>>924
>(1) 戦中の軍部等を「天皇バンザイ主義者」と評するのは、そもそも事実でも何でもなく、ピロリ君の「主観」。

東条英機の、歴史に残る見事な「天皇陛下、万歳」は、もはや神の領域。
それ以外にも、天皇の顔写真や肖像を児童生徒よりも優先して守れという方針を打ち出したり。
あと、宮城遥拝ね。特に第二次世界大戦中には、天皇へ忠誠を誓わせて日本国民の戦意高揚を図る目的で盛んに行なわれました。
皇居の方向に向かって敬礼する行為で、日本国民に天皇への忠誠を誓わせる行為の一つ。

見事な「天皇陛下万歳主義者」たちですね。

>(2) 事実でも取捨選択次第で、別の側面を持つ事実を突きつけられる=反論されるし、

「事実を述べる自由がわたしにはある」を否定するわけではない、と。そりゃ、そうですよね。

>(3) おかしい評価におかしいというのも言論の自由

「その事実から天皇をどう評価するかは個人の自由」を否定するわけではない、と。そりゃ、そうですよね。

>(4) ピロリ君は危険を口実に危険とした要素以外を排除しようとしている。

わたしは危険だと認識しているから「廃止の動機」にしているのです。これそこが、「相手の“心”をデッチ上げる」という行為。

>(5) 天皇制廃止が理念に抵触しないとする根拠無し。

憲法の前文には「国民が達成するべき理念」がいくつか挙げられています。
天皇制の護持はその「理念」として挙げられていないばかりか、前文中に「天皇」という言葉はただの一度も出てきません。
よって、天皇制の護持は日本国憲法が謳う「日本国の理念」ではないのです。廃止しても抵触はしませんね。
逆に、憲法が天皇制の護持を日本国の理念としているとすれば、何が根拠になりますかね?