>>93 ID:V1rrDspp
・唯一の同盟国のドイツも降伏が間近になり、日本も戦局が完全に連合国軍に対して劣勢となったこともあり、
 重臣の大半が和平工作に奔走していく中で、東條のみが徹底抗戦を徹底して主張し重臣の中で孤立していた。

・1945年(昭和20年)2月26日には、天皇に対し「知識階級の敗戦必至論はまこと遺憾であります」と徹底抗戦を上奏

・終戦工作の進展に関してはその一切に批判的姿勢を崩さなかった

・東條はかつて「勤皇には狭義と広義二種類がある。狭義は君命にこれ従い、和平せよとの勅命があれば直ちに従う。広
 義は国家永遠のことを考え、たとえ勅命があっても、まず諌め、度々諫言しても聴許されねば、陛下を強制しても初心
 を断行する。私は後者をとる」と部内訓示していた

https://ja.wikipedia.org/wiki/東條英機)

たとえば東條に関してはこんな記述がございますねぇ。戦争を続けるか否かの意思決定に関わっていたわけですねぇ。
特に4番目。「天皇を無理強いしてでも戦争を続ける」という意思表明。すごいですね。
ま、最後の最後にはこの意思は翻るわけですが。