>>840
言ってみるなら、ホラ
「ココはサーカス。
 猫が9匹います。犬が1匹います。
 皆さんご存じピエロの山田さんが箱の中に動物を1匹入れました。
 さて、箱の中にいるのは犬でしょうか猫でしょうか?」ってお話さ。

君のように「分からない!」で思考停止するのも自由だし、
「どーせ猫だろ」「猫しかあの箱入らんし」「いや! 山田さんは猫アレルギー……犬だ!」
「猫や犬では当たり前すぎる。ココはサーカス……コブラぐらい出してくるはず!」等々考えるも良し。
全ての感想は自由さ。

唯一テントからつまみ出されるかも知れない不自由な人は
「箱は空いてない! データはない! お前らの話は決めつけだ!
 判断材料はない以外の見解は認めない!
 『分からない』以外の見解は認めないいいいい!」と喚く人だけ。
君はそこまで愚かじゃあない。
だから、>>839>>840は客観的事実ではなく、ピロリ君個人の主観のまとめだし
「箱の中身は分からない。でも何が入ってるか推測するのは自由」は分かってるはず。
そうだろう?

敢えて付け加えるなら二つ。

一つは、「箱の中は猫じゃね?」という見解を否定したいなら
「箱は空いてないだろ! 決めつけだ! 主観だ!」と喚いても意味がない。
不明なものにどんな見積もりが立つかの話だからね。
「いや、犬の可能性こそ高いぞ(共産主義者は少ないはずだ)」等の意見こそが価値を持つ。
もちろん、それはそれで流儀ではないというなら、君は「分からない」で止まっていれば良い。
民衆は勝手に箱の中を推測し、勝手に当否を得るものさ。

二つ目は、君たちは箱の中身を変えられると言うことさ。
……共産主義に拠らない廃止論と、共産圏批判へのヒステリックな反応の自重、期待しているよ。