大先生、仮面ライダーBLACKを語る
「そもそも自分が悪の組織の後継者らしい」「BLACKとシャドームーンのどっちが勝ってものゴルゴムの勝ちという
ノーフューチャーぶりにシビれた」
宿敵を倒すことそのものでカタルシスを得るのではなくて、そうせざるを得ないという状況に追い込まれたり、
そこに至るまでの選択肢を奪われてしまった運命をどう受け入れたかっていうのが、ヒーローイズムの条件なんだと思いますね。
(中略)
怪人を倒すためにソマリアあたりから傭兵団を雇って爆殺しましょうとか、ゴルゴムを倒すために署名活動して
社会的に抹殺しましょうとか、そんなことはしないじゃないですか?(笑)
それをやってしまったら、ヒーローじゃないんですよね。あくまでもゴルゴムって力に対抗する力を与えられてるのは
俺だけだ、どうしよう、やるしかないっていう葛藤そのものが、ゴルゴムよりも恐ろしい敵なんですよね。
そういう葛藤や、何かの決断を迫られる場面というのは、誰もが向き合いかねない課題ですから、
そこに共感できるし、ヒーロー性が生じるんだと思います。


大先生、仮面ライダークウガを語る
『クウガ』は、そういう特別な能力のあるなしじゃなくて、問題というのはもっと根本的な勇気や責任感で解決していく
ものなんだよっていうのをちゃんと見せてくれていたんですよね。
普段は完全に人間の顔をしていて、周りからは見分けがつかなくて、そのくせこっちからは理解も及ばないような理由で、
ただ人間を虐殺していく。グロンギのあのシリアルキラー感っていうのは、子供が子供なりに感じ取る、最悪の化け物だったろうなって。

大先生、仮面ライダー555を語る
(『555』の「夢は呪いと同じだ」という台詞について)
あの言葉はシビれましたね。(中略)夢や願いを持つのはいいことですよ、これを買うと叶うかもしれないですよっていうのが、
今はあらゆる経済の基本になりつつある概念という気がするんですよ。自己実現というビジョンを持って、そこに向かって突き進めっていうのが。
それが間違いだとは断じて言いませんけど、それがすべてだっていうのはかなり欺瞞があると思いますね。
(中略)
ただ、やっぱり悲劇っていうのは糧にはなりますよね。『Zガンダム』のジェリドを見て
「よし、俺は余計なことにはこだわらない人間になるぞ!」と思いましたから。

大先生、仮面ライダー龍騎を語る
データベースというか、ライブラリーがある強みでしょうね。
(中略)
長い伝統とか、シリーズ物のお約束が多ければ多いほど、それだけライブラリーが豊潤なんですよ。
いろんなパーツを持ってきて組み込んで、お客さんに対する説明を省略できる。(中略)余分な説明をショートカットできるんです。
(中略)
たとえば『龍騎』は、いわゆるジャンル物のライブラリー性っていうのをブチ壊したことによって、
自由を得た作品だったのかなって気がします。そもそも仮面ライダーのDNAをちゃんと使ってない、
それに依存していないから出来たんじゃないかって。でも鎧武は時代的にもっと難しくて高度ですよ。