>>61
 「法律の留保」には二義あり、一、法律に本づく行政、二、人權制約の法律主義である。
一は本來の法治主義の意味であるから問題は無いが、御前さんの云つてゐるのは二の問題である。
而して其の批判として「法律に據つて幾らでも制約が出來るから人權保障が弱い」とする。
此れ等の批判の多くは國民主權論者から多く主張されるが、國民主權からすると議會で制定される法律も亦國民主權に悖る筈は無いのであつて、
法律に對する懷疑は國民主權の懷疑となつて自らに跳返り、大きな矛楯を來す縡となる。
寧ろ人權事項の詳細に就いて法律で定められないとすれば、當然行政裁量等が擴大し、いきなり行政處分に因る人權侵害が生まれる縡に對して無力である。
 固より「公共のnΕは條文の何處にも具體的定義は記載されてをらず、迚も抽象的概念である。
一義的に其の内容が確定せる者では無いから、かう云ふ一般原理に對する解釋は他の國家機關に委ねざるをえなくなる。
其の國家機關が國の立法機關である時は「法律」に據つて具體的解釋がなされる縡になるから結局法律の留保と同じであり、
國の立法機關に公共のnモ委任する縡にもなる。
更には其丈に留まらず、行政機關及び地方機關に迄其の解釋權を賦與して仕舞ひ、法律に據る縡無く、
行政機關等が獨自に憲法解釋をして行政處分を行ひ、之に因つて人權規制が可能となる。
最終的には司法機關が其の適否を判斷するも、國の立法機關以外に依つて規制する縡も積極的に認めようとするのが此の公共のnモフ正體である。