>>62
>手をあわせているジジババがそこにいた

だから、廃止したらそのジジババはどうなるのか、という話
「別にどうもならない」のであれば、結局は現在においても「慰問は糞の役にも立っていない」ということである

>無制限にそうだとしたら、刑罰を科すこと自体がもはや違憲となる

死刑囚であっても病気になれば医師は一般人の患者と同様に全力で治療にあたり、刑務官による囚人虐待も許されない
人を殺して有期刑で済み、刑期を終えて出所した者を自分の正義感で殺害すれば、そいつも「殺人罪」に問われることになる
つまり「命の重みは平等」なのである

>→公共の福祉(に反するかどうか)

「公共の福祉に反する“行為”を許さない」と「許されざることをした者の命の重さをどう考えるか」は別
「そいつのしたことは公共の福祉に反するかどうか」と「そいつの命を重んじることは公共の福祉に反するかどうか」は別
「公共の福祉に反する行為をした者の命は軽んじて良い」など、まさに「自分の主観で命の軽重をつける」である

>大事なことなので復唱してみた

自分の主観で人の命に軽重をつけるのは、『相模原障害者施設殺傷事件』の実行犯と同類である
「誰の命も平等」であるからこそ、このような動機で多数を殺傷した者を、この社会は許さないのである
キミのその考えは、「正義の御旗さえ掲げれば、他者の命を軽んじて良い」につながるものなのである

>天皇自身は出向いてないが、金一封は贈られているね

大事なのは「天皇の慰問」ではなく「経済支援」であるということである

>制度をなくすこと自体はともかく、その時どうするかについて全く語られていない

「天皇は何の役に立っているのか」という話をしているからである
制度を廃止した後どうするか、現行制度の代替案として何があるか、とはまた別の話