前スレ>938
>君曰くの主張内容の誤認があったとしても、説明自体はしたんだけどね…

わたしの書いた文章それ自体に対しては何も説明してませんが。

>「個人的には、天皇は国民統合の象徴じゃない」と言った場合
>「個人的には」は「国民統合の象徴」じゃなく「じゃない」にかかる。
>よって「私の個人的な国民統合の象徴は天皇じゃない」等のことを言いたいのであれば
>上記の表現は間違い。

こんなこと、副詞だナンだという以前の問題です。「語順」の問題です。
「水曜日はゴミの日ではありません」と「ゴミの日は水曜日ではありません」の違いです。
どちらの場合でも、水曜日にゴミを出せば怒られます。「水曜日」に視点を向けた場合、言っている内容は同じなのです。

「天皇と象徴」の場合も同様です。言っている内容はほぼ同じなのです。
「象徴として、他の候補の存在が前提になっているか否か」という違いしかないのです。
「他の候補のことを言いたいのかどうか」という視点まで含めれば違いを明確にする必要がありますが、
他の候補の話などしていない、「天皇」に視点を向けているだけだという場合には「どっちの表現でもいい」のです。

>「国民統合の象徴か否か」は事実認定であって、主観の及ぶものじゃないのよ。

長い前置きも、結論が違うので無意味でしたね。ご苦労様。

事実認定は「憲法では、天皇は国民統合の象徴か否か」なのです。
「個人的主観的に、天皇が国民統合の象徴的な存在だと考えるか否か」は事実認定の範囲外。

言論の自由も一緒。「日本国憲法では、言論の自由が保障されている」というのが事実認定。
「個人的に、言論の自由が保障されていると考えるか」となると、それは個人の考え方次第。
猥褻な文章には年齢制限や出版制限があったり、何かと「自主規制」が掲げられたりする現実を見て
「ホントに保障されてんのか?」と疑問に思う人だっているでしょう。