○ 物事を認識するときは、、「主観に」「私的に」行なわれてるというのは、誰もが必ず従っているルール

手元にある本の中で色々調べていたら、反天が議論してる内容について、ストレートに触れてるものがあったので、その内容を紹介します。
現代思想のコミュニケーション的転回 第4章の冒頭(P115)に書かれてる内容で、アーベルという哲学が述べたコミュニケーションの基本的枠組みを箇条書きにして、
わかりやすく説明したものです。以下内容以前にはその論拠となるような事例も書かれていますが、長くなるので省きます。興味があるようなら読んでください。

(波線は私が付したものです)----------------

1.私達は自分の内部に構築された論理に従う。
2.私達はある共同体が採用してる論理を自分のもとして採用している。
3.私達はその論理の体系の中で、整合性を兼ね備えた帰結や結論を得ようとする。

この3つのルールとも、「主観に」「私的に」行なわれてるということがとても重要です。
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私達は、これからの3つのルールに従ってるのですが、それが他の人が「主観的に」従ってるものと食い違うことがあります。
というよりも、食い違うことのほうが当たり前であると言えるでしょう。

繰り返しになりますが、これは誰もが必ず従ってるルールです。逆に言えばこれは、従わないという状態を想定できないもので、
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その意味では、ルールというよりも基本的な原理と言ったほうがよいかもしれません。
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アーベルはこのような「基本的ルール」を、知識の根本的基礎付けに援用できると考えたわけです。