Flashレビュー集 [無断転載禁止]©2ch.net
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なつみSTEP
https://www.youtube.com/watch?v=H0SNJIgSB5M
二分と言う短時間に、密度の濃い中身が詰め込まれている。複数回の視聴によって観た印象が変わっていき、同時に作品へとハマる。快作。
細かく且つコミカルに描かれた背景の伏線への細かい言及は他に譲るとしよう。
しかし何故、複数回を観る気にさせるかというと、圧倒的な楽しさがあるからだ。
それは背景だけではない。物語中ぐりぐりと動く、なつみの喜怒哀楽が豊かで、見ていて自然と好感を感じさせる。
BGMも慣れ親しんだ「線路は続く」のPOPバージョンで、ワクワク感を高める。
特になつみの表情は出色で、中でもギコしぃカップルへの軽い羨望のようなジェラシーのような目線は、巧みだ。これはまたストーリーの伏線となっている点でも巧み。
そして何故なつみの表情に焦点が当たるかと言うとモブをアスキーアートが担当しているからだろう。
その記号的な表情は、なつみの人間的な表情と対になっていて、装飾過多に陥らせない。
見せるところは見せ、他は単純化させるという手腕が遺憾なく発揮されていて、様々な伏線が入り組みながらも、複雑になりすぎない。その塩梅の心地よさ。
こうして一挙手一投足を観ていく内に、なつみにすっかり好感を持ち、自分は彼女になら撲殺されてもいい、とまでは行かずとも。
ひと時の作中の天国の体験が、心の暗がりを晴らしてくれたのならば、路を戻ることは出来なくとも、心に踏ん切りをつけさせてくれたのならば。と胸に迫る余韻に浸ってしまうのだった。
萌え、というものに絶妙にアプローチした作品だと思う。
狭い私見ながら、ここまでキャラクタの感情の動きに魅了されるFlashを、増して三分以内の短編なぞ、自分は他に知らない。 おお。すっかり常連さんですな。
しかし、他に読んでる人はいないようで。
独り言は続くよ。 ☆帰り道
https://www.youtube.com/watch?v=3c3MfEBe0Y0
すっと引き込まれた。
会話のやり取りやテンポや、放課後、夕暮れ、夜の移り変わりに、丁寧さを感じる。
作品全体から若さが出ている。
ただ尺の割にはドラマや変化はなく、平板で、助走で終わってしまった感もある。
しかし、だからこそ、青春の日常っぽさが印象に残り、他にはない微温の爽やかさに浸れたんじゃないだろか。
何時か一緒に通らなくなる、卒業してしまう、帰り道。という言外の余白の部分の、切なさが程よい。 ☆きづき
https://www.youtube.com/watch?v=AY6F-FLXWcM
これには驚いたな。
けれどその急展開を乱暴なものにしないのは、描きこまれた部屋の風景、食器洗いや靴を履く際のかかとを直す動作など、丹念な丁寧さ。
優等生で勉強ができすぎたが故に、というのをワンアイテムで、婉曲的に且つわかりやく提示しているのも見事。 ☆ステレオ劇場 かえりみち
http://koshiandoh.com/flash-gallery01/st-gkj-k/index.html
深みの出るストーリーではない。
シンプルなのは、裸眼立体視という特殊な形式を、余り考えないで済む内容で提供することを目的としたのか。
その方法で見るのは自分には無理だけど、3D映画、3DSなどの3D映像の先駆けとしては興味深い。
今はVR?
何でしょうね、進化していったというよりも、流行的なブームとして消費されて見向きもされていなくなるような。
そんな負の側面も。
新しいから、素晴らしい。と言うわけではない。
この作品も試みとしては面白いけど、内容は記憶に残らないような気もする。
ただ、そこら辺は割り切っているような潔さもある。
映像表現として、写真画像にほんわかタッチの絵を違和感なく溶け込ませている。
中身も「猫かわいー」だけじゃなく、それを通して「女子高生かわいー」を見せる。
それも性的な要素、「萌えー」「色っぽい」とか、そういうのを極力感じさせない、デフォルメされた可愛らしさを与えることに成功している。
のに何なんだろうね。このスッと通り過ぎてしまう感覚は。 ☆モララーの新人研修
http://dechi.xrea.jp/library/log/D8honey2/021.html#R269
http://dechi.xrea.jp/library/log/D8honey2/022.html#R12
アスキーアート中編。
これが好きだ。
マニアックだけど。いや、これはイイ。
水を汲むという凄く記号的で抽象的な仕事と、そこで描かれる骨太人間ドラマが程よくミックス。
特に人物が良くできていて、主人公のモララーの心の移り変わりは時に痛く、時に鮮やかで、DQNな役回りのしぃやネーノにも共感できるものがある。
血肉の通った人物造形は出色。
仕事の内容は本当にファンタジーで非現実のものだけど、そこで生きている人間さえしっかりしていれば、身近な共感は生まれるし、そのバックグラウンドとなる雇用や会社の実情などが滲んでいれば、社会派にも負けない歯応えが出てくる。
ストーリーラインも落とすところまで落として、復活までの心の変化も映して、鮮やかな後半へと進んでいく。
一本芯が通っていて、でも所には笑いを入れることも忘れない。
それも単純なものだったりシニカルだったり。
そして最終的に心地いい笑顔を残して、スレを閉じさせる。
ほんと、一本のテレビドラマを見たような醍醐味。
視覚的に見せるAAと言うより、読み物としてストーリーを追うAAでは、モナギコ系ではこれがベストかな。
自分はやる夫AA方面には余り食指が向かない嗜好なので狭い範囲なのだけど。
多作な同作者のAAには、他にも唸ってしてしまうものも多いのだけど、作者本人の謙遜する「甘さ」が自分には心地いいようで。 イイ!ってことかな? そういうことにしとこ。
この作者のAAには、他にも沢山素敵なのがあります。
その一部を抜粋。
☆あなたのこと応援してます
http://dechi.xrea.jp/library/log/D8honey2/005.html#R390
中編アスキーアート。
背景を殆ど入れない、派手なアクションもない、文章を主体としたAA。
なのでストーリーが肝になるが、こいつが実に上手い。
デキるヒロインに憧れて、でも彼女には彼氏がいて、それでも仕事を頑張る。
から、こんな風に話が転がって、主人公はこう選択して、実はこうなっていて、そしてオチへと至る。
この流れに驚きが混じりつつも、凄くリアルで人間臭くて、説得力がある。
テレビドラマっぽいありがちな展開からは外れて、しかし、また違ったドラマが映される。
余韻がブラックコーヒーのように苦く、スプーン一杯分の砂糖を入れたような優しさが温かい。 ☆デザイナー
http://dechi.xrea.jp/library/log/D8honey2/004.html#R395
中編AA。
この作品は物凄く寓意性が高いというか考えさせられるものがある。
流行とは何か。創作とは何か。仕事とは。理想的な恋愛って。相手やお客を見たサービスって。二人の仲はこれからどうなるの。
色々な切り口から語れそうな、そういうキャパシティの広さ。
これは多分、主人公のモノローグでぽんぽんとリズムよく展開しているからこのコマ数で収まっているけど、エピソードとして丹念に展開しようとすればこの十倍は使うスケールのお話だからだと思う。
展開や主張が圧縮されている。
そして、なのに、分り難さや急ぎ足のような感じは無く、奇麗にまとまり、着地している。
上質のショートショートの味ですね。
でも、長く広げたのも見てみたいような欲求はあるな。
名文です。凝った表現はなくとも、愛している恋人に結構ドライな目を持っているのがキャラに奥行きを与えているし、実際に言わない優しさや言えない弱さが伝わってくるし、それを物語の転部に上手く繋げている。
姿形は抜群だが 才能の方は平凡 それが俺が感じる君への評価
渡米したところでビッグになって帰って来ることはなさそうな気がする
だけどそんなこと 健気に夢を追おうとしてる君に 言えるわけはないよな
自分が挫折したからって 君まで絶望させたくはない
俺にはそんなことしていい権利はない
愛し合った期間は長かったのに 二人で一緒に泣いたのは初めてだっけ
君の望みの薄い門出を祝福しながら 俺も再起を誓う
君がいない間に君を幸せにできる男になるよう努力するよ
☆あとだしジャンケン
https://kamome.5ch.net/test/read.cgi/aastory/1310828961/89-107
短編AA。
今まではAAは派手じゃないけど、お話で惹きつけていた。が、この作者はこういう作風も出来る。ただ、こういうの、めっちゃ手間がかかりそう。
良ストーリーを作れて、良絵も描けてと、その全力に期待するのはギャラリーの勝手だけど、量産された作品がやはり適材適所に力を抜く大切さを伝えている気がする。 ☆IA / 日本橋高架下R計画
https://www.youtube.com/watch?v=EqogKMxhpT4
幾つもの印象的なシーンがパッチワーク的に並列される。
洗濯物、冷蔵庫、天気予報、どれもが日常的な一場面。なのだが、それらがことごとく破壊される。
が、楽曲に乗ってテンポよく展開されるため、嫌悪感や嫌味さは無い。
爽快感とも違う。
物体を壊す、血を出さない、怪我をさせないというのは聡明な判断。
記憶に残る場面はある。フライパンで卵を打つとか、ハマグリが焼けて殻が開く、とか。
発想が面白い。
わざわざ映像化するのにも味がある。
そして全体的な余韻はというとひたすら不思議な後味。
印象は各場面で霧散し、女の子が可愛いという軸が、何となく残る。
それもまた味か。 The present of a dictionary
ttp://web.archive.org/web/20040112035908/http://www.yo-net.jp/flash/xxpresentxx.html
何でしょうね。芸術は爆発だ!
冒頭の妙に目が大きい女の子とリアルにバカっぽい声と、それを打ち消す大音量の雨音。
でめげずに、最後まで観ることが出来たら、きっと凄い読後感を受けると思います。
ブラボー! クソフラ! ブラボー!
勿論、私は大好きです。
何処か壊れてるんですよね。背景のぎこしぃのキスや本のタイトルとか妙に凝っていて、でもそれ以前に頑張るとこあるだろってのがあって。
ところどころのギャグはひたすら寒く、シリアスに進む恋愛もの、と言う前提を壊しはじめます。
でも、辞書をめくる辺りで、凄まじいレインボゥを放ちます。
プレゼントに辞書っていうところで突飛ですよね。でも、そこで突っ込んだら負けです。
そこから、斬新な愛の告白が待ってます。
斬新すぎです。パラパラ漫画で告白です。
しかもギコとしぃが滑らかに動く。愛の告白とは程遠い妙なアクションも、心を揺さぶります。
一コマ一コマ愛情込めて、あの青年は書き続けたのか。
そしてバックには青春恋愛物を応援するハードロック。
手作りの贈り物に、感動しそうな場面の筈なのに、bloodとかkillとか叫んでます。
このパラパラ漫画と歌、手抜きなら「だめだろ!」とさとしそうなんですが、本編以上の労力と言うか気合を感じられて、笑うしかない。
更にそこから禁じ手とも取れる作者の言い訳が、添えられます。
(この作品においてはプラスですが、無難な作品を作ろうとしてる方は、作中での言い訳は止めた方がイイ!と思います。自信を持ちましょう)
そこでクールダウンとともに、この笑いもここで終わりかと安心します。
しかし、その後、余りにも凄まじい展開。いやー、凄いです。傑作と称されるギャグ作品でもこの高みには届きそうもありません。凄いです。 自分の中での、笑い系動画の笑える要素を、分解して考えてみる。
1ギャップ(落差)がある
2反権威的、背徳感がある
3ストーリーに予想を上回る飛躍がある。
4それでも努力している。
the present of a dictionary
1
純情恋愛劇にハードロックの取り合わせ。
一年越しの告白に、辞書でのパラパラ漫画の取り合わせ
下手な声優に、強烈な雨音に、英字字幕の取り合わせ
物語全体の流れとオチ
2
反権威的、と言えば辞書への落書き。それも四コマ。
ロックンロールも反権威から始まった。
また必死になってシリアス系を作っただろう作者をギャグとしてあおっているような背徳感。
これは自分がデバガメなのもあるが、作者の言い訳を作品中にデカデカと書いているのだから、興味の関心は作者へと自然と導かれる。
作者の言い訳自体、作品内のリアリティを著しく損なわせるメタ的な要素。反作品世界的。
3
恋人同士→彼氏がニューヨークへ
は一見突飛だが、使い古されたネタなので、むしろ定番的お馴染み感。
残されたプレゼント→郵便受けにダイレクトに辞書
ここで「おいおい」となる。
ラブストーリー→辞書からパラパラ漫画、オチ
笑った。
4
妙に上手いキスシーン。遊び心のある背景。作品としては纏まりかけている。最後で崩壊するが。
チャレンジブルな数々の挑戦。ことごとく逆効果なのがまたツボをつく。 >>186
大日本昔話
を例に。
1
定番の昔話ネタに様々なギャップを作る。
2
昔話というお馴染みの権威ある古典を、茶化す。
スタッフロール、映画やテレビアニメなどの市販作品、力作の個人アニメのシメを飾るところを、無意味な方向にオトス。
3
今までの昔話、傘地蔵を思わせる引きからの、突然の現代デカの登場。
その後の、無音だった中での突然の楽曲が、展開の飛躍を助ける。
4
無音の中、間延びさせないテンポ、絶妙なペースのネタの配分。 この分解は、ストーリー系でも行ける気がする。
>>107
☆PINK☆
1
Flash紅白、Flash制作・発表の場→Flash制作を投げ出すストーリー
水生生物のカブトガニが空を飛ぶ
理想の桃源郷がアンモラルな風俗街
2
アンチ統一スレッドでの権威、Aさんを撲殺
風俗街というエロ要素、日本刀でたたっきるという暴力要素
Flash紅白という力の入った権威ある(?)イベントを、ちょっと遠い目で見ている
3
飛躍の連続の展開。
だが、オチが妙にしっくりと決まるので、安心感はある。
4
けっこう長尺を使って、楽曲で緩急をつけている。
楽曲のチョイス自体、定番のFlashとは一味違った工夫の跡がみられる。 こうした笑いのカテゴライズから、幾つか。
☆ムネオハウスPV
https://www.youtube.com/watch?v=ZKy-lTRvXhU
こにゃにゃちわ的な笑いがあるけど、どちらかと言うと堅苦しい政府を、痛快に皮肉ってる快感がある。
内容もそうだけど、音声と映像を、ラップ調にキレキレに流すのが爽快感を増している。
ラップもアメリカの黒人とか凄くこうアンダーな底辺から出てきて、反権威的な色彩があるものなのかな。俄か知識だけど。 核攻撃サバイバー
https://www.youtube.com/watch?v=v-If62OTq-U
糞映像ボンジュール。
最近でも「このハゲー」とか「排除します」とかあったけど、そういう政治風刺ネタの動画って余り上手いのを目にしなくなったような気が。ちょっと見聞の弱い分野ではあるのだけど。
これ、ムネオハウスと比べると、ほんと不快感が残る。
ラップの切れがあるむねおに比べて、こっちは間延びしていて妙に歌が上手いようでヘタウマのような愛嬌があるわけでもない。
国家を皮肉っているようで、何というか核攻撃する北朝鮮とか核開発を加速させせてきた米ソとかの核競争とか、そういうのがすっぽり抜けている。意図的に抜かしてるんだろうけど。
そのくせ専門用語とかマニアックな人を使ってくるので、わかりにくい。歌と文字だけのシンプルな構成のくせに。
オチの「7の法則」で、はいはい突飛だねって納得する前に、そんな単語知らないです。
これって啓蒙系ソング? こんなの知ってた、関心を寄せて系?
何にせよ権威あるものを皮肉るのに、歌い手が何だか偉そうに聞こえるのが最大の皮肉。 413
は権威ある国家を皮肉る作品が、権威を持っているかのように偉ぶる不快感があるということを、上から目線での偉ぶったレビューで書く。という三段構造になっとります。 ☆将軍にはなれない僕だから (swf)
ニコニコより
>>128
「英雄にはなれない僕だから」のパロディー
怪獣になれると妄信する主人公のイカレップリヲ皮肉。
じゃなくて、英雄になれると信じていて、挫折していく、再生へのストーリーを上手いことパロってる。
金正男、昨年、暗殺により夭折。
と今になってみると、原曲の儚げな曲が、妙に哀愁をそそる。
こういう笑いが好きだな。アイロニーの物悲しさというか。 修造ウォッチ 【松岡修造×妖怪ウォッチ】
https://www.youtube.com/watch?v=PTVmYVZ0uRo
子供に人気の愉快な妖怪ウォッチと、暑苦しい実写の松岡修造のギャップある取り合わせ。
ひたすら濃い。
両方とも流行語大賞にノミネートされたんだっけ? ブーム的でニュース的な要素も大きい。
こういうお手軽で時事的なネタが、消費されつつも、動画文化を地味に支えていると思う。 ドナルドVSベジータ
https://www.youtube.com/watch?v=t33i5XNmf2k
人を見下したようなアニメのベジータ。
一方で無駄にフレンドリーで馴れ馴れしいドナルド。
戦闘エリートのベジータが圧倒するが。 とネタ系を分析してみたけど、よくわかんないんだよね。
笑いのツボって。
要するに自分は笑いのセンスがない。
千原兄弟が何故受けるのかもよくわからないし。
カッコいい男前のお笑い芸人? 笑う箇所ってどこにあるの。
トレンディエンジェルの斎藤さんが、何で受けるのかもよくわからん。
ハゲの人が単に「わたしハゲです」っていうだけで、なんでもてはやされるのか。
ほんと、ギャグセンス無い。 分類して語るのにハマる。
1ギャップ(落差)がある
2反権威的、背徳感がある
3ストーリーに予想を上回る飛躍がある。
4それでも努力している。
このスレッドのレビュー集を回顧してみよう。
1
長文だったり、短文だったり。
アニメだったり、ゲームだったり。
お勧め動画だったり、糞動画だったり。
その日の気分で書いているけど、意外とバラエティや緩急はついていると思う。
逆に言うと、統一性は薄いっす。
2
黒動画が多く。それを肯定する姿勢はアンリーガル。
公には出来ないが、だからこその2ch。
作品に噛みつくことはあるが、独り相撲の気もする。
歯に衣着せぬを心掛けるが、無駄に偉そうになっていて、長文に酔ったりする自分もいる。ナルシー日記。
3
は自分でもわからん。普通の人が普通に書いているので普通だと思うが、比較対象となる他の方のレビューがないので。とほほ。
4
時に無理はする。基本的にはてきとーぎみ。だが、Flash板で一番必死に書き込んでいる自覚はある。
この分類だと、かなり抽象的になっちゃいますね。4なんて、どうとでも取れるし。 もうちょっと広く使える分類を考えてみた。
1ストーリー
起承転結。映像の中身。
2絵、アニメ
見た目。画風。動き。アニメのストーリーでの役割。
3文章
文章内容。文章のストーリーでの役割。
4音
楽曲、効果音、音同期。音楽のストーリーでの役割。
5インタラクティブ
マウスクリックなどの映像への介入の有無、視聴者と作品の相互関係、webで発表する意義。
6歴史
先行する諸作品との関連性。ならびに、後発の作品への影響。映像作品全体での位置づけ。
7文化、社会
背景となる文化、社会での役割や位置づけ。 6、7は必要かなー。
Flashを語るうえで決定的に欠けている部分だけど、これは当面の映像作品以外の幅広い知識が必要。
更にはあんまり良いものが収穫できる気がしないんすね。自分の場合。
あと、もう一個、自分のレビューの視点で持ってないのが、これですよね。
11技術
パースは? タイムラインは? ASは? プログラムは? なんたらかんたら。
頭が痛い。
こういう風に分類するのは、有益かもしれないし、ある意味正しいレビューの在り方なのかもしれないけど、労力が半端ない。
書くほうも見るほうも。
作品あってのレビューなのだから。無料でその場で見れるのだから。
レビューは低コストで紹介的で。その日の気分でいいじゃない。気軽さと物量よ。大切なのは。
とは思うのだけど、やれないからやらないと言うのは、何だか嫌だ。
最近、ハイテンションだし、暇もあるので、トライしてみたい部分もある。
出来るだけ力を込めた、書くのも読むのも苦痛で、残念な溜息が出るようなレビューを書きたい気がある。
そこで何回もレビューしてきた作品で、印象が未だ纏まらない三作をピックアップして、分類型レビューをしたい。
>>1 なつみSTEP
https://www.youtube.com/watch?v=H0SNJIgSB5M
>>8 夏宵
http://www.w-room.net/flash/flash/natuyoi/natuyoi.htm
>>45 黄色い桜を探して
http://infinity.s101.xrea.com/flash/2004RW/yellowcherry.html あー、思いついたまま列記してみた。
一つ一つ丹念に当たると、凄い手間かかりそうっすね。
mk2レビューだとこんな感じ。
http://switchmk2.net/title.php?title=1
オリジナリティ
グラフィックス
音楽
熱中度
満足度
快適さ
難易度
これをさらに細分化すると
グラフィックス→ グラフィックス(ムービー) グラフィックス(プレイアブル)
音楽(BGM、環境音、効果音)→一つのゲームに数十のBGMが使われるので詳細な検討は、一曲につき一レビューとして膨大になる。
熱中度、満足度は逆に、受ける印象として、一本化できそう。
快適さ→ユーザーインターフェース→コントローラーのボタンと各アクションの割り振り、アクション(ボタンを押す)に対するレスポンス(ゲーム画面での反応)、メニュー画面の利便性、ロード時間の長さ
難易度→ゲームの初心者にとっては? このジャンルのプレイヤーにとっては? このシリーズのファンにとっては?
ボリューム、プレイ時間、ムービーのゲーム内で占める割合や機能
ストーリー→メインストーリー、サブストーリー、脇道
キャラクタ→(キャラクタのグラフィック)(キャラクタの個性)(キャラクタのゲーム中での役割)(他キャラクタとの関連性、ストーリー中の役割)→(主人公メインキャラクター)(サブキャラクター)(モブキャラクター、町人、モンスター)
ミニゲーム→ゲーム内ゲーム、勿論一つ一つ独立したものなので個別に
こんなん、真面目にやったら、死にます。
でもゲームだから、レビューを見てから買うまでにお金と時間がかかる。買わないという選択肢も大きく残る。だからレビューとしての価値がある。けど、無料でその場で観れるFlashに果たして意味があるのか……
これから3つのレビューは、まー、こんなん読むよりももう一回そのFlashを自分の目で観たほうが為になるよ。的なものです。
謂わば特にお気に入りのFlashへの過度の愛情表現のようなもので。
つまり思考を絡めた(*´Д`)ハァハァ文っすね。 なつみSTEP テキスト書き起こし
参考
http://f19.aaacafe.ne.jp/~takappe/natsumi-step/
なつみ STEP!
安堂なつみ
7/20/23:36 着
T?N59
G?59 黄色い桜を探して テキスト起こし
その樹には黄色い桜が咲くという。
今年こそどうしても見たくて、公園を彷徨った。
「…確かにこの辺りの樹だと思ったんだけど…」
私の記憶違いじゃなかったら、去年の花見は
家から一番近いこの公園にしか行かなかったと思う。
立ち入れるところは隅から隅まで探したけれど、
黄色い桜の樹はどうしても見つからなかった。
友達と、待ち合わせの約束もあるし、もう諦めよう――
そう、思った時だった
「すいません
今貴方が歩いてきた方には何があるんですか?」
声の主は老人だった。
私の祖父より少し若いぐらいだろうか。
「ああ、あっちは行き止まりですよ」
「そうですか、ありがとう」
何てことはない、ごく普通の出来事。
これで終わりになる――はずだった。
「貴方、もし良かったら、30分程度でいいから
この公園を案内してくれませんか?」 私は時計を見る。約束の時間までには余裕があった。
どうせこの場限りだし、断る理由は特に無い。
「いいですよ」
「では…貴女のお薦めのスポットに
連れて行ってくださいよ」
そんな些細な偶然が
私と老人との出逢いだった――
(タイトル)黄色い桜を探して
「今日は一人でお花見ですか?」
「はい。実は、ちょっと黄色い桜を探しに」
「黄色い桜、ね。あれは確か山の方ですよ。
研究所か何かあって、そこにね」
「いえ、確かに去年、ここで樹を見たと
思ったんですが」
「じゃあ貴女はそれを探すといい。
私は貴女について行くだけなんだから」 「まず、ここが私のお薦めの場所なんですけど」
老人を案内したのは日本庭園と呼ばれている場所。
桜の枝は東屋のそばまで届いている。
「枝垂桜があるのはこの辺だけなんです。
水は…濁っちゃってますけど、白鳥がいます」
「ほほう、確かにこれは奇麗だ」
「一周したら、向こうの池のほうにも。
それから、次は…」
広い公園には、至る所に桜が植えられているため、
空間そのものが、薄紅色に映った。 「貴女は、学生さん?」
「いえ、もうとっくに社会人です」
園内マップの区画を一つ一つ歩いて周りながら
互いのことを少しだけ、話した。
私は自分の職業の事。老人は家族の事。
中学生の孫が、今日遊びに来るらしい。
それ以上相手に踏み込む必要は無い。
暗黙の了解だった。 黄色い桜はなかなか見つからず、
とうとう老人と出会った地点まで来てしまった。
「じゃあ、私はそろそろ」
「今日はありがとう。よければ次は
私が新宿御苑でも案内しましょう」
「えっ?」
「年寄りと若者が折角友人になったんですからね。
これも何かの縁だと思ってね」
思いがけない老人の提案に、私は返事に詰まる
――だって私たちはたった三十分前に
「ちょうど向こうから来た貴女に、道を聞こうと思って声をかけただけなんだから」 (同僚OLとの食事シーン)
「近所の公園に桜を見に行ったら
知らないお爺さんに話しかけられた」
今のプロジェクトが始まって以来
忙しい日々が続いていた。
「えーっ?」
朝早く出社し、夜遅く退社。
楽な時さえ所定時間までは拘束される。
「案内して欲しいって言うから、暫く
一緒に公園の中を歩いてね」
仕事の内容は当然キツイのだが、
他の部署からは軽く見られていた。 「そしたら、また今度遭いたいって」
休日はどんどん削られた。
ゴールデンウィークも正直危ない。
「いつ?」
しかも直属の上司は機嫌が悪いと
すぐに周囲に当たり散らす人間だ。
「みどりの日」
理不尽な事で怒鳴られて
友人や先輩に愚痴をこぼすのだが
「未だ忙しい時期じゃない。急に
いけなくなったらどうするの?」
上司の前では平気な振りをして
人間できてるね、と言われてしまった。 「待ち合わせ時間から十五分経っても
相手が来なかったら中止だって」
不満は多少あるけれど、
今のところ辞めるつもりはない。
「一応、五月八日が予備日になってる」
まぁ、何とか生活できているし、
仕事そのものは好きなのだ。
「行くつもり、あるの?」
代り映えのない日常を送るのが
最も幸いなのは解っている。
「さあ、どうかな……」
ただ、ほんの少し
「毎日」に肩が凝っているだけ。 (老人とのデートシーン)
――五月八日。公園の主役は、既に
桜から花壇の草花に移っていた。
花壇を散策していると、
視線の先に老人が、見えた。
「こんにちは」
「向こうにいたから、何をしているかと
思いましたよ」
「ちょっと早かったかな、って
思ったから、花壇を――」 「そうですか。じゃあ少し歩きましょうか」
私は薄く微笑み、頷いた。
桜の花が散っても変わりない雑木林の小道を
二人、並んで歩く。
「二十九日に来たんですけどね、
貴女がいなかったから帰ったんですよ」
「すいません、やっぱり
休日出勤が入っちゃって」
本当にこれから御苑に行くかどうか話したのだが、
場所なんかどうでも良くなっていた。 私達は結局、公園のすぐ近くにある
和風ファミリーレストランに入った。
「何でも注文して良いですよ」
じゃあざる豆腐追加して良いですか?」
元々、共通の話題などあり得ない私達の会話は
ごく世間一般的な内容がメインだった。
個人的な事も多少話したのだが、喋るのは
主に私の方ばかりだった。
仕事内容、残業の多さ、業界について――
紡ぐ言葉は、とりとめが無い。 「大変ですね。しかしこのご時世、まともに仕事が
できるだけで有り難いですよ」
ごく常識的な意見を述べる老人は、自分の祖父と
どこか似ている、と思った。
ほんの子供の頃、少しだけ同居していたためか
祖父との仲はとても良好だ。
離れて住んでいても、随分溺愛されてきたと思う。
甘え上手として振る舞う殊に慣れていた私だが、
いつもと違うのだと言う事は解っていた。 「今日は妻には内緒で出てきたんです」
「私も、両親には言ってません」
私達は家族ではない。
二人とも、自分が帰る場所がある。
なのに、逢い引きではないと
言い訳しながら秘密を共有している。
『貴女に恋人が出来るまでの代わりですよ』
桜が風で散る中、老人は悪戯っぽく笑った。
奇妙にはっきりと覚えている。 食事の後、どこかに移動してお茶をしよう、と
老人が提案した。
「だったら、駅の近くは避けたいです。
買い物中の母と鉢合わせするかも」
「貴女、家は近くなんですか?」
「前に言いませんでしたっけ?」
「これは失礼。では、何処がいいだろう」
「大通り沿いに有名なケーキ屋があるんです。
私も初めてですけど、そっちに行きましょう」 注文にちょっと手間取ったけれど
私達の前にチーズケーキと紅茶が並んだ。
老人は道すがらバス停を探していたので
ここを出たら解散のつもりだろう。
何となくもったいないような気持ちになるが、
一時間先の、具体的な事が思い浮かばない。
「次は貴女の知っている所を案内してください」
私の予想を見透かしたように老人が、言った。 「普段は何処に遊びに行かれるんですか?」
「まぁ…通勤の通り道のM駅です」
「貴女のお奨めの所はありますか」
まだM駅周辺の事を知り尽くしたわけではないので、
私は考え込んでしまう。
「では、当日までに何処に行くか考えておいて
くださいよ。楽しみにしてますからね」
次の密会予定日は、一ヶ月後の土曜日になった。
待ち合わせも、M駅現地集合。 紙ナプキンに待ち合わせ場所の地図を描いた。
目印のモニュメントの特徴も入れる。
老人の家から遠いのではないか、電車賃は、と
心配すると、諭すように老人は言った。
「貴女が突然来れなくなっても構わないんです」
「連絡先はおろか、互いに名前すら知らない。
束縛は無し、それでいいじゃないですか」
「……そうでしたね」 店を出た後、私達は遠回しして
バス停まで向かった。
私はずっと微笑んでいた。
老人と別れる、その瞬間まで。 (一人、夢想しているシーン)
なんか次の約束しちゃったよ
どうしよう……
六月になったな。
お昼何処にしようかなぁ。
前は和食だったから
洋食屋さんにしよっかな。
あそこのオムライスはどうだろ。
気にいってくれるといいけど。
もう明日かぁ……楽しみだなぁ。 (二回目のデート)
M駅に到着したのは十時四十五分。
気持ち良いぐらいの晴天だった。
前回の事もあった為、私は寄り道せずに
目印の金属オブジェ前に行った。
「まだ来てないみたい」
今日はこちらの方が早かったらしい。
私は丸いベンチに腰掛け、本を広げた。 駅に出入りする大勢の人々が、読書中の
私の前を通り過ぎてゆく。
その中に居るはずの老人を探すのだが、
約束の時間になっても見つからない。
焦りとは裏腹に、無情な腕時計の秒針は
通常と変わらぬリズムで時を刻んでゆく。
(……十五分まで、まだ、ある) ―‐ 十一時三十分をとうに過ぎた。
もはや老人は来ないだろう。
私達二人の秘密と共有時間の終わりは、
予想だにしないほど早く、あっけなかった。
洋食屋に行き、一人で食べたオムライスは
デミグラスソースがやけに苦く感じた。
滑稽なぐらい、哀しかった―― それから間もなく仕事のピークは過ぎた。
残業時間は減り休日出勤も無くなった。
生活に余裕が出来たためだろうか。
あの時の事は夢と同義に成りつつある。
日常から少しだ逸れた世界への逃避は
ただの我が儘に過ぎないから―― 老人と過ごした僅かな時間は私にとって、
口実なのかもしれなかった。
そして夏が過ぎ、秋が来て、
――年の終わりが近づいてきた。 パソコンをいじっている。
パソコン画面に黄色い桜
「新宿御苑に黄色い桜、あるんだ……」
スタッフロール
次の春が来て、桜が満開の頃になったら、
また一人で公園に行こう。
――老人と黄色い桜を探しに行くために。 終わった。長かったー。日曜日がつぶれるー。
これ書いてて思ったのは文章は細かいところに心憎い表現があるのだけど、
文章系Flashを自負するだけあって、小説として文章の基本をしっかり押さえているということ。
ということで先行レビュー。
書き起こし中に思いついた、分析項目。
12ストーリー表現、技術
→視点
これが一人称視点、わたし視点で統一されている。
つまり描写しているものは全て、わたしという主人公を通して、見えていて、感じていて、考えていること。
老人が出てくるが、老人からの視点のものは一切ない。
たとえば「老人は○○を知っていた」「老人は○○と思った」「老人は○○と感じた」
と言った視点は省かれている。
これによって、読み手は主人公と同じように作中の事物を経験し、スムーズに一本のストーリーラインを通り、主人公に共感、心の動きを追うことを可能にしている。
老人を中心とした視点を使って、解説する。たとえば老人の言外の感情や、老人が来れなくなった時の動機付け。
など説明的な部分を加えれば、より「わかりやすい」文章になる。
が、それは愚の骨頂。それは決して「スムーズに心の動きを追う文章」にはならない。
この作品の肝は、老人が突然来れなくなって、茫然自失とする主人公の転部の鋭さ、鮮やかさ。
にあるが、ここをミステリよろしく原因解明に向かわせず、何も伏線を知らない前情報のない主人公の驚き。そのまま放置される哀しさ。
を読者もまた共感するのは、主人公と同じく読者にもわたし以外の人物の手の内を明かされていないからだ。
もちろん、この説明不足に陥りそうな個所を、フォローするのを作者は忘れない。
作中で繰り返される「秘密」という言葉。逢い引きなどと言ったどちらかというと甘い肯定的なもので主人公は捉えている。それが、一転、そのマイナスの側面がどっと噴出するのが、転部の鮮やかさに一味を加えている。 じゃあ、視点を統一できていない、或いは意図的にしていない作品にはどーゆーのがあるの?
と言うとこれっすね。
旅街レイトショー 03話 「夏祭り」
http://www.dailymotion.com/video/x3nxj6c
これは誰視点かと言うと。
初めは、女の子視点ですよね。
夏祭りを見て「うわあ」と言って、夏祭りの清々しい光景を読者にも見せる。
「おぼんは死んだ人が帰ってくる人です」というナレーション、これは心の声だけど、は女の子のもの。
だからここで、ストーリーを追うときに、女の子目線と言うか一体になって追う準備が完了する。わけっす。
「おぼんは死んじゃった人が帰ってくる日です」
このフレーズが繰り返される。声は女の子の心のもの。女の子視点は貫かれている。
と思いきや、次の場面で男の子が軸。女の子は登場しなくなる。つまり視点がここで切り替わってる。
そのあと、衝撃の種明かし、転部どーん。
ですが、ここ直前に「女の子=読者」という視点の共有が、男の子視点に切り替わったことで、今までの勢いというか助走スピードと言うか、そういうのが目減りしている。
女の子への一貫した共感、いなくなって欲しくない、わたしを忘れてほしくないという切実な願いが、実は。というところのドラマに、自分と作品との間で距離が出来ている。
最後に余韻を受け取るシメも男の子の視点から。短編なのもあって、キャラ立ちしていない男の子じゃ、心動かされないっす。視点バラバラ―の。印象さんまんーの。って感じ。
ただ、こういう視点移動は映像的なテクニックらしいっす。参考。
http://kaityou-osusume.seesaa.net/article/432900923.html
つまり小説的なアプローチだとタブーだけど、映像的には創意工夫が施されている。らしい。ほんと?
何かね、一人の人の心の動きを追って追体験するのが「黄色い桜の」一人称視点なら、物語を多角的によりわかりやすく描写するのが「夏祭り」の映像的視点移動に思える。
どっちが好みかと言うと、いわずもがな。
本作は視点で、やっちまったーな作だと思う。あくまで独断と偏見で。 ,.‐''" ̄`丶、 ひどい…!ひどすぎるっ……!
/ \ こんな話があるかっ…!
/´ \
/ |\_>、_ 、r‐、 \ 命からがら… やっとの思いで…
レ! ||_| |/_ ヽ\} \ テキスト書き起こしたのに… やり遂げたのに……
|八|-/>、∪_ u`i ト、 \
/ / ,くィ夕u' | |/ ``‐- 、_.、__\ 悲劇っ…!
|/ / /_ヽ┐u | ,| / ,-,.=====ゝ
ヾ' / r┘|.l__人 | /\// \ 下準備で燃え尽きてしまった……!
\ ) | N / //\./´ ̄`丶
|u | /|(l(l「| | | | せっかく書こうとした
| u| / | ヾ-イ .|| l、 分析的視点…長文…
_| |/| | \_|_|,. く. \
ハ.___ハ >、 \ \ \ レビューを書く暇を……! オチオチオチオチ。
4作とも、主人公が何かを喪失して、そしてどうするかって話だけど、アプローチがそれぞれ違っていて面白い。
☆旅街レイトショー 03話 「夏祭り」
「いなくならない?
この手のね、ぎゅってのね、ぎゅってのね、離したらね、はるかくん、いなくなっちゃわない? ねえ、いなくなっちゃわない?」
「いなくならない。
手を放しても、今日はサヨナラしても、ゆかりちゃんが呼んでくれたら、きっと、僕、いつでもゆかりちゃんと一緒に居られると思う」
ストレートだねー。中学生日記的。なんつーか、作者さんの俺の哲学やメッセージを聞け、作品中でダイレクトでな、って作風が今のトレンドなのか.。ああ。
☆なつみSTEP
なつみは彼氏の思い出のペンダントを、海へと投げ捨てる。
オチがオチだけにブラックな作品って言われるよ? でも本質は再生の物語、地獄でもしたたかに生きていく力強い生命賛歌ですよね。
自殺の原因になった彼氏とのいざござ。
そこから立ち直る。ふっきれる。のは天国への寄り道、束の間の楽園での一時。
新たに更新された思い出を胸に、古びたそれを投げ捨てろ。 ☆夏宵
好きです。
あの日からずっと
あなただけが、わたしでした。
たくさんの思い出をありがとう。
そして
さようなら――。
好きという言葉と別れの言葉を併置する。成熟した目線を感じる。
あなただけが、わたしでした。
これ以上の愛の告白、「あなた=わたし」なんて無いっすよね。
そこに「でした」の過去形を添える。
もう違ってしまうのよ。さようなら。って。
もうちょっとここを深読みして、解釈すると、過去形と言うより現在完了形?
好きで好きでたまらかったの。はじめて手紙越しだけど面と向かって、好きと言えたわ。
今まで、この手紙でこの文字を書くまで、あなただけがわたしなんなのよ。だったのよ。
さようなら。
こういう複雑な乙女心っていうの。
下手をすると矛盾してしまいそうな心のあやを捉える描写力には舌巻き。
☆黄色い桜を探して
次の春が来て、桜が満開の頃になったら、
また一人で公園に行こう。
冒頭に帰ってくる。しかし心には新たな想いを秘めて。
季節ものですよね。
そしてこの言葉を使う作中は、年末の真冬。春は遠い。閉ざされた冬のように傷から立ち直っていない。
つまりこれは甘っちょろい癒しじゃなくて、未来に向けて心が肯定的に動いた決意表明。
今まで仕事や日常、展望がない同じことの繰り返しに飽き飽きしていたのにね。成長っ。
こんな感じ。分類的に語ると、結局のところ何が言いたいのかさっぱりわからん。毒があるのは気のせいよ。 ☆なつみSTEP
http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/swf/1501790438/
1−1 ストーリー
解釈によって、変節していくストーリー。
これは何回か観るたびに解釈が変わってくる。だいたいこんな感じだ。
A 陽気でPOPな楽曲に乗ったほんわか物語。なつみ可愛い。
B オチや伏線がブラック。衝撃。深い作品だ。欝だ。
C ブラックなのに主人公が明るく進んでいく物語の起伏や展開に惹かれる。なつみ健気で可愛い。
で、どうしてこう変わっていくかというと、作中に散りばめられた伏線に気づく、或いは他のレビューを読むことによって知る。
という過程をとって初めて理解できるストーリー構成になっているからだ。
ただ、話題になった作品だが、多くのレビューがCまで至らずにBで印象が終わる。
つまり種明かしの場面で興味関心が尽き、ストーリー構成やキャラクタの心情にまで至らない。
これは解釈を読者に委ねる作品、例えばブラックなオチのミステリドラマや小説が、物語そのものや心の推移よりも殺人トリックや犯人探しに焦点を当てられるのに似ている。
例えばこのレビュー。
https://www.youtube.com/watch?v=9_1nvLcFP8s
詳しく作中の伏線について述べているが、その印象は「怖い」。
つまりレビューは作品設定の説明で終わっていて、ストーリーを味わうのは二の次にされている。
これは決して本作のストーリーが失敗していると言わけではない。
本作をきっかけにこしあん堂ファンイベントが生まれ、その多くが「なつみ萌え」だったように、C的な解釈をする人が決して少数派だったわけではない。
むしろある程度の解釈の分裂があったからこそ、話題になったとも思える。
いずれにせよBにしろCにしろ、ここまでストーリー解釈が進むのは、複数回観る必要がある。
これを可能にしたのはネット媒体とFlashによる軽さ。
それ以上に作品のコンパクトさ、短さにあるように思う。
ショートショートとして一見詰め込みすぎに思えるが、尺を圧縮したことでリプレイ性を高めることに成功している。 1−2 ストーリー
流れがややスムーズに感じない箇所
ただ、本作、発見による解釈変化以外にストーリーそのものについて分かり難くしている部分がある。
それはモナー車掌が船を先導していて後部座席に1さんと8頭身が乗っているのに気づき怒り出す場面だ。
この前の場面で、なつみは船から飛び降りるのだが、この行為がタブーな行為、無断降車だったことを伝えるシーン。
なのに、ちょっとわかりにくい。
それはなつみの代わりに八頭身が船に乗り込む場面が書かれていない省略だったり、だから生まれる唐突感だったりする。
視点について先に触れたが、この「なつみSTEP」も基本的に一人称視点、なつみ視点で進む。
そして八頭身が乗り込んでいてモナー車掌が慌てる場面は、ここだけなつみがいない、つまり視点が変わっている。
これは天国でのほのぼのから、地獄の寂しさを繋ぐ転換シーンを際立たせる演出ともとれるが、視点の移動による若干の混乱に、何故か八頭身が乗っている飛躍が加わって、ストーリーの把握をやや難儀なものにする。
そもそもさり気ない描写そのものに意味を持たせる密度の濃い映像が特徴の本作で、八頭身と一さんは異質な存在だ。
これによって解釈が広がるわけではないし、モナー車掌が誰も乗っていないのに気付く、なつみがいなくなったので空車だった、の方が理解するためのストーリーとしては効果的な気がする。
はっきりと言ってしまえば、八頭身と一さんは余計な要素、作品の不純物になりかねない。
本当に細かいところだが、指摘させてもらった。 2絵、アニメ
デザインでの世界観、キャラクタの表情
デザインの可愛らしさ。それは主人公以外にも、乗っている船、看板などの小道具にまで及ぶ。
特に出色なのが、モナーなどのアスキーアートキャラクタをとても愛らしく描いている場面。
天国の住民が、天使だったり選ばれた民だったりという神々しい、高みな視線を排除する。
AAのアングラ的な要素が程よいスパイスになっているし、先の解説では猫のマスコットと解説されていて、ある意味での一般化も上手くいっているようだ。
死後の世界をAAで、というアイディアのユニークさ、それを共感可能にする可愛らしい絵。
発想と技術が結実している。
また、なつみの表情がコロコロ変わるのが好きだ。
天国についたときに、笑顔になる。それが溢れるように身体で、跳び上がることで喜びを表現する。
ぎこしぃカップルを見て、羨ましそうな眼をする。
これらは映像に華を添えると同時に、サイレントなストーリーに厚みを持たせる意味づけなっている。 3文章
謎解きの手がかり ややアングローバル
文章は抽象的なフレーズが数か所、挟まれる。
数を絞り、要所に絞っているため、必然的に謎解きへと関心が動き、作品解釈を進めるのに動機面でも貢献している。
のだが、本作は海外でもある程度普及している人気作だ。
1059→てんごく→天国などの日本語は、一体どう受け止められてされているのか。
https://www.bilibili.com/video/av499384/?from=search&seid=14167174286916335440#page=1
と思ったら、日本語の部分も翻訳されている。
それもほんわかストーリーとして受け止められているのではなく、解釈は踏み込まれている。
あらかじめ海外をも展望した作品ではないと思うが、国を問わずに滾る動画閲覧者の情熱には感服。 4音
印象をPOPアレンジ
「線路は続くよ」のアレンジ。
POPで可愛らしいという印象は、楽曲によるところが大きい。
また起伏の激しいストーリー構成にも拘わらずほのぼの〜を初見で受け止めるのは、これによるものだ。
誰もが耳にしたことのあるお馴染みの曲調による安心感は、物語を平板な「またーり系」に寄せている。
この楽曲による印象は、作中でのブラックな部分の、暗い後味、死の重さを、拭い去っていて、作品全体をライトで軽いものにしている。
ブラックなのに不快感は少ない、不思議な感覚。
また曲を聴いてまず思い浮かべるのは「線路は続くよ」の歌詞。
これもストーリー解釈を肯定的に感じさせる隠し味になっている。
死によって物語は失われるわけではない、地獄に向かって再起を誓う、死して尚、なつみの人生は、線路は続くのだ。 5インタラクティブ
ここはかなり肝になる。
ストーリー解説で、作品を十分に味わうには複数回観る必要がある、と述べたが、これはwebでの映像ならではの利点だ。
一度きりのテレビアニメや映画では、不可能な、リプレイ性。
また解釈が重要なファクターなだけに、インターネットの口コミは本作に多大な影響を与えた。
他にこの作品、発表当時、イマジナリーライン(何だそりゃ、八頭身達の進む方向が自然に沿った方向じゃないと感じていたらしい)。という問題の指摘を受けて、作者はその日のうちに作品の問題点を修正している。
この相互性、発表してそれで完結するわけではない柔軟性、そのスピードもまたwebならではだ。
つまり作品を発表するのも受け取るのも一回こっきり、という作品の一回性のくびきから脱した故の普及だった。
のみならず、この作品はflash上映会「flash☆bomb」で初披露された作品でもある。
複数回観ることで味の出る本作だが。それを大画面で一度きり、みんな初見で、百人規模の観客と一緒に、という体験は、なるほどプレミア感と一回性がある。
おまけの要素も外せない。
一見泣き顔だが、画面をいじってみると。これはFlashならではの仕掛けだ。
http://koshiandoh.com/flash-gallery01/natsumi-step/naki.htm 6歴史
大人気作なだけに、影響は凄いですよね。
語り切れない。
ここではアスキーアートものということでAAに絞る。
可愛らしいAAを、出身地のAA系板とは離れたFla板形式でという方向を決定づけた作に思う。
と同時に本作者はこれが2chモノ、AAモノの卒業制作だったかのように、オリジナルへと軸足を移していく。
作者本人もFla板内で人気作家だっただけに、脱AA路線はFlash板の有名職人や中堅職人に影響を与えた。
AA路線とオリジナル路線、二つが共に発展し分離していく転換点になったように思う。 7文化、社会
死後の世界の描写のユーモアさ
天国と地獄の描写は西洋的だけど、AAを使い、青空に浮かぶ月や星や地球を、背景に鮮やかな草原を置く。
死んでどこに行く? 雲海の上へ! 的なお決まり感とは一風変わった作品描写。
またここの独自性は、初見で天国に行ったと思わせない、異世界旅行モノとして受け止めるという、解釈の幅になっている。
死の軽さも特徴的。
人身事故、地獄という暗いストーリーを、とても軽いものとして受け止めてしまう。
というのは良さでもあるけど、痛みを伴わないプラスチックっぽさはある。
ディズニーっぽい生々しいものを排除したファンタジーっぽさ。
本作のみなら全く問題はないが、多くのフォロワー作品も作者本人も、この傾向に陥っているような。
Flash板文化への影響は大きい。 1ギャップ(落差)がある
強く意識されている。
暗いストーリーと陽気な音楽のアンバランスさ。
初見と複数回視聴後の印象のギャップ。
可愛らしく明るい表情のなつみと自殺な過去とのギャップ。
などなど。
2反権威的、背徳感がある
AA、人身事故、アングラですよね。でも見た目というかパッケージの点で、そういう負の要素、暗い要素を中和している。背徳感のある内容を、脱臭してファンタジーとして見せる。そこに特徴がある。
権威的な側面もあるよね。Flash板の代表作、誰もがおののく有名作というレッテルは、本作に威光を与えている。それは作品そのものが悪いんじゃなくて、周りが担いだ感じ。こうしたレビューの影響も微妙ながらあるのか。
3ストーリーに予想を上回る飛躍がある。
ある。詳しくはストーリーで述べたので省略。
4それでも努力している。
作者本人も努力しているが、その遊び場を舞台に能動的に楽しんだ観客も努力していた。みんなが自主的に努力。楽しき口コミ社会。 作品を見る時間よりも文章を読む時間のほうがかかる罠。 (_´Д`)ノ~~オツカレー
ながいよね。
すべてにおいてはいくおりてぃではいれべる。いろんなところにえいきょうをあたえた。なんかいもみるとおもしろい。
要約するとこれだけという。何かもうね。趣味まっしぐらって感じ。 更に長くなるとゆー。
改定
1−2 ストーリー
流れがややスムーズに感じない箇所
ここで八頭身と1さんが意味のない要素。
とあるが、深読みはできる。
妙に八頭身と1さんが仲が良い。
普段は必要以上に不仲な二人なのに。
これはミスではなく、敢えてそうしたのだろう。
お馴染みの定式から外すことによって生まれる違和感、これは普通のAAものではないとAA好きにも思わせる。
謎かけになってるんすね。
これは発表当時、十数年前は「八頭身がキモイ」スレが有名で、八頭身から逃げる1さんという図はAAや2chFlashのたしなみとして有名だった。
それを逆手に取った工夫ある伏線。
ただ他の伏線要素が年月によって洗われることなく鮮度を保った普遍的なものだったのに対し、この部分はちょっとマニアックだったです。言い訳。 夏宵
http://www.w-room.net/flash/flash/natuyoi/natuyoi.htm
1ストーリー 3文章
大きく分けてこの三パートに分かれる。
A思い出(詩的映像)
B手紙(テキスト)
C手紙(文章的映像)
ここで文章表現の、映像とテキストの違いによる、印象の効果についてふれたい。
映像
・文章は時間軸で流れ、浮かんでは消えていく。
刹那的、人の心の中のようにあやふや、過ぎ去っていく、記憶、再生されるもの、現在的。
テキスト
・文章は空間に固定され、そこに頑なに存在し続ける。
持続的、紙と文字によって固定されている、記録、既に書かれたもの、過去的。
効果としては、映像が自分の感覚に直接働きかける、距離的に近い。
に対して、テキストは自分の知性に働きかける、距離的に遠い。
つまり本作の表現構成は、
映像で思い出に親しみを持たせ、次いで手紙でそこに距離を置き、最後に二つのハイブリッドである手紙の映像化で、その近さと遠さの橋渡しをしようとする。
これは本作のストーリーと符合していて、成る程、長文を視覚的に飽きさせまいという見た目の工夫を超えて、表現形式をストーリーに当てはめようとの工夫が伺える。 Aパート
少年時代の思い出。淡く美しい。
おいてきた昨日の 残り香をたより、 夏宵を越えて、 さめない、明日を願う。
で、思い出は閉じられる。そして場面転換、視点の変換。
ここで予想されるのは、「明日」へと場面が飛んだな。的なもの。
しかし、どうも様子がおかしい。
「橋立のお父さんから頂いたおそうめんをゆがいたの」
継がれる言葉は、幻想的な思い出とは反し、とても現実的、所帯的なものだ。
おじさんになった、「あなた」の呼び名から夫婦だとわかる男の愛の告白は、美しいというよりも何か突飛で、ちょっと場違いというか、青春を語るおっさん的なものもある。
つまりAパート単体で見ると、読後感がすっきりせずに、印象も定まらない。
それはBパートへの伏線として配置されただろう違和感なのだが、
クリック→拡大→スクロールの手間がいるBパートを見つけるのはやや不親切で、ここで本Flashを読み終えると不満足なものになる。
Bパート
手紙部分。丁寧に綴られる分、二人の距離感が。
テキスト部分ということで、これも映像の一部なのだが、画面をスクロールしながら追うことで、手紙の個体性、紙的な部分が強調される。
距離感の拡大、それは親し気な語りの思い出から夫婦場面へのAパートから続くのだが、それは手紙の第三者性と、体言止めの多用の詩に対して「です」「ます」の丁寧語によって加速される。
手紙中の隠しリンク、「最初で最後の恋文」をクリックすると、Cパートに続く。 Cパート
その距離感を繋ぐ場面。
「です」「ます」で相変わらず遠いのだが、映像に、時間軸に乗せることでよりAパートに近い、距離感の近さを実現している。
また絵を写さない、ということは画面上に登場人物の男と女を写さない、ことで読者との距離はより近くなる。
つまり二人の容姿を客観的に観察するAパートに比べて、このCパートでは文章は話者である女性の視点として受け止めることになり、一方で受け手である男性の視点として受け止めることにある。
文中で「あなただけがわたし」とあるように。
読み手の視点も、女性と男性の登場人物と一体化するように、「読者=登場人物」として立ち現れていく。
この距離感は「好きです」で最接近し、それでも尚「さようなら」で一気に突き放されなければならない。その距離感の醍醐味。
最後だが、この手紙を受けて男性はどう反応したか。
というのを、男は手紙に涙し、そして恋文を書きながらも別れを告げた女性に対し、何もできなかった。返事は書けないし、また会うことも出来なかった。
というのをAパートで予告している。
つまり唐突だったAパートの最後の違和感も、オチによって回収される。
本作は思い出の、淡さ、それが失われていく時の無常さ、その輝きにとらわれ続ける人の弱さとそこへの離別の決断のドラマティックさを語る。
が、それと同時に思い出で語られる将来への淡い展望、無条件に信じていた明日が、それ以上先の未来によって望まない方向に塗りつぶされてしまった儚さも、ストーリーに切なさを加えている。 2絵、アニメ
絵と写真は主にAパートに使われる。
後半に絵を使わないのは、演出としては正しいのだが、視覚的情報の密度が落ちていくという点でやや失速する印象がある。
写真は田舎の情景を写す。
絵は文では語られない二人の容姿を映す。
ただ、絵はちょっとこなれていない。蛍の表現も難あり。容姿から伺える二人の年齢は、小学生程度と文に比してかなり幼い。
4音
冒頭のピアノ曲が幻想的な雰囲気を作っている。
また文章との関連付けの工夫もある。
ピアノ音と文章の分離 → ピアノ音と文章をシンクロ(安心感、一体感を与える)→ ピアノ音だけを響かせる(自然と文章の隙間を連想させる)
また、そこからの蝉の音の日常感が、現実への場面転換を強調している。
Cパートの音の切り方はやや不親切で、余韻的にもう少し音を流しても。
5インタラクティブ
各パートの繋ぎ方は、マウスクリックが必要で、Flashの特性を生かしたインタラクティブ性がある。
が、それらの誘導はやや不親切で、最悪の場合Aパートを見ただけで物語が閉じられる可能性が高い。
表現として必然の形式だと思うが、そのチャレンジがこなれていないか。
ただし、本作が発表されたのは「Flash文芸祭」という製作者、観覧者が一挙に集い語らう場だったことを忘れてはならない。
つまりこの不親切さは、読者がそれを発見し、それを報告し、伝播しあう。というのを前提にしているようにも思う。
しかし、今になって作品単体として観ると、イベントによりかかりすぎているようにも見えてしまう。 6歴史
文章系Flashでは金字塔的。
が同時に、A、B、Cパートに分けるというFlashならではの表現形式は、他にはない異質性を持つ。
本作の弱点だった絵の不器用さとパート間の連結の不親切さは、後継作「はじまりの人へ」で一定の改善をみる。
7文化、社会
幼い時から持つ純情、文章から伺える知性、輝くところだけを見せる構成。
本作から照らし出される女性は、大和なでしこで凛として美しい。美しすぎるほどに。
現実にはあり得なくね、な高みというか。とても立体的な作風なのに、何処となく漂うファンタジー感。
ただ、現実社会にはない、イデア的なもの、男性の理想とする女性のようなもの、を高い純度で抽出するのも、創作物の醍醐味だろう。
とも思える。 1ギャップ(落差)がある
思い出と現在、子供と大人のギャップ。
ギャップがありつつ、それを埋めようとしつつ、屈する。
2反権威的、背徳感がある
手紙に「大人」という単語が使われるように大人社会へと順応しようとする女性。
が、その心には子供の純な恋心が依然として残っている。そもそも所帯者に恋文を渡す自体、反社会的な行為。
この矛盾したせめぎあいが、滑らかな筆致に緊張感を呼んでいる。
3ストーリーに予想を上回る飛躍がある。
飛躍する。その飛躍を埋めようとする健気な心と、それが叶わぬ儚さ。
4それでも努力している。
文章面は練られている。
そこに留まらずFlashとして何ができるか、までチャレンジは及ぶ。が、その一般化が足らず不親切な部分にもなっている。 長いくせに、わかりにくい。
人はそれを悪文と呼ぶ。呼ぶのだ! 黄色い桜を探して
http://infinity.s101.xrea.com/flash/2004RW/yellowcherry.html
>>45
>>154 >>155
1ストーリー
老人が来ないという転部が鮮やかだ。
伏線もなく一方的に物語が動き、主人公とともにショックを受ける。
>「貴女が突然来れなくなっても構わないんです」
>連絡先はおろか、互いに名前すら知らない。
>束縛は無し、それでいいじゃないですか」
老人からこう言われたら、彼から待ち合わせを放棄する、という予想は立たないじゃないか。
これからも続くだろう当たり前が断絶する、その喪失とだからこそ浮かび上がる大切さは、尊い。
ただ、それを効果的にするためとはいえ、前半部分、取り留めのない日常がゆっくりと進行するので、キャッチーではない。
個人的には好きだが、長尺なのもあって、絵や写真の地味さもあって、ここで閉じてしまうだろうとも思われ、コアなゆるりさ、冗長さとなっている。
>「新宿御苑に黄色い桜、あるんだ……」
の一言に心が弾むのは、
懐かしいフレーズなのと同時に、老人から提案した待ち合わせ場所、しかし都合で行けなくなった場所という、そのもしも行っていたらのIFの連想や、
老人は知っていたのかなどの解釈の広がりが、前の
>あの時の事は夢と同義に成りつつある。
の傷心から閉じられていく弱さから転調して、開けた希望を与えるからだろう。
派手さはない、どちらかと言うと地味な内容だが、それでも驚きと余韻を持ったストーリーになっている。 2絵、アニメ
絵は一部丸みに欠け、角ばっている。ピンクの色がやや垢ぬけない。
アニメは余り動かない。
写真で止まった的な印象を受けるが、全体的に静的で落ち着いている。
AAである必要は余り感じない。
表情が制限されるし、現実的な舞台にはファンタジーなAAは余り馴染まない。
写真も桜が美しい、とは余り思えず、背景となっている。縦線などの演出もノイズのような、ある種汚い印象を感じてしまう。
スタッフロールを観るに、「初代モナー」という渋いチョイス、写真は自分でも撮ったという手の凝りよう。
つまりコダワリを持ってFlashとなった的な、動機的な部分とだから与えられるハンドメイドの暖かさはあるにはあるが。
作者の経験不足が出た、的な拙さは残る。
一人食べるハヤシライスで。泣いた。涙した。的な文章を使わずに、絵で涙を見せて自然と伝える。
腕時計という単語が後に出てくるが、老人との出会い場面にさり気なく絵として描写する。
などの絵の細かい工夫は好きだ。
が、肝心かなめの、黄色い桜の写真に、それ程のインパクトを受けない、不思議で奇麗とは思えない。
ぶっちゃけ、地味。
なのは写真のチョイスや、サイズなどもあるだろうが、もったいない。 3文章
文章がメインとなる。
十分弱の長尺と文章系Flashの中でも密度の高い文章量はボリューミー。
細かな描写に心情が映える。
>和風ファミリーレストランに入った。
>「何でも注文して良いですよ」
>じゃあざる豆腐追加して良いですか?」
>注文にちょっと手間取ったけれど
>私達の前にチーズケーキと紅茶が並んだ。
ケーキ屋の注文に慣れていない。女の子した趣味やデートなどとは、離れている。
むしろ気軽に自然にふるまえるのは、和風ファミリーレストラン。
それでもケーキ屋を選んだところに、うきうきっぷりというか精いっぱいの背伸びを感じて、微笑ましい。
>店を出た後、私達は遠回りして バス停まで向かった。
何故、遠回りしたのか、少しでも老人と長く一緒にいたいから、二人の時間が貴重なものに変わっている。というのを匂わせる描写が素敵。
そうした文章の隙間から感じるヒロインの老人との時間が大切なものになっていく過程と、ヒロイン自身が捉える毎日からの逃避などといったマイナス思考とのギャップ。
冷静になろうとする語り口から覗く、感情と思考のラグに、読者はもどかしく思い。
それが最後の桜が連れた心変わりで、かすかに触れ合うのに、春の温かさを覚える。 4音
一人で考え事をしているシーンでメルヘンな音楽を使う。
>なんか次の約束しちゃったよ
>どうしよう……
と困らせながらも、それが楽しい悩み事であることを伝える。
反対に転部の二番目のデート場面。切ない曲を使う。
普通にデート場面へと続くと思うだけに、何気ない文章の連続なのに、どきどきとするし。
>(……十五分まで、まだ、ある)
の希望的な観測が、裏切られるのが、切なく感じる。
音はさり気なくも効果的にストーリーを補強している。
5インタラクティブ
拘束時間が長いようには思う。
Flashなので一気見せねばならず、クリック後10分近く画面を見つめ続ける。
うーん。
受ける層は限られるけれど、言ってみれば、他には滅多にない醍醐味にもなってはいる。 6歴史
第三回Flash紅白で発表された。
が、作者は大作をこれ以外には出さないこともあって、余り話題になることはなく立ち消える。
いい作品だと思うんだけどなー。
新宿御苑で年の離れた男女の密会。
と言うと映画「言の葉の庭」が連想されるが。
本作はなんとその8年以上も前。
7文化、社会
現実世界を舞台にし、その登場人物も現実的にリアルに描いている。
例えば、女性の口調は必要以上に女っぽくしないし、老人のセリフも誇張されていない。「じゃよ」とか「ほっほっほ」とかそういう記号っぽさ。
だけに、現実へと帰ってくる余韻のふくらみも大きい。
今年は新宿御苑に行こうとか、花見にいこうとか、春が待ち遠しくなったとか。
そういうweb上の創作物が、現実社会への行動動機になる。というのも、なかなかに在りかと。
アイテム的にも微妙な当時性がある。ネットサーフィンはする、だけど歩きスマホで黄色い桜をリアルタイム検索は時代的に不可能。とか。 1ギャップ(落差)がある
老人と社会歴の浅い女性とのギャップ。
老人の年齢を若くすれば、月9的なラブロマンスにはなりそうだが、この年齢差と距離があるから出る味が好きだ。
2反権威的、背徳感がある
毎日へのささやかな反乱。
逢引きには満たない密会の、微妙な振幅よ。
3ストーリーに予想を上回る飛躍がある。
転部には驚いた。
伏線おきーの、整合性計算シーのの、そういうのに慣れすぎちゃいかんっすよね。
4それでも努力している
その転部を不快なものにしないのは、それまで丁寧にストーリーを運んでいるのがわかるから。
この分量で誤字脱字がない。むしろ書き映した自分のテキストには、いぱーい。のは長いスパンで推敲を繰りかえしているから。 ☆【PSP】FFT獅子戦争 ムービー
https://www.youtube.com/watch?v=sctVIyOx6Vo
鮮やかなライティングと水彩画のような塗りがマッチ。
ただ、ゲーム本編だと、チョコボ騎乗兵って使わないんだよなー。 ☆[JSRF]Funky Dealer[KineticTypography]
https://www.youtube.com/watch?v=NPwou2geTbw
映像で緩急をつけて、最後まで疾走した。 わかった。
俺も俺の中のマイトLーヤを探しに、旅を続けるよ☆!
はじめよーか、変態観測、二分後にきみが 映画クレヨンしんちゃん バカうまっ! B級グルメサバイバル ソング
https://www.youtube.com/watch?v=uP8miFZGQoA
楽しく作って、楽しく食べて。美味しさが匂ってくる。 ☆Japan beijing olympics art amazing
https://www.youtube.com/watch?v=fx9B80GxdAo
各シーンの繋ぎに、唸るものがある。 ☆【巡音ルカ】ダブルラリアットに合わせてチャーハンつくるよ!【炒飯】
https://www.youtube.com/watch?v=4ZO3G255V-U
∧,,∧
(;`・ω・) 。・゚・⌒) チャーハン作るよ!!
/ o━ヽニニフ))
しー-J >>235
の逢魔ヶパレヱドが中々に忘れがたい。
実際に夢にまで出てきた。
見返してみて、広がりを感じたのはここ。
視点を女の子に絞って、女の子にも怪物に対してアニメらしいリアクションをさせず、パレードに介入することもなく、無言でこれによってどのような影響を受けたのかもわからずじまい。
これでドラクエの主人公みたいに、キャラに読者自身の視点を投射させている。
語りも母からの「ほら、帰るよ」以外なく、抑えられている。
自己主張が少なく、読者のイメージに任せていて、それが決して薄味にならないのは、個性的な妖怪と街の情景にパワーがあるから。
世界観にトリップする、というのはこういうことか。
妖怪は確かにモダンすぎて、赤ちょうちんの居酒屋とは余りマッチしないのだけど、風景は時折、都会的なものを感じさせてハイカラモダンを狙っていそう。
逆に見たくなったのが、殆ど近現代のビルディングだったら、今を舞台にこの背景技術でどのような絵を描くのか。とか。
そう思えるのも、作品が押し付けず、イメージだけポンとおいて、解釈を読者にゆだねている広がりがあるから。自己厨解釈のレビューなのは、作品の力だと思ってくれ。 ☆aiko-『三国駅』music video short version
https://www.youtube.com/watch?v=fdP9DqRT9i8
引っ張って引っ張って……
はよ歌わんかい! ☆Coldplay - Yellow Flash
https://www.youtube.com/watch?v=OpAmQegLxAg
二人は熟すことなく甘くなることなく、関係を終える。
それが何ともフレッシュな余韻を与える。 3℃グリル。音の響きだけの強引な空耳がいいなー。昔は風刺もあっけらかんだよね。
北朝鮮。近くて遠い国。国民が見えてこないっつーか、一般の人の声や姿がここまで映らないってのもなんだかな。 Nintendo Labo 紹介映像
https://www.youtube.com/watch?v=GAhjrhJx9IU
コントローラを工作で作るというアナログな入口から、トイコンガレージみたいなプログラミング(こうした専門用語を使わないで、親しみやすさを前面に出している)的な応用まで出来て、意外と奥行きがありそう?
子供を主体に映像を出してきたけど、こういうのは夏休みの自由工作的な、親も一緒になって作って、みたいな場面も浮かぶ。ツールの選別からして、釣りにバイクに大人向け、親父向けなチョイスだし。
親子での参加に限定した今週末の体験会で、よりはっきりとその遊び方が明らかになる?
一定の存在感を出せるか、技術デモ的なロンチタイトルでゼルダに話題を譲ったワンツーswitchみたいになるか。(同時期にカービィ本編が出るし)
予想が立たず、興味あり。
段ボールだから壊れやすい。的な意見が多いようだけど、
肝心の電子機器な筈のゲーム機本体が壊れるという危惧は聞かれない。
ゲームボーイからの丈夫神話と、トイ(おもちゃ)コンというネーミングの妙、それにCDからカートリッジへの転換など、ハードの強みがここにも出ている。 ホラーFlashについて。
時事ネタの多くにも当てはまるのだが、旬が過ぎた流行ネタって資料的価値はあるけれど、怖さは大きく目減りする。
何でかと考えてみたけど、「驚き→恐怖」「現実との親和性→見ているこちらにまで降りかかるのではないかという恐れ」みたいなのがあって。
つまり殺人とか幽霊とか非現実のものを怖がるのだけど、怖がる媒体としての日常、現実がしっかり土台にあるのが前提となっている。
>>109
の赤い部屋。
当時は氾濫していたポップアップ広告。ネットで見るたびにウザいと思っていたそれを、閲覧後に出くわしたときにすっと寒い予感がよぎった。
海賊版では実際に「赤い部屋」のポップアップ広告を出す、的なメタな演出を取り入れていた。
けど、今だと、あ、一昔前にあったなこういうこと、って他人事になってしまい、恐怖感は薄い。
映画「リング」が爆発的に流行ったのも、呪いのビデオというアイテムがあって、その映画を実際にビデオで見るからこそメタ的な恐怖を身近に起こし……
今じゃあ、DVD、ネット動画、そういう魔力は薄れた。
じゃあ、そういうノスタルジーと恐怖は、相いれない水と油なのかと言うと、トラウマという言葉もあるように一概には言えない。
廃校になった校舎が、魔力を待つように。
かごめかごめの歌が、怪しく響くように。(人面犬はギャグになっちゃったすね)
スティーブン・キングの小説「IT」が大人から振り返った少年時代の記憶に、生々しい引力があるように。
時代によって古びていくもの、普遍性を持っていくもの、その境界線はわからない。
何なんだろう。
今の恐怖物語の最先端はVR? スマホで取れたり、インスタやtwitterなどから、心霊写真や心霊ビデオが流行るんじゃないかと予想。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています