まぁ、ラ板の方へ書いたことの焼き直しだが。
最初に特殊な前提とて、ボーイミーツガールを通した自意識の告発は作者の手癖である。

まず2050年の特異点を超えたAIに対する対応の仕方のSFとしてみた場合。
SFである以上サイエンスの手法に則りMateials & MethodsそしてResultに分解して考える。
すると見えてくるのは現状でAIに取り組んだり、付き合い方を模索している人達の延長が存在しない。
現在の延長との対比として作者の手癖を対比するのは最低限のM&Mである。これをこなしていない。
つまり、当然入れるべきM&Mをオミットしており、しかもその根拠が無い。
「お前ら存在不要な糞。俺様の手癖だけが人類の終焉を乗り越える」と根拠無く言っている事になる。
人として論外だし、M&Mが不備であるのでResultも意味が無くなる(所謂リジェクト)。
その上で>>101が言うように言い切っただけで、不備なM&Mで綺麗に求めたResultとすら言い難い。

逆に作者の手癖がAIに対して有効になってしまうのはどのような状況か? というSFと考えた場合。
この考えの下では周囲の環境(人類)の方が対象となる。
>>108が言うように結末では人類はハザードを乗り切っている事を先に考えよう。
一般意思でも集合知でもいいが、ああいったもので人類は高度な判断を高い精度で行う。
これが人類がハザードを乗り越える為のツールである。
但し、これは「個々人が独立して判断し、何かに動員されて流されない」条件下の話。
そこで翻って本編を見てみれば、これはAIに限らず人を誘導する話である。
それはアナログハックのみならず、レイシアスタイルの受け入れへ人を誘導したい会社、セキュリティホールとしての経済、
抗体ネットワークと都合よく使いたい上層部など人類流されまくり前提の世界観。つまり機能するはずが無い。
が、何故か主人公の終盤の決断に対してだけは都合よく人類が流されずに機能を発揮する奇跡が起きる。
作者の手癖が必要となるように人類に粗大ゴミである事を要求し、その上で都合よく奇跡を起させている。
>>106が言うように人を物扱いしてはいけない。物扱いした上都合の良い奇跡だけ起こせはもっと良くない。
少なくとも一貫性の問題として割とたちの悪いものじゃないだろうか?