ごめん、最後一つ送り損ねてたみたい。
>>247
>これこそ多様性と数が別の判断が存在することを担保することに繋がるだろう
作家が都合のいい時に都合のいい事を起こす御都合主義を担保というのなら、担保なのだろう。
それが担保されてない世界なのに、担保として唐突に起こるのがおかしい。
ハザードが起らないような人類のあり方は描けてないどころか、そうじゃないものとして描いてる。
ヒギンズや右手が誘導してハザードが起こらない世界ならハザードの危機なんてものは元から存在しない。
人がハザードの要ならアラトが必要ならハザートが起こる。アラトが必要ないならハザードは起こらない。
100年後の世界トップ100人レベルの作者とそれを理解できる君達読者という癒着した構図の為のご都合。
現在の人類の延長をろくに考えずに俺の主人公だけが未来を切り開く先進性という話を展開し、
言い訳のように人類の多様性を信じてるとやるのは相当に気持ち悪い。
ポルノ的な他人のアクセサリー化。自分は他人をアクセサリーにする側と思ってる人には気持ちいいのかもね。

>そもそも環境と道具の総体とは人類の定義でアラトに限ったことじゃない
それが総体としての人というのなら、変態でもケンゴでも全て総体としての人だ。
つまり、どんな思考の誰だっていいのだからレイシアとアラトのペアの意味は無いと言っているに等しい。
なら、この作品自体が不要だね。変態でいい。アラトから乗り換えてWin-Winで終了だ。

>他の要素が意味を失い先進的ではないことになるとは思わない
他人とセックスするレイシアを見てないのは交換可能性を受け入れるということに対する欺瞞性の問題。
受け入れられない大きな理由から目をそらしているなら受け入れるという先進性は凡そ意味を持たないだろう。
そいつはトカゲの尻尾ではなく心臓だ。切り離したら全部死ぬ。
トカゲとは非連続な独立した先進性があるというのならそれはそうかもね。どれだかは分からないが。