操られてたから紆余曲折あって最終的に許されるってのは別に構わないけど
三条の場合主人公、周り、当人まで仕方ないって言ってまるで気にしにしないとか平気でやるからね
操られていたとはいえ許されないとかまたいつ操られるかわからないとかでドラマも作れるポイントなのに
ドライブなんか操られてた奴が殺人はしてないとか自己申告してきて自責なんかないし
警察の主人公がそいつはプログラムの操り人形でしかなく街を破壊した事実はスルーし薄っぺらく信じて反対意見は封殺で終わり
普通におかしいけど同じ年の日朝で中学生が操られて悪事を働いたことに苦しむ話をしばらく引っ張ってたからなおさらだった

悪意がなければセーフというか悪意でしかない大量破壊テロの場合でも
ラスボスのせい人間のせいと操られてたことにして無理やり責任転嫁したからな
しかもそれが少し前に認めたようなこと言ってた怪人の自由意志全否定にもなってた
主人公はメタ的にも作中でも市民も怪人もどうでもよくて敵を許しちゃう俺様かっこいいアピールがしたいだけの奴で
三条に罪のあるなし悪意のあるなしといった倫理基準なんかなく主人公のかっこつけの道具になれば何でもいいんだと思う