言論の自由は絶対である。それこそが自由を守り全ての権利の源泉なのだ。
右(ネチズム)からも左(コミュニズム)からも自由と権利を守るものなのだ。
全体主義は必ず言論統制・言論弾圧を行い人間の権利を奪っていくものなのだ。
ヘイトスピーチ対策法など全く論外である。間違いがあれば自由に反論すればいいだけなのだ。
アメリカの最高裁判所はそのスピーチが「切迫した無法な行為を誘発したり生産し、そのような行為を
誘発する可能性がある」場合を除き、ヘイト発言を罰することはできないとしています。
ポリティカル・コレクトネスは行き過ぎだフリー・スピーチこそ重要なのだ
これを放置した場合、真実の自己を秘密の私的領域に押し込め誰にも明かさず表面だけはリベラル的な
理想像を装う生活態度を人々に奨励し人々に忠誠心の「演技」を要求し、もし正直に不服従を「表現」する
者がいれば厳しい制裁を加えるという(まるでソヴィエト社会だ)この偽装社会は社会全体に広がり
秘密主義と欺瞞が生き残りの為の必須の戦術となり秘密と欺瞞の上に成り立つタイプの社会と人間が
出現するのだ。これは多文化主義者どもの言論弾圧に過ぎない。言論の自由は信仰であるべきなのだ。