>>501
> ルソーの批判は別として、社会契約による国家運営は様々な国で行われているのは事実だよね。

美濃部達吉博士曰く――

―― 「國家が如何にして發生するかの問題は自然法學者の好んで論じたる問題にして、彼等は國家が一の法律現象たるの結果として、
其の起源に於ても、必ず一の法律行爲に基づくものなるべからずと爲し、而して國家の起源を以て、國民の契約に在りと爲せり。
是則ち所謂『民約説』にして、第十八世紀の後半期に至る迄、普く人心を支配したる學説なり。
彼等は人は其の天然に於て絶對の自由を享有することを以て、其の前提と爲す。
此等の絶對の自由を有する人類が共同生活を爲すの必要の爲、互に契約を以て國家團體を組織し、
其の天然の自由の一部を割て、國權に服從することを承諾したるものと爲すなり。
 『民約説』が全然誤謬の前提に基づくものにして、歴史上の事實」としても、「論理上の推論」としても、
國家の起源を此の如き契約に歸するを得ざることは今日に於ては何人も疑はざるものなり。
人は其の天然に於て、絶對の自由を有するものに非ず。
共同生活は人生の天然の要求なり。
國家團體は此の天然の要求に依り、其の自然の發達に依り發生したるものにして、契約は之に必要なるものに非ず」。