>>741
>・歴史的背景:日本史と天皇は建国以来密接に関わっており民族統合の象徴的な地位である。

事実と言えるのは、「本史と天皇は建国以来密接に関わっており」の部分まで。
「民族統合の象徴的な地位だ」と考えるかどうかは個人の主観。

>・多数決的背景:日本人の約80%が天皇は象徴でよいと考えている。

逆に言えば、少数多数の逆転が起きれば、天皇は「日本の象徴」の座から追放されるわけです。
つまり普遍的なモノではないと。

>鳩が平和の象徴だと言う概念が既に存在しているからその式典とやらに登場するんです。

「概念として存在している」と「社会が採用している」は違うのです。
社会が採用しなかったら、鳩は『その社会における平和の象徴』ではなくなるのです。


>>742
>平和の式典には平和の象徴が使われるのが当たり前。

つまりその社会においては鳩は平和の象徴であって、戦神の象徴ではないってことでしょうに。
ってことは、「社会にとっての象徴」は、多数決によって変化し得る、と。

>なぜ象徴という言葉に対して敵意と言えるような表現を織り交ぜるのですか?

鳩をいくら守っても平和にはならない。鳩をいくら嫌っているからと言って、「反平和主義者」にはならない。
平和のために必要なことは、争いの種を生まぬ努力や相手を尊重して互いに譲歩する努力などであって、「鳩を守ること」ではない。
つまり、「AはBの象徴である」と言ったところで、AはBにとって重要な存在ではないのです。
重要な存在ではないから、「しょせん、その程度のモノ」と言っているだけ。
これに敵意を感じるのはあなたの受け取り方の問題、あなたの主観の問題。あなたの主観で敵意、敵意って吠えられても・・・・・・