>>418
 而して>>292の内容は其の儘此處に引繼がれる。

そして「利益衡量論」で用ゐられる「漠然性の故に無效の理論」「合憲性推定排除の理論」、「精~的自由権の優越的地位の理論(Thornhill Doctrine)」、「擧證責任轉換の理論」、
「明白かつ現在の危険(clear and present danger)の理論」、「事前抑制排除の理論」、「表現と行動の分離の理論」、「より制限的でない他の選びうる手段(Less Restrictive Alternative)の基準(LRA基準)」などは、
占領憲法ならではの基準であつて、帝國憲法とは無縁のものであるかが如く喧傳するが、實はさうではない。
これらの基準は個別的な人權侵害を事後的に救濟する司法の機能のみに委ねるだけではなく、一般人が何らかの行爲するに際して、
何が許されるのかを明示し(ホワイト・リスト)、何が許されないのかを明示すること(ブラック・リスト)によつて、
一般人をして不測の事態を回避させるために、「法律」を制定するための必要なものなのである。
これによつて、法律にも依らずに行政機關などによる恣意的な規制を排除することができるのである。
それゆゑ、帝國憲法の「法律の留保」の規制方式の方が占領憲法の「公共の福祉」の規制方式よりも格段に人權保障が厚いことは明らかなのであつて、
これらの基準は、帝國憲法においてこそ、その眞價が發揮されることになるのである。
ましてや、占領憲法の人權條項といふのは、あくまでも國家と國民との關係であつて、國民相互間(私人相互間)での弱者に對する權利侵害については直接に憲法の適用がなく、
民法の權利濫用、信義則、公序良俗などの一般條項(第一條、第九十條)を經由して間接的にしか適用がないとする間接效力説が一般であることからして、
實質的に人權が保障されうる範圍が極めて限定されてゐるので、この種の議論をすることの實益が乏しい。

國體護持總論より