「我等が皇國といふのは、萬世一系の
天皇を絶對の中心として、其の組織を成長發展してゐる國家といふことである。我等は 
皇室中心主義の國家とは稱しない。何となれば主義は多くは相對的のものたることを意味し、
其に反對の主義の對立することを許容したり、時勢によつて其の主義の變遷することを承認したりすることを意味するからである。
それで私はかゝる意味の主義以上に、
皇室を絶對の中心とする國家、永遠に其の他の體制を立てることを許さない國家として、皇國といふ語を用ひるのである。
そして其の
皇室を絶對の中心とする組織は、單に人爲的に設定したものでない。
成長發展としたところの自然のもの、即ち天成の國體たることを意味するのである。
人爲的に設定したものは人爲的に改定することが出來ることもあらう、併し自然の成長發展であるから、
それが人爲的の紛更を許さない絶對のものたるのである。
固より國家の體制は、如何なるものといへども、一面の人の意志を加へて之を存續發展せしめて行かなければならぬけれども、
我が國體は其の自然の成長を本として、其の發展を贊翼すべきものとなつてゐるのである。
我が國の建國といふのも其である。」

「建國の拐~と建國史觀」亙理章三カ著 第二編 建國の拐~及び歴史の研究と概觀