第一次世界大戦の後
広がる普選運動を遮る様に
枢密院議長だった清浦奎吾の超然内閣が発足するが
逆に普選運動に拍車をかける形となり
政党内閣の結成、普通選挙の実施を公約に掲げた加藤高明内閣が成立し
1925年(大正14年)普通選挙法が制定される
しかし五・一五事件により
後継首相に元海軍大将の斎藤実が奏薦され
「大正デモクラシー」と呼ばれる政党政治の芽生えは早々に終わりを告げる
そして政党政治を好まない者達により
臣民に天皇主権、天皇の神格化を再確認させる形となったのが
天皇機関説事件以降の流れではないでしょうか