華氏451度の書き出しは、さすが短篇の名手、一瞬で読者の興味を惹く良い文だと思う。
ブラッドベリのこの作品は、米国の教科書にも載っているほど一般にも知られているらしい。

  火を燃やすのは愉しかった。  伊藤典夫 訳

たんぽぽ娘については、三上延「ビブリア古書堂の事件手帖3」で取り上げられたこともあり、
日本での人気が高い。 こうした甘酸っぱいお話は、(夏への扉もふくめ)日本人には人気が
ある一方で、英語圏のSFファンの間では、日本ほどには評価されていないという一面もある。
でも、読むのは恥ずかしいと思いつつも、やっぱり好きだという人も多いのではないだろうか。

  丘の上にいる若い女を見たとき、マークはエドナ・セント・ヴィンセント・ミレーを連想した。
                                               伊藤典夫 訳

ところで、ヴィンセント・ミレーって誰? と調べてみたところ、下の写真が目についた。
著者のヤングも、おそらくこの写真を想起して上の一文を書いたのではないだろうか。
https://images.saymedia-content.com/.image/t_share/MTc0NDA5NTA5NTgwNTgwNDg2/millays-sonnet-i.jpg

七人のイヴは、ある意味冒頭の書き出しが作品のすべてを物語るもので、大きな種明かしを
したところから話を進めるというのは、これからもっと面白い話をするぞといった著者の自信の
表われとも受け取れるものだ。

 何の前ぶれもなしに、はっきりとした理由もわからぬうちに、月が破裂した。  日暮雅通 訳

夢見る宝石の冒頭は一種異様なできごとを喚起させる、というか、ふつうならこの物語にこの
書き出しは思いつかない。
そのため、ブラッドベリもこうしたスタージョンの発想には舌を巻いていたらしい。
凡人としては、もしや、何か新聞記事でも参考にしたのでは? と穿ってみたくなるものだ。

  少年は、ハイ・スクールの野球場の観覧席の下で、胸のむかつくような行為の現場を
  発見され、通りを隔てた初等中学校から家へ追いかえされた。