>>866
>>「世界は反戦の意識を共有している時代」とは、>>858>>859の認識と真逆

既に述べているように、こちらの大前提は「公の場で宣言できる論理でなければ価値はない」というものです。
右翼や改憲派の説く、様々な論拠・妄想が果たして公の場で説けるようなものか甚だ疑問です。
「858、859の認識」が「中国が攻めてくる」という滑稽な妄想のようなものでしかない現実、
意味も価値もないのです。

>>弱肉強食の現実から目を背けた

こちらは別に弱肉強食を否定する気はないのです。
所詮、ヒトの幸せなんて「誰かに勝つこと」「誰かよりも優位に立つこと」で得る感覚なのが現実ですから、
争う意識・精神までは否定できません(こんな所で、論争したり、他人の綴った言葉にケチつけに人が集ま
るのも、他者を論破して優越感むさぼりたい衝動からでしょう)。

しかし、「どんな分野の技術・能力が必要・重要か?」なんて、その人間の立ち位置・状況・環境や時代・
国柄で変わるものですから、「特定の何かの専門能力」を備えたところで、あらゆる社会・時代に対応できる
はずもなく、ヒトは自分以外の誰かに依存して生きていく事は逃れられません。

あなたは自分で野菜を作る必要がない、パンを焼く必要もない、家具を作る必要もない。
別の人間が作った素晴らしい野菜やパンや家具を買えばいい。

「何かの専門家である他人に依存して生きていくのが前提の社会」ができてる現実。
それが「誰もが他者を尊重している社会」の証。

それが容認できない人間であれば、「人間の価値は等しいなんておかしい」って考える「地位や身分で
ヒトを支配するのが理想」という人間でしょう。