>>313
薩長土は天皇機関説で天皇を玉扱いし、要するに政権簒奪の道具にしていたが、
徳川や東日本各地は、水戸学や平田学派の影響下で神格化した天皇へ目的論的に侍従していた。
会津・桑名・奥羽越列藩同盟側は、幼帝を偽り政権簒奪の挙に出た薩長討伐を主張した。

この両者を見比べて大正天皇が薩摩の島津家と婚姻し、
更に大久保利通の末孫である麻生家や長州閥安倍家とも親族となるなど、
天皇自身は保身の為に有力政治家や大財閥と平気で婚姻すると分かる。
他方、秋篠宮の母方は会津藩士であり、
悠仁親王は明治で敵対した島津・会津両側の血統をもつことになった。

天皇は薩長も会津も単に天皇の保身のために利用しているとわかる。