規範意識を「發見」し、
之を實定的制度として「顯彰」し、更には時宜に即應して、之を「紹述」するかと云ふ縡である。
 かう云ふ道理であるから、若し一國を再起不能の程度に迄弱體化しようとする縡が憲法制定亦は變更の主眼であるならば、
何を措いても、先づ其の國獨特の傳統的規範・制度を一掃する縡から始めねばならない縡は勿論である。
其處で求められる者は自由と統一とを兩立させるやうな眞の優秀な憲法では無くて、自由と平和との美名の下に、
無政府的混亂か亦は「專制と隸從」「恐怖と窮乏」の地獄に陥れる必要があるからである。

「現憲法無效論―憲法恢弘の法理― 」著井上孚麿、昭和五十年發行