☆街のしあわせ屋さん
ニコニコより

人知れず街に花を届け、皆をしあわせにし、その自分の咲かせた花のたった一つをプレゼントされることに、自身のしあわせを見出す。
うーん。こーゆーのが、クリエイターであって、サービス精神が豊富な人で、みんなを喜ばせてその輪の中にいる自分にアイデンティティーを見出す、そういう成熟した生き方なのだろう。

雪と花との取り合わせが中々に心憎い。
白地に花が生まれる画面は単純に華やぐし、音同期によって軽快さも備わった。
女の子への好感も、冷たい冬に対する春の使者的なイメージによって、自然と支えられる。

じゃあ、何がいけないかと言うと、テキストっすね。
これ、テキスト、要る?
作品の幅や奥行きを狭めている気がしてならない。
連呼されると、しあわせと言う言葉が安っぽくなってしまう。タイトルだけに絞った方が、効果的。
多分、画面だけの方が、より伝わるものがある気がする。
とにかくこのテキストは、かなりイケてない。

まー、あっしなんて、誰もいない寂れた地下坑道で文句と愚痴とごみと汚物を吐き散らし、迷惑だけをかけ、当然みんなからは白い目で無視され、何も受け取ることはない。
そんで、眩しいしあわせ屋さんに嫉妬し、こういう言いがかりをつけながら、歩き続け、それが虚しくもあり、つまらない人生の暇が潰れた感もあり、ただ地面に向かってにやりとして、歩き続ける。
そんな、自分ですよ。
それでも生きていくんすよ。
(最近、ネガティブなこと書いてますが、書きたいモードなだけで。そんなに深刻に考えてませんから。むしろ思考停止気味の自分に喝)