>>53
我々が一体何を信じているのかということこそが根本的な問題なのかもしれない。
何かが地下で信じられて増えていくというのはおそらくカルト宗教という意味でしょ?
少数派で熱狂的だという意味ではなくて、反社会的という意味におけるカルト。政治結社ならセクト。
反社会的(相対的にということになるのだろうね)であるから地下でということになる。

対して、我々は一体何なのだろうか。無宗教者なのか特定宗教者なのか、
しかし世俗的国民の一員として相対的に他社の信教の自由を尊重するというなら、
それは如何なる価値観に基づくものになるのか。
科学によってオカルトを廃することには大いに賛同するところではあるが、
可謬性を重視する科学が客観的に自然現象を読み解こうとする一方で、
科学は価値観を根源的に支えてくれるものではない。
周辺的事実の支えと未来予測の強い力は価値観に多大なる影響を及ぼすとは言え、
広範な社会性の何たるかとなれば、これは歴史に問われる伝統の中にしか見出すことはできないのではないか
(異端であることはそも伝統を参照してのことであろう)。

歴史は一度きりであるという。その歴史が一体何を証明するというのか。
歴史の物語性と歴史であっても実験的思考が可能であるとする広義における社会科学の体系と、
いずれにせよそこに紡がれる価値観に自分自信が当事者として如何に与するのかという視点が、
客観との対峙において問われるのであろう。由来は変化するものだとしても、個人の人生の範疇においてさえ
価値の担保もままならぬなら、果たしてカルトは何方の彼岸なるやその基準をどこに求むのか。