つうか中身スッカラカンって意見が意味不明だろ
ベルリにおいては母性の庇護下から自分の意思を介さずはぐれてしまい、
覚悟を持たないまま様々な縛りを目の当たりにして不自由を体験し人間の有り様を受け止めてしまった
そして小ざかしさと器用さと機転のよさだけが浮き彫りになり自分というものの矮小さを受け止めることになってしまう
このままでは自分という器が見定まらないままなので、さらにそこから進むために母の元に戻り、自分の意思でそこから脱却するための通過儀礼があのラストだぞ?
アイデンティティを他人に委ねず知識に委ねず人間としての手触りを残すための可能性を踏まえたいいシーンなのに何がすっからかんなのか

中身を語るならちゃんと見なよ