生を明らめ死を明きらむるは仏家一大事の因縁なり、生死しょうじの中に仏あれば生死なし、 但ただ生死即ち涅槃と心得て、生死として厭いとうべきもなく
涅槃として欣ねごうべきもなし、是この時はじめて生死を離るる分あり、唯一大事因縁と 究尽ぐうじんすべし。人身にんしん得ること難し、仏法 値おうこと希なり、今我等宿善しゅくぜん
の助くるに依りて、已すでに受け難がたき人身を受けたるのみに非ず、遇あい難き仏法に 値あい奉たてまつれり、生死の中の 善生最勝ぜんしょうさいしょうの生しょうなるべし、最勝の
善身を徒いたずらにして露命を無常の風に任まかすること勿れ。無常憑たの み難し、知らず露命いかなる道の草にか落ちん、身已すでに私に非ず、命は光陰に移
されて暫しばらくも停め難し、 紅顔いずくへか去りにし、尋たずねんとするに 蹤跡しょうせきなし、熟観つらつらかんずる所に往事の再び逢うべからざる多し、 無常忽たちまちに到ると
きは国王大臣親匿従僕妻子珍宝しんじつじょうぼくさいしちんぽうたすくるなし、唯独われひとり 黄泉に趣くのみなり、己に随したがい行くは只是れ善悪業等のみなり。今の世に因果を知らず
業報ごっぽうを明らめず、三世を知らず、善悪を弁わきまえざる邪見の党侶ともがらには群すべからず、 大凡おおよそ因果の道理歴然として私なし、造悪の者は堕ち修善の者
は陞のぼる、毫釐ごうりも弋たがわざるなり、若し因果 亡ぼうじて虚しからんが如きは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来せいらいあるべからず。善悪の法に 三時さんじあり、
一つには順現報受じゅんげんほうじゅ、二つには順次生受じゅんじしょうじゅ、三つには 順後次受じゅんごじじゅ、これを三時という、仏祖の道を修習するには、其その最初より 斯この三時の業報ごっぽうの理を
効ならい験あきらむるなり、爾しかあらざれば多く 錯あやまりて邪険に堕つるなり、但邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時ちょうじの苦を受く。 当まさに知るべし今生
の我身二つ無し、三つ無し、徒いたずらに邪見に堕ちて虚むなしく悪業を感得せん、 惜おしからざらめや、 悪を造りながら悪に非ずと思い悪の報あるべからず
と邪思惟じゃしゆいするに依りて、悪の報を感得せざるには非ず。