チョン美姫工作員のアイヤー長田=キムプソン


〜 別冊宝島 「 ザ・在日特権 」( 宝島社、89ページ ) 抜粋


朝鮮大阪商工会長を務めた在日朝鮮人、李吉炳 ( イ ・ キルビョン ) はこう語った。

「 敗戦直後、
  決死の覚悟で警察署を襲撃し占拠せよと朝鮮人に命じたのは、
  日本共産党だった 」   ←←←←←←←←←←←←←←←←←←←← ★★★

張錠壽 ( チャン・ジョンス ) も 「 在日60年 ・ 自立と抵抗 」 ( 社会評論社 ) で、
「 日本共産党の指導がなければ朝連 ( 旧朝鮮総連 )はなかった 」 と賛辞している。

戦後の動乱期、在日は防衛中央委員会を結成、その戦闘部隊が暴徒隊だった。
この防衛中央委員会を、日本共産党がコントロール。
終戦後、暴力と不法占拠の限りを尽した朝鮮人暴徒は、
日本共産党があおって実行されたのだ。

革命闘争のためには、
在日以外の日本人も当然、地下組織で武装せねばならない。
そこで設立されたのが、
中核派や革マル派、赤軍派といった過激派につながる 「 中核自衛隊員 」 で、
工場や農村で人民が武器をとり、革命闘争にむけ地下組織化された。

その頃の日本共産党の横暴ぶりは、
脇田憲一の文献 「 朝鮮戦争と吹田 ・ 枚方事件 」 に詳しい。

有名な反政府暴動が、1952年5月1日、皇居の 「 血のメーデー 」 事件で、
中核目衛隊と在日朝鮮人が中心だった。

続いて起こされたのが、吹田 ・ 枚方事件 ( 大阪6 ・ 25闘争 ) だった。
52年6月25日早朝、日共の指令で集結した日本人と朝鮮人の過激派千数百名が、
火炎瓶やゲバ棒を持って、朝鮮米軍むけ輸送拠点である国鉄吹田操車場に突撃した・・・・・・