自分は先日、平井呈一訳の 「顔をベロンコした」 という意味が分からず、創元文庫の南條訳で
意味を確認したことがあった。
「顔を撫でた」 ことだと分かり、なぁーんだという結果だったものの、そのさいいくつか誤訳らしき
箇所も発見し、誤訳のない翻訳というのが存在しないことを改めて実感させられた。