>>433 続き
>>384
アメリカにおいて対日占領政策が決定していく過程では、多方面からの占領統治計画が検討されており、アメリカ軍は沖縄占領という経緯もあって、軍独自の占領方針が先んじていた
マッカーサーが上記の「降伏後ニ於ケル米国ノ初期対日方針」の要旨を受け取ったのは1945年8月29日、厚木到着の前日であり内容を検討する時間のないまま、9月2日、降伏文書調印の夕方に、軍としてかねて準備のあった直接軍政や軍票の使用を定めた三布告が、不用意にも出される事態となった。
この件については日本側から、終戦連絡中央事務局長官の岡崎勝男同局の横浜事務局長の鈴木九萬、そして外務大臣の重光葵がポツダム宣言に反すると主張し、館山などごく一部で施行されたもののすぐに撤回されている。

敗戦した大日本帝国においても、占領統治を検討し方針を定めたアメリカ側においても、ポツダム宣言により占領統治が間接統治となることは共有されていたんだよ