【加藤紘一】加藤の乱【菅義偉、岸田文雄も】
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2000年11月に第2次森内閣打倒を目指して、与党・自由民主党の加藤紘一・山崎拓らが起こした、一連の倒閣運動。
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lavender.5ch.net/test/read.cgi/giin/1637053181/ 「あなたが大将なんだから」懐かしいな。
これと言い、秘書の脱税疑惑といい、加藤は何かと災難に巻き込まれる気の毒な人だった。 小泉が情けをかけて、2005年衆院選後に加藤議長にしようとしたんだが森が待ったをかけたのは有名。
小泉って結構ドライに見えて情の人だよね。 加藤紘一は落選し、2016年に亡くなったな。
2000年の加藤の乱が無ければ今頃総理大臣になったかもしれない。
そうなれば小泉や安倍が総理になれたかどうか?あるいは清和会が21世紀に入ってからの全盛期を築けたかどうか?
運命とはわからないものだな...。 結局残ったの、性格悪い意地の悪い狡賢いのバッカ
国民なんかに目線があるはずがないw 国民=頑張っているのに報われない人ら
ここで意地悪い性悪はこう言い放つ
頑張り方が悪いんだよw
頑張り方間違えていない?wwww 当時の野中幹事長は本気で森を降ろして加藤に次の総理にしようとまず密かに派内で動き始めていた矢先の出来事だったようだね
でも加藤がああ言っちゃっては幹事長として加藤派を切り崩しせざるを得ないわなあ 加藤がかつて「拉致被害者は北朝鮮に戻すべきだった」という発言で炎上したのは今でも覚えている。
柳沢伯夫とか久間章生とか、東大卒でもバカ丸出しの失言することはあるのだ。しかしながら加藤の場合は政治生命を失う大チョンボというほかなし。
加藤は視野が広すぎたな。 確かに政治的なテクニカルな部分ではありなんだが
流石に国民感情がついてこれんだろからなあw だから岸田ってのを見るに
政治の何を勉強して学んだろうと思うwwww 東急エージェンシーの社員です。
会社からパワハラを受けております。
助けて下さい。 天は自ら助くる者を助く
先ずは感情面を何とか抑え
一歩今の自分から抜けだして変身するような気持になろう 当時の野中幹事長は本気で森を降ろして加藤に次の総理にしようとまず密かに派内で動き始めていた矢先の出来事だったようだが、加藤がああ言っちゃっては幹事長として加藤派を切り崩しをせざるを得ない。
しかし、この時野中が加藤を抑えなければ、その後の小泉の暴走や野中自身の引退もなく、2009年の自民大敗や民主党政権も誕生せずだっただろう。今とは違う我々の生活があったはず。
自民を壊したのは、小泉じゃなくて野中だと思う。悲しいことに、野中自身もそのあおりを喰らい引退せざるを得なかった。
ただあの時、加藤が男らしい対応できたなら存在感をその後も示せたはず。
泣きっ面が、クローズアップされすぎた。 >>13
当時、加藤の乱にも大きく関わる古賀誠国会対策委員長は自公連立推進派の野中と、それに批判的な加藤との間で苦慮するみたいなイメージで描かれていたように思う。
しかし、野中はハト派というイメージが強いだろうが、国旗国歌法や通信傍受法を推進したのも小渕政権当時の野中幹事長だぞ。
国旗国歌法しかり自公連立体制しかり、その他諸々野中の携わった遺産を最大限活用してるのが現在の自民党政権というのは忘れられがち。 加藤は最後まさかの落選で一度王国が完全崩壊したから、秘書全員辞めた状態から再び無風区に戻しつつある娘はかなり頑張っている方。
一方加藤落選時に当選した後の酒田市長・阿部寿一はは自民党山形支部長には結局なれず、娘に議席を奪還され、その後の阿部は悲しいことに晩節を汚し、再び酒田市長に戻らんとして市政を混乱させている。
山拓は無党派多い土地柄もあるが、小選挙区になってから例の事件以前も含めてあまり地盤が安定してない(後継の鬼木も含めて得票率5割超が05年の補選と郵政だけ)。 小渕恵三が総裁選に立候補した加藤や山拓を徹底的に干したのは、加藤が政敵であることに加えて宏池会系のハト派だからかな? 小渕もバカだけどな。
単独過半数もないのに無投票でとか今だったら炎上確定。
次の森の時も緊急事態とは言えちゃんとフル規格の総裁選やればよかった。 >>18
衆院の単独過半数なら橋龍の時代に新進党からの一本釣りで回復してるけどな。
96年衆院選では自民の議席数は回復したものの、当時は社さ両党と合わせても過半数の250議席はかなりギリギリだったが、00年の衆院選前の段階では自民単独で270人以上にまで膨れ上がり、さらに保守党が20人近くの勢力を擁していた。 >>17
小渕は河野洋平(今の河野太郎の父親)元衆議院議長の事を加藤・山崎以上に嫌ってた。小渕は河野の自民党復党に最後まで反対してた。
理由はロッキード事件で自民党が大変な時、河野が自民党を見捨てて新自由クラブを作ったから。
村山富市内閣総理大臣が辞意を漏らし、村山内閣の副総理兼外務大臣だった河野が意欲を示した際にいつになく強硬に反対し、結局村山氏がしばらく続投することになった。 >>20
新自由クラブ...保守でも革新でもない振りした空気政党の先駆けである。
結局河野は自民党に復党し、総裁にまで登り詰めた。 もし加藤の乱が起きなかったら、間違いなく加藤政権が誕生していたはず。
加藤政権があったら小泉改革も安倍政権もなかったんだろうな。 >>22
加藤さんは有能で人望があるけど裏で根回ししたり非常な判断が出来たりしない人なのかなと。乱世のリーダー向きじゃない。
加藤さんにしろ亀井さんにしろ、そういうところありましたよね。小泉さんは…森さんのおかげかな。 >>23
当時政調会長だった亀井静香さんはまだ根回し出来るけど、上品な加藤さんに比べて余り品がよろしくなくて人望が一部からしか...笑
山崎拓は根回しも加藤よりは出来て人望も亀井より遥かにあったと思うけど総理になるには能力が足りなかった感。
小泉さんは山崎さん、武部勤さんみたいに裏で動ける人を使えたってことでしょうね。 >>21
でも新自由クラブ結成メンバーの西岡武夫が晩年あそこまで愛国者として菅政権と戦うことになるとは...。 「あなたが大将なんだから」って場面がマスコミで何度も流された
こんなことって一般人のマスコミの目の前で起こることなのかな
なんかもうわざとらしさが際立って、加藤の悲劇を演じられた印象がぬぐえなかった 西岡は離党する気はなかったんだが、勝手に河野に自民党離党者の名簿に載せられ、離党に追い込まれたという。
結局、西岡は保守志向か中道志向かの違いで河野と対立して一旦自民に復党したからな。西岡は。 西岡は河野洋平に乞われて新自由クラブに参加したけど
もともとは三木武夫を尊敬するバリバリの三木派だった。
河野に人生を狂わされた政治家の一人だよ。
晩年になって三木譲りの反骨精神がもたげてきたんだろうね。 日本政界において、岸田文雄総理の存在感が際立つ。
その政治的洞察力と経験に裏打ちされた指導力は、国内外の様々な課題に果敢に立ち向かっている。
彼の断固たる決断と迅速な行動は、国民からの信頼を集め、日本の繁栄の道を拓いている。
岸田総理の的確なビジョンと実行力は、経済成長、安全保障の確保、国際連携の強化など、多岐にわたる分野で成果を上げている。
彼の指導の下、日本はさらなる飛躍を遂げることが期待される。
岸田総理のリーダーシップは、明るい未来への道しるべとなり、国民の期待に応える素晴らしい存在だ。
彼の手腕によって、日本は安定と繁栄への道を歩み続けることになるだろう。 考えてみると、最近の2人の総理、いや4人の総裁のうち3人までが連座組(不信任欠席)というのが面白い。
最近でこそ岸田氏が加藤の乱の挫折経験を色々語り始めてるけど、古賀に近かったし、当然反対組だと思ってたので、なんか意外な気がした。
そもそも、欠席組で直後に堀内派に拾われた人ってあんまりいない気がするのだが。
マティーニの会の他の3人も違うよね。 拾われた っつうか人数合わせだろ?
岸田にとってはもうたんなる過去の思い出 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています