★太平記、卷第十六、正成兄弟討死(の)事、七生報國

「―― 正成正季又取つて返して此の勢にかゝり、懸けては打違へて死(ころ)し、懸け入つては組んで落ち、
三時が閧ノ十六度迄鬪ひけるに、其の勢次第々々に滅びて、後は僅かに七十三騎にぞ成りにける。
此の勢にても打破つて落ちば落つべかりつるを、楠京を出でしより、世の中の事、今は是迄と思ふ所存有りければ、
一足も引かず戰つて、機已(すで)に疲れければ、湊河の北に當つて、在家の一村有りける中へ走り入つて、
腹を切らん爲に鎧を脱いで我が身を見るに、斬創(きりきず)十一箇所までぞ負ひたりける。
此の外七十二人の者共も皆五箇所、三箇所の創(きず)を被らぬ者は無かりけり。
楠が一族十三人、手の者六十餘人、六間の客殿に二行に竝居て、念佛十返(ぺん)計(ばか)り同音に唱へて、一度に腹をぞ切つたりける。
正成座上に居つゝ、舍弟の正季に向かつて、
「抑最期の一念に依つて、善惡の生を引くといへり。九界の閧ノ何か御邊の願(ひ)なる」
と問ひければ、正季から/\と打笑ひて、
「七生まで唯同じ人閧ノ生まれて、朝敵を滅ぼさばやとこそ存じ候へ」
と申しければ、正成よに嬉しげなる氣色にて、
「罪業深き惡念なれども、我も斯樣に思ふ也。いざさらば同じく生を替へて、此の本懷を達せん」
と契つて、兄弟共に刺違へて、同じ枕に伏しにけり。