では、濱田氏からいかなるハラスメント行為を受けていたのか。たとえば、織田の就任からほどなくしてはじまったのが、露骨な“無視”だった。
「スケート場で僕とすれ違いそうになると、濱田先生は直前で“回れ右”をしてしまう。僕とは口も利きたくない様子でした。濱田先生が僕の方を見ながら他のコーチとヒソヒソ話をすることも増えました。
陰では“織田君は監督になってエラそうになった”“監督の権力でスケート部の伝統を変えようとしている”などと嘘を言いふらされて精神的に追い込まれたのです」

 濱田氏が気に入らなかったと目されているのが、学業と練習の両立などを目指した織田の改革の姿勢だ。濱田氏はこれを良しとせず、織田への嫌がらせはエスカレート。直接、怒鳴り声を上げられるようにもなったという。
「嫌がらせが続き、3月下旬には40度の高熱を出して起き上がれなくなった。結局、10日近く入院することになって、予定していたアイスショーや他の仕事もキャンセルせざるを得ませんでした」
 7月には弁護士を伴いハラスメントを学長に訴え出た。しかし、濱田氏にヒアリングが行われたようだが、織田側には何の報告もなく、やむなく辞任を決断したと説明するのだ。

 週刊新潮の取材に、関大も濱田氏も“回答を差し控える”とするのみ。10月24日発売号で、織田が語る辞任の舞台裏を詳しく報じる。