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◆亀甲船
 15世紀初め倭寇撃退用に考案されたが、倭寇鎮静後は忘れられていた。
16世紀末、豊臣秀吉の朝鮮侵略「文禄・慶長の役」(1592年、97年。壬辰・丁酉倭乱。98年8月、秀吉の死により撤退)を迎え撃った際に、
朝鮮水軍の将軍「李舜臣」(イ・スンシン、り・しゅんしん)が、実戦に使えるよう改良し完成させた戦船(軍艦)。
 左右には、それぞれ6門の砲口。船首には口を開けた竜頭をすえ、上からも砲火を浴びせられるようにした。船尾に亀尾を取り付け、その陰に銃眼を備えている。
敵艦船隊列に飛び込んで突撃戦をすると同時に、片っ端から大砲を撃って敵の戦列を押し倒す、全面火砲攻撃。当に「海上のタンク」。
 李舜臣の指揮する朝鮮水軍は、豊臣方の水軍を各地で破り、その補給路を遮断した。
 李舜臣は、現在も、朝鮮の危機を救った「救国の英雄」として、尊敬されている。
 ソウルの中心部にその巨大な銅像が建てられ、
また閑山島海戦の戦捷の地の統営は李舜臣の号である「忠武(チュンム)」に倣って「忠武市」と改められている。
 韓国の旧500ウォン紙幣(1973/09/01〜1993/05/12)の図柄は、オモテは李舜臣の肖像画と亀甲船、ウラは李舜臣を祀る寺・顕忠祠。
 また、日露戦争でロシアのバルチック艦隊を撃破した東郷平八郎はじめ、明治の日本海軍の将官達がその功績を称賛し尊敬した。