子供のころ、鉄道関係で勘違いしてた事
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
南武支線のワンマン運転は、運賃も車内で支払うと思ってた。 長野新幹線が開通する前、山陽本線の横川駅から軽井沢まで370円(金額は不確か)のきっぷで行ってもわからないと思っていた。 西鉄の駅にて行き先表示「小郡」となってるのをみて
山口県の小郡(現・新山口)まで行くのかと思っていた >>452
大阪には、鉄道どころか高速軌道なんてのが出来ましたね。 子供の頃、運転席の後ろに張り付いていた時、「チーン」という音(ATSの制限速度変更の合図?)がよく聞こえた。
運転室の中でお線香をあげているのかと不気味に思っていた。 「出発進行」は出発信号機の進行現示の確認じゃなくて発車の合図だと思っていた >>459
(当時近鉄)養老線が常に『出発注意』ということに違和感を持っていた。
そもそも速く走れないという制限が付いていて、
無くなってしまった揖斐線の方が飛ばしていた。 >>390
「複線」でワード検索したら先に書かれてた、これマジで思ってたわ 勘違いというか、時刻表の路線図で東海道本線のとこに京浜東北線と書いてるのが意味が分からなかった 山形新幹線 つばさは、東北新幹線区間内のみでの利用は禁止されていると思い込んでいた。 >>466
禁止ではないが、福島以北ユーザーのためになるべく使わないのがマナーだと俺は思ってる。
こまちも同様。 >>467
車両が小さい上に、わりと混んでいるから
わざわざそっちに行くメリットはないけどね 出発相当進行のソウトウは単なる掛け声だと思っていた。
なんで出発と進行の間に掛け声を入れるのか、不思議だった。 山手線103系の所属表記、「北イケ」は」東武東上線、北池袋駅の真ん前だから、「南シナ」は品川駅の南側なんだろうと思っていた >>474
窓口氏に「篠ノ井線の松本まで」なんて言うとちょっと考え込んでしまうらしい。 松本と言えば…
S60年頃に松本市内に住んでたんだけど、デビュー間もないユーロライナーの臨時列車が来るのを友達から聞いて、
自転車かっ飛ばし、ホームで待ち構えていたら遠目にEF65PFが!なぜなぜ?と大興奮した。
近づいて来たが、やたらブロワー音がうるさいし、色もなんか違うぞ???と思ったら… 沿線である京成しか知らなかったので、
当時の新車である国鉄201系の図面を見て
「ドアが4つあるから間違いだ!」と頑なに信じてた >>478
昔、たまたま総武線に乗ったとき、「この電車は中央線直通、各駅停車、三鷹行きです」というアナウンスを聞いて、中野までが総武線、中野から先が中央線と思い込んでた。 小さい頃、大阪環状線のホームに来る桜島行きは鹿児島まで行くと思っていた
乗ってる人は座席に座ったまま寝るのかなと不思議だった 腕木式信号機は、列車が通り過ぎれば、進行から停止に自動的に戻ると思っていたこと。 運転停車という概念を知らなかったものだから、
駅の構造上どう頑張っても通過できないのに
時刻表に「レ」の記号が付いているのを見て、
何か未知の特殊技術でのおかげで停止せずに走り続けられるのだと思った。
(例えば長岡駅での高崎方面〜富山方面) 窓が少なく、窓に牢屋のような鉄の保護棒が付いた郵便車や荷物車の中で仕事をしている人は囚人だと思っていた。 一両編成の電車は見習いが練習しているのだと思っていた。 ハンドル(マスコン・ブレーキ)で舵取りをしてカーブやポイントを曲がって走るのだと思っていた。 夏の首都圏の国鉄各線で行われていたアイスクリームの販売は鉄道営業に付属した旅客サービスの一環だと思っていた。 常磐線大津港駅は豪華客船とか、長距離のカーフェリーが出るような港の最寄り駅だと思っていた。(実際は漁港です) ブルトレの尾久→上野の推進運転の場合、弱い力ではあるが電源車が牽いていると思っていた。 大阪は新幹線でしか行けないと中学生まで思っていた。 ビュッフェのカウンター下の荷物置き場を子供用のカウンターだと思っていた。 「電気ブレーキ」とは電動でブレーキシューを動かす摩擦ブレーキだと思っていた。 東武野田線の新型車(3000形)は伊勢崎線と比べて線路の手入れが悪いから旧型車のような音がすると思っていた。 >>497
5000系が走り始めたとき見かけ8000系と変わらぬ車体で騒音と振動が激しいので
「故障してるのでは?」という苦情が多数寄せられたそう。 ディーゼル機関車は
凸型が液体式、箱型が電気式だと思っていた。 103系なんてそう簡単になくなりゃしない。どんだけ丈夫に作ってあると思ってんだ。
夜行列車なんかいつだって走ってる。みんな飛行機とバスだけでいいとは思ってない。
地方ローカル線が赤字ったって、そこに住んでる人がいるんだからさ。
俺がバカだったのか...orz 密着式連結器の構造を理解出来なかったオレは「あれは磁石でつながっている」と思っていた。 下関〜門司の海底トンネルって、「海底の下の地中にあるトンネル」ではなく、「海底の地面上にあるトンネル」だと思っていた。 海底トンネルとはそういう構造のもので、壁の外は海水と思っていた
東京モノレールに初めて乗った時、地下区間への入口が運河にあるように感じたので、何故トンネルが水没しないのか不思議に思っていた >>504
そして自分は海底上のガラス張りトンネルになってて列車に乗りながら水族館のように魚が見られると思っていたが初めて関門トンネルを通ってただの真っ暗なトンネルだったのでがっかりした。 綾瀬とか我孫子という所に行ったことがなかった当時、
代々木上原で地下にもぐる千代田線の電車を見て、
終点まで地下を走り続けるのだと思った。 信号機には「おしべ」と「めしべ」があると思っていた 貨物列車の車掌は正直言って"遊び"みたいなもんだと思っていた。 512(σ´∀`)σ ゲッツ!!
512キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
512(・∀・)イイ!! 「機回し」という鉄道用語を覚えたものの、それは、
転車台で車両(特に蒸気機関車)を180度回転させることを
意味するのだと思った。 ラッセル車ってキャブも前照灯もあるから自走出来ると思っていた。 新京成の京成津田沼〜新津田沼間の線形は受狙いで敷設されたのだと思ってた 多少、年齢がいっているとか偉くないと冷房車や新型車に乗務出来ないと思っていた。
年齢がいっている人で古い電車に乗務している人は、罰として乗らされているとも思っていた。 >>510
実際特段トラブルがなければなにもすることがない「遊び」だったらしい。 鳥羽・伏見の戦いの鳥羽を三重県の鳥羽だと思っていた(正解は今の京都市南区) 鹿児島本線と日豊本線の境目は「鹿児島」ではなく「西鹿児島」だと思っていた。 苛性ソーダと書いたタンク車はソーダ水を運ぶ貨車だと思っていた。 東京駅からこだま、または新横浜停車するひかりに乗って新横浜で降りてしまう人は
列車を間違えたのだと思った。 線路内の幅の違いは、車軸にバネをつけて車輪の幅を広げたり狭くしたり自由にできるようにすればいいと思っていた。 東北・高崎線の新宿行きは浦和が「||」なので大宮から埼京線を経由していると思っていた 子供の頃、改札鋏を休まず早く動かせれば鉄道会社に入りやすいと思って家の鋏で練習していた。 架線はパンタが触れる部分以外は普通の電線みたいに被覆してあると思ってた
考えてみたら被覆してあったら吊れないよね・・・ 113系や115系をクモニが牽いたり押したりしているから、新しそうな電車なのに吊掛けの電車みたいな音がすると思っていた。 草津温泉は京都から新快速で行く場所だと中学生の頃まで思っていた。 電車にも男・女といった性別があると思っていた。
走行音で区別できて、低音を出すのが男、高音を出すのが女といった具合。
1970年代の京成電鉄の場合、緑の電車は男で、赤とか銀色の電車は女と認識した。
のちにいろいろなことを学び、
前者は「つりかけ駆動」、後者は「カルダン駆動」であることを知った。 DD13やDE10の運転士は運転するのに外に背を向けて姿勢がだらしないと思っていた。 人身事故は東京以外では起こらないものだと思っていた(小学生の頃東京の新聞では東京以外の人身事故の記事はなかったので)。京阪神や地方の人はメンタル強いと感心した。 パラレルワールドという言葉があるんだから、シリーズワールドや弱め界磁ワールドもあるんだと思っていた。 鉄道が通ると井戸が渇れると聞いてバケツに水を汲み置きした。 昔、山陽本線の153系急行「とも」は友達のとも、と思い475系の「はやとも」は
何で友達が早いのかと思っていた。 昔子供のころ母親と田舎へ行くのに快速姫路行きに乗るために大阪駅5番線でのこと。
当時は快速80系だったが、母親が時刻表を見てつぶやいていた「16時35分か・・・」
俺「母ちゃん今4時だよ・・・」・・子供は24時間表示を知らなかった・・・・。 >>537 とは少し話がずれるが、山陽線に153系「びんご」があった。といってもビンゴ
ゲームと取り違えたのではない。まだビンゴゲームが一般的でなかった頃だ。
大人になってから娯楽でビンゴゲームをするときに、あと一コマに達すると大声で
「ビンゴーッ」と叫ぶのが、今となっても気に入らない。あのゲームもっと他の名称
は無かったのか!! まだ昭和30年代の初め頃、地下鉄があるのは東京・名古屋・大阪だけだった
と思うが、3歳位のときに両親と揃って御堂筋線に乗ったら、2〜3分おきに
車窓の景色が急に昼になったり、夜になったりと変わったのは驚いた。
地下を走る電車というのが理解できたのはその後4年位かかった。 >>541
「あと一コマは「リーチ!」だな。 そうだったナ。ありがトン。 >>537
とも・はやとも
修学旅行列車だと思っていたよ 「参院選の公示」を「山陰線の工事」だと思っていた自分は「ロッキードのお食事券」だと思っていた。 >>543
確かだいぶあとで、修学旅行専用列車「ひので」「きぼう」のような色の167系か
で「友情」が走っていたので、そう思われたと思います。 小学生の時に両親と大阪から京都へお参りに行くのに80系快速(内側線)に
乗っていたら、外側線をEF58+旧客列車が中学・高校生位を満席にして併走
していた。親が「集団就職列車だ!」と言っていた。オレは何の事だか分からな
かった。修学旅行とどうちがうのか? これを知ったのも10年位あとのことだ。 連投スマソ。丁度同じような頃、東海道線上りの80系快速に乗車中、大阪駅進入
時に72系各停が併走して到着しようとした。親が「向こうの電車、速度落とせよ、
速度落とせよ」というので72系の床下から下へ何か落ちるのかと凝視していたが、
結局何も落下しなかった。俺は言った「何も落ちないじゃないか!」 昭和55年に、現天皇陛下のお好みのタイプ歌手「かしわばら よしえ」がデビュー
した。TVの字幕に「柏原よしえ」と表示されていたので、キハ35しか停まらない
「かしわら よしえ」とは何と田舎臭い名前だ!と思ったが実は東海道線関が原の
隣の駅と同じ読みだった。 どうせ、ふりがな付けるなら福知山線の急行停車駅
「かいばら」にすればいいと思った。 車内洗面所にあった痰壺を子供用洗面器だと思っていた。 >>549
痰つぼ、オハ35・スハ32等の旧客には昭和30年代まで、客室内通路に5箇所ほど
銀色金具のものがあったが、よく足を引っ掛けてこけそうになった。「何と意地の悪い
物、穴ぼこが有るのか!」と憤慨した。それが痰つぼとわかったのは、大分あとで、
客車の設計図を見るようになってからだった。 電車の屋根上の話。パンタグラフの横に大きな丸い缶が載っていたのを見て、
これはパイナップルや粉ミルクの空き缶をグレーに塗って置いてあるものと
思っていた。「避雷器のカバー」なるものという理解は微塵も無かった。 >>550
オレの思い違いだといけないので調べてみた。下記のとおり車両内通路に存在した。
長文スマソ・・・
この省令により、駅には痰壺の設置が強制されたのだった。それだけ結核の撲滅は富国強兵の内憂の最重要関心事であった。
現在のノロウイルスの比ではなかったわけだ。この省令は、そののち昭和の戦後になっても、
昭和26年の結核予防法に受け継がれ、平成17年4月1日に結核予防法施行細則第16条が改
正されるまで、たん壷の存在が規定されていた。また肺結核予防規則の第5条にあるように、駅だけでなく客車内にもその設置が義務付けら
れた。 昔、子供の頃はどこの百貨店にも鉄道模型売り場があった。ショーケースに
並んでいるO・HOゲージは他の品物の値段が判らない子供にも高い値段が
付けてあるのが判るのが不思議だった。帰宅途中で阿倍野橋の上からや
天王寺駅で大きな車両実物を見るたびに「鉄道会社はえらいお金持ちなん
だな」と驚嘆・絶句していた。 ステンレスのキハ35を高崎で見て、八高線には地下区間があるのだと思った。 555(σ´∀`)σ ゲッツ!!
555キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
555(・∀・)イイ!! 神奈川県で育ったので、「中の島ブルース」は南武線沿線を背景にした唄かと思っていた。 そういう俺はここ45年来、大阪淀屋橋の中之島だと信じきっていたョ・・・・・
柳ヶ瀬ブルースも北陸線の難所を歌った歌ともそうだった・・・・
美空ひばりの塩屋岬も山陽線・電鉄が併走する須磨付近の歌と思いきっていた。 俺は以前 >>550 痰壷についてカキコした者だが、昔は結核病は不治の
病とされていて、特効薬もなく空気の清浄な高原療養所(病院)に隔離
され室外での日光浴が唯一の治療法とされていた。しかし映画に出て
くる医師・看護師は普通の服装で患者と接している。山本富士子・菅原
謙二主演の「月よりの使者」は中央線富士見駅 久我美子主演の「江ノ
島悲歌」は江ノ電沿線の海岸沿いにある隔離病院が出てくるが、普通
の看護服装で患者の傍により沿って本を読んで差し上げている。
近時の新型コロナウイルスとはえらい違いだ・・・ 「鉄」の話題を脱線し
てスマソかった・・・ 「ピアノレッスン生 処女レイプ」を
ぴあのれっすん なましょじょれいぷ
だとずっと思っていた 関西在住だが、東海道線の尼崎〜東淀川を乗車する際、大阪駅の手前で
1000m位の大きな川を渡り、大阪を過ぎるとまた同じ位の大きな川を渡って
いた。何故こんな2本も大きな川を渡るのか解せなかった。西淀川と東淀川
とはそれぞれ別の河川だと思っていた。大阪区分市街図に西淀川区と
東淀川区が別項で載っていたからだ。 公社時刻表や運賃表には川が掲載さ
れていなかったのが原因だ。中学2年までそう信じていた・・・・・ >>544
「現場には規制線が張られ〜」という報道を聞くたびに紀勢線に空耳してしまう
近頃だと将棋の棋聖戦もね 運転士が運転室の遮光幕を降ろしているのはマンガを読んだり、ものを食いながら運転しているのを見られるのがマズイからだと思った。 小柳ルミ子の歌「瀬戸の花嫁」でいつも思っていた。海がまったく見えない
山陽線 上郡・三石・吉永・熊山・和気・瀬戸・万富には合わない歌だな。
「万富の花嫁」「熊山の花嫁」 友人の結婚式披露宴で一人1駅ずつ順に
歌ってやろうかと言ってやった「万富は〜日暮れて」「熊山は〜日暮れて」
と、時間潰せるぞとな・・・・ >>565
オレも三原〜呉〜広島を暗唱できるようになっていたが、やはり「カイタ シ」
と覚えていた。実際に乗車すると「イチ」だった。 五日日・廿日市はちゃんと
イツカイチ・ハツカイチ・ミヤジマグチ・オオノウラと暗唱していたのだが・・・・ だいぶ昔、広島発のディーゼル急行「ちどり・たいしゃく」があったが、
ちどり=千鳥で意味が分かっていたが、たいしゃく=?だった。何か
金銭消費貸借のような気分だった。帝釈峡からの由来というのを知った
のはごく最近のことだった。 昭和53年に堀内孝雄が「君の瞳は10000ボルト」という歌を歌いだしたが、
新幹線や交流電化区間はそんな衝撃的な光を発していなかった。敢えて夜間に
新幹線0系に多く付いていたパンタの発光が目立った位だ。あの歌は本当に
「嘘つき」だ!と思った。 東武快速急行「だいや」はダイヤモンドに由来すると思っていました。 鉄道からはずれるけど、東名ハイウェイバスはスケルトンの車体で乗客が外から丸見えだと思っていた。 構造を知っている人はわかってもらえるかな。
小田急の新宿駅で、地下改札から地上ホームに向かうときに階段を上るが、
途中の踊り場を直進するのと180度方向転換して上るのとでは、
たどり着くホームが違うどころか電車の方面も異なると思った。
「こっちの歩き方だと町田方面に行けるのはわかるが、
もう一つのルートだとどこに行く電車に乗れるんだ?」 >>569
ダイヤグラムとか変な名前
界磁もそうだが カイコの1齢幼虫「けご」は東武特急「けごん」から来てるものだと思っていた SL59・62の牽引する客レ急行のヘッドマーク「あき」は平仮名表示なので
いつの季節でも「秋」なのは驚いた。 安芸と知ったのは中2の頃だ。その頃、
同級の女の子がいつも土曜日の午後からはウチに遊びに来いといってくれて
いたが、俺は「変な事を言う奴も居る者だ?」と不思議でならなかった。
俺は寧ろ近所を走る旧国電車の方が何倍も好きで好きで吊りかけ音を聞き惚
れに走り回っていた。今思えば本当に惜しいことをしたと後悔の日々だ! >>574
俗に言う女のコの発育は男よりは2年位増せるというが本当にそのとおりだと
痛感した。女のコを見るゾクゾク感、目の保養よりも、俺は寧ろ、クモハ60の
原型あり、ノーシルノーヘッダー、半流、平妻、サロハ改造車、73系との混結、
サロハ66改のサハ78010(4扉化)を眺めてゾクゾクしたアホだった・・・・・ 特急「かいじ」が登場した小学生の頃、駅アナウンスを「ハイジ」と聞き間違え、「アルプス」と「ハイジ」か国鉄もなかなか洒落たことをするなと思った。 ダイヤグラム diagram は、スジが交差して菱形ができるからダイヤモンド図表と呼ぶんだとずっと思っていた >>576
かいじはその前の165系急行の頃からあった。
そして河口湖行の急行「かわぐち」と併結で時刻表には「かわぐち・かいじ」と書かれてた。
その後に出たミリタリー漫画の作者のペンネームはこれにちなんでるのかと思ってたら
本名が「川口 開治」だった。 黄緑のEF58+スハ44系のつばめ・はとに乗車していた「つばめガール・
はとガール」は編成全部に乗車して、お世話をして呉れていたものと思い
こんでいたら、優等座席専用要員でハザ部分には関知しないことを先月
見たyoutubeで知りがっかりした。しかしあの頃の娘さんは今で言う45歳
位のおばさんより太くて老けてみえるなァ・・・・・・ 乗らなくて良かった。 中山競馬場の最寄駅は横浜線の中山駅だと先日まで思っていた。 新幹線は高くて一生乗れない乗り物だと思っていた。
まぁ、せいぜい乗ったとしても一生の内に3回くらいだろうと思っていた。 >>582
そんな新幹線を、だれが近時のような朝夕の通勤ラッシュ並みの発着本数
になると想像していたであろうか。そんな俺は最近乗ったのはもう23年前の
ことになるが・・・ それでも生まれてからは4往復と1回片道だ・・・ 幼少の頃から親によく言われていた言葉「いつまでも有ると思うな親と金」
があったが、これに付け加えるか、改変して聞かせてくれて欲しかった。
「いつまでも有ると思うな鉄道車両!」 子供の頃はいつまでも電機EF58や
旧国電車・旧式客車があると錯覚していた。ところが無くなりだすと早い早い
ものだった。大好きなモハ80や153もあっという間に無くなってしまったなァ
・・・・・・ 無くなってからもはやそれらの生きた車齢を15年も超過してしまった。 小田急ロマンスカーはカップルでないと乗れないと思っていた。恋人がいない奴は急行(当時は2200系か2400系だったかな)で箱根湯本まで行くのか〜、と小学校低学年ながらに思った。 >>585
俺の小学校低学年の頃は、ロマンスという単語の意味なんて知らなかったな。
むしろ、ロマンという単語もあるので「ロマン・スカー」と区切っていた。 モハ80系や153系の連結面の渡り板は3枚に分かれていたのが好き
だった。殊に80系の連結面、幌の幅が広いのも好きだった。今後の
車両はすべてそういう構造になっていくと思い込んでいた。大阪地下鉄
の5000型も旧7000・8000(後に30系)もそうだったが、何が災い
したのか・・・・・・ 国鉄の貨車、昔は小学校横の文具店で木製のキット(Oゲージタイプ)
また田宮模型が貨車シリーズで(HOプラ模型)を売っていた。
トラ45000以外の貨車はあまり見かけなかったのか・・・
貨車トラ45000は「虎」を積む貨車だと思い込んでいた。 昔の貨物列車は2軸で黒々とした編成が長々と続いて走っていた。その中で
ワム23000を2回り小さくした物「ワ」も挟まれて走っていた。子供の頃、
それはワム23000が産んだ子供だと思っていた。人工的に作った物では
ないと・・・・・・ 東急5200形は何かの手違いで出来た失敗作で、作ったからにはもったいないから走らせているのだと思っていた。 「はしれちょうとっきゅう」の歌を聞いて、新幹線の最高速度は250km/hだと思っていた。 蒸気機関車の列車は走っていないのにどうして汽車というのか >>502
「汽車」の表現、よくあったなァ・・・ 何時の汽車に乗って行くとか。
ひどいのは松山恵子の「お別れ公衆電話」 〜なにも言わずにこのままそっと
汽車に乗ろうと思ったものを、駅の喫茶の公衆電話、いつかかけていたあ〜
一般的には汽車(機関車)には乗せてくれない、乗るのは客車だなァ・・・ 子供の頃の話でなくてスマソ。 visitoreとpassngerとの違い。同じ「客」
でも乗客はvisitoreとは言わない。ただ幼少のころは近鉄特急のビスタ
カー (vista car)を visitore carという由来と思っていた。学生で麻雀
をするとようになり、あがりの役・手で「客風三刻」があったが、この「客」
はどっちの意味からくるのかとうとう分からずじまいだった・・・・ 幼稚園の時、正面にある行先や種別表示の「柏」や「荷」などの一文字の表示が怖くて、悪いことをするとあれでお仕置きをする場所に連れて行かれると思っていた。 ぼくのまちの駅には、貨車ばかり来て、乗せてくれる汽車が1本も来なかった
国鉄は大赤字で汽車を走らせてくれないんだと思っていた
ぼくのまちの高校が夏の甲子園に県代表で出場したとき、応援列車がその駅から何本も出ていった
国鉄、やればできるねか
国鉄の社長に、毎日走らせてと手紙を出そうと思った当時小学3年生のぼく
それが貨物専用線であることを学ぶまであと2年かかった 中央線沿線育ちだが、どうして普通の方が特別快速より停車駅が少ないのかわからなかった。 小学1年になる頃、HOゲージの入門セット(EB58+客車)を買ってもらった。
しかし思ったことは、EF58+スハ32連の実物に乗って田舎へ行くときは走れ
ば走るほど遠くへ行き、違う景色が見れるのに、HOの円形線路だと同じ所へ
戻ってきてしまう。子供には不思議だった。大阪環状線のループラインの超
ミニミニ版と知るのには2年ほどかかった。 その前に幼稚園に1年通った、いつもお絵かきの時間には各自、白画用紙
帳に好きな絵を描くのだが、他の皆は車、人、花、家等といろいろ描いてい
たが僕だけは、(丁度、今でいう模型線路レイアウトプラン)の線路引き回し
図、ポイント図ばかり描いてなぞっていた。車両はまったく描かなかった。
しかも他の誰よりも画用紙帳の消費が早く、親が困っていたが幼児には金
銭の負担は判らなくった。その理由は不明だが、物凄く楽しかった。 小学校低学年の頃、夏・冬休みには毎日の絵日記が課題されるのがとても
嫌だった。線路の絵ばかり描いて出すわけにはいかない。大学へ入り、鉄道
クラブへ入った時、芦屋のボンボン育ちの者が小学校時代の絵日記を持って
きた。それには「今日も婆ちゃん、母ちゃん、女中とまあじゃんをやりました。
ぼくが勝ちました(ぼくの手、4人各自の配牌図)」とばかり描いてあった。
僕は思った。「そうか、絵日記とはこう描くものか、そいつは偉いなあ」 また続いてスマソ。田舎へ行くのに天王寺〜大阪まで乗る城東線は停まっては
すぐ発車するのに、大阪駅から乗り換えたスハ32系客車の列車は急いで早く
走るのに、神戸だったか三宮だったか知らないが、なかなか発車しない。イライラ
して窓から前方を覗くと機関車の次位の客車のところでオジサンたちが次々と
大きな袋を出し入れしていた。思った「客車列車を走らせるのはホント、大変だ
ナ・・・・」と。 >>595さんのカキコで思い出した。
幼児の頃たまに茶色い電車の前面に「配」と書いてとまっていた電車を見た。
何をいい物を配って走るのかまったく理解できなかった。 お菓子だったのか
それとも何か?? 成田民だけど、八日市場 は 妖怪千葉で、怖いところだと思ってた >>604
大阪民だけど、「てんま」は天満と思わずに天魔と思い、怖くて空ばかり
見ていて、早く駅を出ないか、と願っていた。 小学校の時、授業中に教師が皆に尋ねた。将来大人になればどんな仕事に
就きたいか?と。俺は答えた「電車の運転士」 その後に続く各自の答えは
マチマチの事に非常に驚いた。皆あんなに楽しい仕事があるのを知らない
のかなァ・・・と。 其の頃は飛び込みも踏み切り事故があっても機関車・電車
の方が勝っていた・・・・ 国鉄の「乗客専務」の"専務"の文字を見て、スゲー偉いひとが車掌さんをやっているんだと思った。 >>606
わたしも聞かれて「鉄道員」と答えたら
「夢がない、つまんないこと言うねえ」と教師に言われた
ひどい教師だ、と憤った >>609
昔はさすがに「乗客専務」になるとダブルのスーツを着て、ある程度の歳の
せいか落ち着いて貫禄がある顔つきであった。「あそくに・うんさい」など併
結列車の発車の際は窓からホームへ顔を出していた。更に上役に「車掌
長」というのが居たらしいが、その腕章をした人は見たことがない。 自家用車もそうだが、運転中の前照灯のハイビームとロービームは心で念じて切り替えているのだと思っていた。 >>611
そういや昔は特急の乗務員だけ白い制服着てた記憶があるな
今もそうなのか分からんけど >613
オレは611カキコだけど、夏は急行・特急は白麻の制服を着ていた。国鉄忘れ物
市(百貨店主催)で1着500円で買った。青の服も500円・帽子も・ズボンも500円
だいぶ大人買いをして、友人からの模型売買にお金の支払いの代わりに渡した。
大人になって、会社勤めの先輩に白麻服を贈与したら、当人は非常に喜んだが
ヨメサンにえらい怒られた。「頼むからうちの主人にあんなものやらんとって、会社
へ着ていくと言って聞かない、恥ずかしい、困る」 誰も会社へ来て行けとは言って
ない。 女は何でも人のせいにする悪い奴だ! 子供の頃、母親が教えてくれた。「汽車の前のライトはお湯を沸かして灯けるのよ」
オレは思った。どこにもヤカンを乗せるとこは見当たらないのに・・・・。
その頃、SLは蒸気を作って走らせるのだはなくて、石炭を焼いた煙で走らせている
だから、上の煙突からも下からも煙が出ているのだ!と。 >>615
あーーー、思い出したわ
オレもSLは、石炭の煙で動いてると思ってたなー 昔、東海道本線の普通列車のグリーン車をよく利用していた時期があり、グリーン車の車掌さんでも普通の車掌さんの服でしたが、ある日「銀河」に乗って大阪で降りたら、前に東海道本線のグリーン車で見た車掌さんが白服着て大阪のホームにいるんですよ。
ですから、同じ車掌さんでも「乗務する列車」によって白服か普通の服か・・・なんでしょうね。 中継信号機の話、正規の信号機への見通しが悪い所には手前に円盤型の中継信号機
が立っているが、ちょうど、子供の頃各家庭でお手軽にたこ焼き(8個位)を作れる円盤
たこ焼き器が流行った。同じ形の物に電気が縦3個・横3個・斜め3個と点灯しているの
を見て、何がどう違うのか、全くイミフ??だった。使い古るしをたこ焼き器として売って
いるのでは?と思った・・・・・ 同じく、大阪地下鉄の中継信号機の話。上記と同一の意味だが、正規の信号
機の手前、50メートル位の所に設置されているが、上から赤・黄と一番下は青
では無く、紫色だ。此れも意味が分からず何故、紫なのか?なぜ次の正規機
が容易に見えるような間近に同じ形の物が立っているのか?イミフだった。 そんなに子供の時代ではないが、(中学) なけなしの小遣いを貯めて、
旧型国電ガイドブック等を買ったが、「引き戸 と 開き戸」 の違い、
「戸袋窓」の意味が大分遅くまで分からなかった。何故、戸に袋が付いて
いるのか見たことが無い・・・ また友人が学校の教室の机の下の物入
れ「引き出し」を「押入れ」と称しても間違いではない。と言っていた・・・ >>617
それ、その車掌さんがランクアップして長距離組になったからだと思うけど 車掌等の乗務員にも冬服と夏服があり、各駅停車の車掌は半袖のカッター
シャツを着用乗務しても乗客には無礼ではないが、グリーン車、優等列車
で夏季に半袖カッターの着用姿は見た事が無い。従って風通しの良い白
麻系の長袖上着を着用で乗務していたと思う。 >>617さんの意見は間違
いでは無いと思うが・・・・ >>619
大阪地下鉄の中継信号機・予告信号機について調べた。地下鉄のトンネルの
断面が小さいので、国鉄と同じような大きな中継信号機は設置できないので、
普通信号機と同じタイプの物を設置して、最下段は「予告だよ」という意味で
紫色を点灯させているとのことだった。やっと50年ぶりに理解できたナ・・・ >>613
白いのは夏服やないの?
小田急ロマンスカー担当は年中クリーム色だけど 小学校の授業で運転所見学いったけど
給水タンクがあるのなら便所の汲み取りタンクもあると思ってた 子供の頃、昭和30年代後半、散髪屋での順番待ちで読んだ「まんが王」
という週刊誌内に「20年に1度しか使われない地下鉄のポイント」があっ
た。内容は、少年2人が勝手に線路内に入り平行ポイントをいじくり、
駅の出口を出たら、空襲被災翌日の東京の街へ出てしまlった、また戻っ
てポイントを元に戻したら、現実の世界に戻れた。という内容だった。
1970年の大阪万博の時に、終点千里中央駅に着く前に大きく右へカー
ブして走るが、車窓の外を見ていたら、使われていない謎のポイントが
あり、あの直複線はどこへ繋がっているのか不思議だった。まさかあの
散髪屋で読んだ例のポイントではと脳内で蘇った。その答えを最近you
tubeで見た。もはや設計当時から、万博終了後の新千里中央駅の準備
が施工してあるだけの話だったが、子供心には非常に恐怖だった・・・・ >>627 上記の「答え」はyoutube 桃山台 千里中央駅 で検索の結果
一覧での内、
【廃線跡】 地下に残る「会場線の跡」を調査しましたの中ほどで出て
きます。 >>606で、小学時代の将来の夢は「電車の運転士」とカキコしたが、
中学になり、友人にHO模型を教えてもらい、それ以降は百貨店の
「模型売り場の店員」が夢になった。夜勤は無いし、事故に逢わなく
て安全だし、天気の心配も無い。しかししばらくすると知った。彼らは
百貨店直々の社員ではなく、テナント料を支払って入店している個
人商店的企業の社員なんだ。と・・・・迷った。 駅本屋 を駅の本屋(bookstore)と勘違いしてたw。 全列車が通過する北鹿島駅(当時)は何のためにあるのかと思った。 昔TVの「鉄道公安36号」を見ているといつも103系の走行音が、短尺軌条
をはしるガチャガチャ音ばかりなので、オレの住む大阪とはレールの長さが
違うと思った。本当はどうだったのだろう?・・・・ >>633
ひどい番組だと新幹線の発車音がつりかけモーターだったり。 >>634
映画で電気機関車の音が蒸気機関車ということも。 ある日、大阪駅で列車案内板(天吊の横型パタパタ切り替え表示)
を見たとき、 急行だいせん「 浜 田
大 社」 を見たとき驚いた。
浜の下に大、 田の下に社 と書いた新しい漢字は何と読むんだろう
??・・・・何のことは無い。 パタパタが横長だったからだ・・・・・ 44歳だけど、つい今月に知ったことがあった
架線の吊架方式の「カテナリー」を、「カナテリー」だと思っていた。
誤植しやすいから、きっと誤植をそのまま記憶してしまったんだと思う
懐かし板でも書いたけど、「ガスタビーン車」これも誤植をそのまま覚えていた。
(こっちはもっと早く気づけたけど) 今では当然だが、中学時代、国語の試験で「相対的」の反対語を
書せ、とあったので「島的」と書いて出したら、×が付いて返って
きた。何故か分からずに悩み同級生に打ち明けたら「絶対的」と
書くんだと言われた。 また数学。物理の試験でも度々間違った
テストに×が返ったので、検算すると、計算式8×9=72 とできる
のに、9×8=79 としていた 俺の頭内の72はモハだった
よく76とか86とか55と書かなかったものだ・・・・鉄チャンは損する。 510形が爆走していた名鉄と、いまいちやる気のない走りの近鉄養老線を乗り比べて
近鉄も600Vなのかと思っていた。
でも無くなってしまったのは名鉄… 名鉄が無くなってしまった遠因は国鉄分割(により大垣駅の乗り継ぎが便利になったから)か。 >>638
↑1番目を読んだ瞬間はイミフで「?」だったけど、
あとからニヤっとさせてもらいました。面白い。
でも2番目はちょっとネタっぽいかな >>638 さんへ >>642のカキコだけど本当の話だ。毎日阪和線の60・55・72
に乗って通学していたせいもある。複雑な計算の答えがどうしても正解と合致
しない。何回しても合わない。よくよく考え直して見てみたら、一部分に9×8=
79にしていた。良く気がついて、大学入試でこんなミスを犯さなかって良かった。 上記訂正します。
>>642さんへ 638のカキコ にします。スマソ。 >>638のカキコ 「相対的」の反語を「島的」と書いて×を喰らった話を
大学の鉄研クラブで話したら言われた言葉が、「何故、鉄道用語辞典
を持って国語担任のところへ、ゴルア! 島式と有るじゃないか!」と
抗議に行かなかったのだ!・・・・・ >>643
なるほど。脳味噌がとあるほうへ支配されてると、咄嗟にそっちしか考えられなくなるもんな。
面白かった >>646サン 信じて頂きどうも有難う。さすがに 9×8=79300とか
79066とかに書かなかったものだと思います。 >>637
>>639
45歳だけど、今時点までずっとカナテリーと思ってた。誤植か何かをみて覚えてたのかな… 中央線や京王線を利用していたが、国鉄の急行のように京王線の急行も
急行料金が必要なのだと思っていた。 >>648
まだマシな方だwww
俺は東武の「りょうもう」に乗った時、メーカーズプレートの「アルナ工機」を見て、ついうっかり(ry・・・。 キハ11や旧型客車はクロスシートだから料金が必要なんだと思っていた。 昭和52年の夏、山陽線の姫路〜岡山間はまだ115系が入って居らず
80系300代6連を主体としたほぼ全部が各停運用で90分をかけて
走行し、オレもラジカセを携帯、録音し、家に帰ってはそれを聞いて悦に
入っていた。其の中で「快速80系」があるのを見つけ、さぞかしぶっ飛ば
し高速で走るMT40の吊り掛け音が録音できると大いに期待して乗り込
んだ。しかし実に乗車してみると、運転時分は各停と同じ90分で、ただ
半分の駅には止まらず、それもゆるく転がしてばかりの走行で、全く期待
外れだった。各停に乗った方が起動、制動、高速走行が愉しめた。
「快速は各停よりも早い」という先入観が誤っていたが、詐欺に逢った
ようで後味が悪かった。 登戸の階段にあるのぼり□
_←これと
□
ノ ←これが消えた >>653
国鉄時代に南武線で走ってた快速も追い越しもなく立川行き先行各停に追いつけないまま終点登戸に着く使えない快速だった。 四国・本州連絡口の1つ 宇野駅があるのは「岡山県宇野市」だと
先日まで長年信じていた。急行鷲羽宇野行き・スハ32による長距
離列車が 長崎行き 広島行きと同様に走っていたので。・・・・ <656 私はいま知りました。ちなみに鉄道ファン歴45年以上の還暦です。 >>657 さん
私も同様の年代です。スハ32長編成や其の後に切り替わった80系
電車で三宮到着時に駅のホームから大きな「富士山」が見えていて
こんなとこにも富士山があると信じていました。夜も下から明るく電
照で見えていました。神戸・三宮の駅ホーム白熱灯天井証明の方が
薄暗かったですのを覚えています。 富士山=山一證券の広告でした。 >>658
の続きカキコ、2〜3歳の頃、大阪駅に停車した客車(妻面が丸・絞り)
に乗るにはホームと車両端の隙間がすごく大きく、両親が手を持ってい
てくれたにも拘わらず。落下して地面へ吸い込まれそうで怖かった。
また、進行方向を向いて座っても、発車の毎に列車引き出し時のショッ
クが大きく、幼児の軽く、足が床面に届かない私は前に投げ出されるの
で、親が其の度に私の胸を押さえてくれては居たが嫌だった。
「客車の乗客になるのは非常に怖いものだと思った。」
もう少し大きくなると歩幅も広く、体重も増えて怖いのは収まっていった。
共に80系電車に置き換わっていった。あの恐怖をもう一度味わいたい
ナ・・・・と思うこの頃・・・ 「鉄」の話から少しは外れるが、浜松町駅や他ににある小便小僧、中学
時代にナツメロブームでTVで三浦洸一が「弁天小僧」という歌を歌って
いた。意味が分からず級友・悪友にこの違いを尋ねると、返ってきた答
えが「小便小僧の小便をしてない奴だ」であった。以後42年もの間
それを信じていた。 最近ビデオ映画で真実を知った。「弁天小僧」
- 歌舞伎狂言「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」の登場
人物。白浪五人男の一人。女装して悪事を働く。弁天小僧菊之助。 鉄の話から外れてもいいのか。
小学校4年生のとき、クラスで「YGテスト」というものを受けることになった。
隣の席の人に「YGってどんな意味?」と聞いたら、
「読売ジャイアンツだよ。」と教えてくれた。
10年後、大学の教育学部の授業でYGの本当の意味を習い、
あいつにだまされ続けたことを知った。 小学4年の時、紀勢線「きのくに」に乗って白浜へ行った。車窓を眺めて
いると駅付近でもないのに、ポイントの中途半端な物が所々にあった。
きっとあれは分岐してどこかへ延びていた路線の跡形で、分岐器だけが
そのまま残してあると思っていたが・・・・ 果たして本当に安全側線が
駅間に2つも3つも設置されていたのかな?・・・・・・ 昔、どこだったかは忘れたが列車で旅行したときに、単線トンネルを
通貨中に所々の側壁に丁度逆のU字型の凹みが彫ってあるのが見
えた。少し後に北海道石北線の常紋トンネル人柱の件を知った。
場所は違えどもあの凹みは事故死者を埋めるための物だと、長年
誤解してゾーッとしていた。実は保線工事用の退避箇所だった >>662
保線用車両とかの留置線を分岐させるための横取り装置とかなのでは? >>664
ヒントをどうもありがとう。納得。それならばもう少し分岐後のレール
の長さも10m位は欲しかったナ・・・・ 2ちゃんねる鉄道板ではキリ番のとき
666(σ´∀`)σ ゲッツ!!
666キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
666(・∀・)イイ!!
とカキコしなければならない 中学1年の頃、ピク誌かファン誌か忘れたが投稿写真の下部に
「水海道にて」とあったので、「北」の誤植だと思っていた。今
wikiで見たら全国に3箇所もある。 これも、どの誌か忘れたが大学生の頃、巻頭の目次で「陽と陰の
出合う所」と見出しがありwaku wakuしてスケベ心で見てみれば、
何とショーもナ! 幡生駅西側の山陽線上りを・山陰線がアンダー
クロスしている3線場所だった。しかもそんな 陰陽師 安倍清明の
話しのようなオカルティックな寂しい所ではなく、線路際には低層の
公営団地が幾つかある普通の場所だった。ガックリした・・・・ 続き、>>668を思い出し、職場の女に「私の恥ずかしい写真送ります、
1枚50円」と配信しろ。「中身はパチンコで大負けしてる場面」を送れ、
購入者から苦情がきたら「あんたのスケベ心がいかんのだ!」と言い
返せとパチ中毒の女に言ってやったなァ・・・・ 思い出。 スポークの車輪は速く走るのに優れていると思っていた。 >>667
自分は、そういう誤認はしなかったものの、
「スイカイドウ」って字ヅラも読みも格好いい地名だなと思ってた。
ミツカイドウだと知ったときは、誤読していたことよりも
かっこ悪い読みなんだという思いが先に来た。
水をミツとは読めないよ。部分難読だと思う 20系客車の最後尾や電源車には運転台があって機関車無しで自走できると思っていた。 上記の20系客車で思い出した。長文スマソ・・・
オレは大阪住みだけど、北海道に詳しい方、教えてケロ。
子供時代でなくて済まないが、先日突然架かってきた電話で
相手 「北海道からだけど、カミ↓(紙)は要らないか?」
オレ 「カミ↓?」 相手「そう、カミ↓」 オレ「何のカミ↓?」
相手「食べるカミ↓。!!」
オレ・・オレはヤギさんでもないのに?? 「カミ↓を食べるの?」
何度か同じやりとりの内、相手が怒って電話を切ってしまった。
カニ(蟹)を宣伝するなら、カニ↑と言って欲しかった。まるで
カニ21・マニ36・マニ60のようなイントネーションだった。多分、
一方的な送り付け商法の電話だろう。あれ以来、北海道では
蟹をカニ21のように、「カニ↓」と発声するのか、不思議だ・・・・・ >>672
普通列車(50系客車)でやればちょうど良い方法だと思った。 東京からず〜っと東海道本線が繋がってる思っていた。
本当は、山陽本線を経て日豊本線だったがw
夏休み、特急富士で乗り換えなしに帰れたし。 上野の推進のときに取り外し式の前照灯が
吊るされてるブルトレの写真みて、
一部の客車には常設されてるのだと思ってた >>672
1967年東映映画「喜劇 急行列車」のOPはカニパン先頭で走る20系
自走できると思った人はいっぱいいるんだな >>672
昔の模型の話にすり替えて悪いが、HOのKTMのブリキ・真鍮製のカニ
22は床下に大きな穴が開いていて、モーター・インサイドギアを装備
すると自力走行できる構造になっていた。(此れは長編成を組んだ場合
先頭のFE65単機では牽引力不足となるからだった) 子供心には不思議
で、各ロネ、ハネもそうすればいいのにと思った。)
同様にキシ80もそういう構造だったナ・・・・ >>677
急に、よく覚えて居られましたね。「〜東西南北あるけれど おいらの列車は
上りと下りがあるだけだ〜」 懐かしいのでtubeで見ました。昭和42年作品
当時渥美清は39歳 横浜から乗車の佐久間良子は28歳。えらい老けて
(落ち着いてます)ネ。今の娘等に比べれば。 HOの模型カニ22にMを
付ければあの映像のようにできますね。 >>679
あれ車内シーンは御殿場線でロケしたとか
車内補充券切るシーンで何枚も廃札にして点呼で怒られたとか
「新幹線車掌日記」か何かに出てきた
「花火」の話も本で読んだ
鉄道モノの中でも、古き国鉄時代のエピソードの集大成みたいな映画 >>680
渥美清主演・フランキー堺主演の他に楽しい鉄道物がありましたね。
伴淳三郎が紀勢線C58の運転手してる物や映画の他にTV「いつでも
君は」 食堂車のウエイトレスと給仕の恋愛ドラマも結構長く続き、
楽しい時代でした。 「泣いてたまるか」もSL機関士物でした・・・・ 古い話ですが NHK朝の連続ドラマ「おはなはん」に続いて
S42年4月〜「旅路」日色ともゑ・横内正主演のSL機関士の
物語で機関車が走行してくるのを真正面から撮影したシーン
が多々出てきたが、どうしても左右へ首を振りながら向かって
来るのが子供心には不思議だった。もっと真っ直ぐに来れない
かといつも思っていた。 昭和30年代、小学校一年生の頃に近くの私鉄の駅によく電車を見に行っていた。すぐ近くに古くさい和式のビジネス旅館があり「お昼休憩OK」と書いてあったので、ビジネスマンは昼寝をしなければならないくらい多忙なのだと思っていた。 3〜5歳の頃、大阪駅からの乗車で80系電車到着を待っていた時、
遠方からホームに滑り込む2枚窓クハ86のガラス表面に下から上
に向かって黒いすじのようなものがチラッチラッと現れるのが何とも
不思議だった。今思えば、ホーム上の間を跨いでいる架線支柱が
映っているだけだった。同じく少し上向きのEF58はそうは見えなか
った・・・? 大人になってから見たクハ103の前面窓も・・・・ >>683
時代が下がればそのとおりだと思うので以下は余談だけど
もっと昔なら、ほんとうに文字通り一時休息で使われることは一般的だったと思われる。
たとえば、下山事件で疑わしいとされる人物が発見現場近くで旅館を休息利用してる
そもそも現代の感覚なら旅館側も休息だけで席貸しなんてしないだろうし。
すこしちがうが、寄り合いなどで会食可能なめぼしい飲食店場所がない地域では
現在でも旅館を利用するし、そういう旅館は食事提供だけでも受けている。
廃止されて久しい南薩鉄道の薩摩万世駅の駅前旅館2軒が現在でも盛業中なのはそういう理由らしい。
ごく最近ネットで読んだ。 > 寄り合いなどで会食可能なめぼしい飲食店場所がない地域では
> 現在でも旅館を利用するし
ギヤとか猛獣のマーク付けたアメリカ仕込みの団体はホテル・旅館に集まるそうですなあ 1980年頃東武東上線沿線から小田急江ノ島線沿線へ引っ越し、初めて藤沢駅へ行って9000形を見たときに、当時幼稚園児だった自分が行った一言
「東上線がいる!東上線は藤沢にも来るんだね!」
当時東上線で主力だった8000系はセイジクリーム色で、小田急とは全く色が違うし前面の顔も違うのに・・・
しかし、後年8000系はジャスミンホワイトを基調に前面がロイヤルブルー・リフレッシュブルーと小田急に似たような色に変わり、前面も9000形に似たような顔になった
幼稚園児ながらこうなることを予想していたのだろうか?
あまり記憶がないのだが、親からその話を聞かされるたびに、なんか不思議な気持ちになる 平日朝の京浜東北線は品川駅の手前で一旦停止するものだと思っていた(中学生のころ) >>683
現在でも古臭い日本家屋風の「旅館」ではご宿泊・ご休憩・ご商談
にぜひご利用ください。と表向きには看板してあるが・・・
男女2人で非常に疲れる行為をするのに「ご休憩」とは・・・
元禄の赤穂浪士討ち入りの事前打ち合わせ・集合は旅館ではなく
蕎麦屋であったなァ・・・ 何もすべてが看板通りでなくても良い。
ホテルでお見合いも多々利用される。鉄道車両でも本来の場所的
移動だけでなく、走行音録音・録画にも使用されているナ・・・ 変だ。 蒲田民だった子供のころ
東急は東京急行の略称だと知って
都内で各停しか走ってないのに何が急行だよと思った。。。 >>688
オレの(変な記憶)では東海道新幹線はいずれの駅でも停車する際は、
ホーム直前で一旦、15キロ位まで落として徐行しながら入線していた記
憶がある。S39〜47年頃までだった。 駅名の読み間違いはいくらでもあるわな
22時ころに「ナイコウチョウ」いくにはどの電車ですかと品川駅で聞かれたことあるし
内幸町知らないやつが22時から何しに行くのかと思ったが…
1番線の山手線に乗って新橋で降りて歩いて行ってくださいなと… >>662
1977年11月に印南〜切目が、1978年1月に南部〜芳養が
複線化に伴う線形改良で付け替えをしてるので
白浜へ行った時期がその前後であれば、新線と旧線の分岐部を
見た可能性もありますね。 >>693 >>662をカキコしましたが、駅名は覚えていませんが、たしかその
あたりだったかとは、道成寺辺りより南だったような気がします。なぜか
頻繁に変なところに分岐がありました。 小学生の頃、街中で店の屋号が「駕○ 供花・寝台車」とあったので
一瞬、スハネ16やナハネ20と同じ言葉が使われているのはゾッと
した記憶がある。 >>695
いっそのこと同じ寝台車でもスハネ16やナハネ20などの蚕棚
の520ミリ幅の狭い寝台よりも。戦前に存在したスヘ(病客車)
の方がゆったり寝れるナ・・と思ったこともあったナア・・・
よほどスハネ16方式の寝台の方が病院の死体冷凍安置所に
近い気がする。 東武沿線で育ったので、快速は急行よりも上位だと思っていた。どうして国鉄は急行料金は要るのに快速料金がないのかと思っていた。 >>698
おこちゃまがこんなところに来ちゃダメ。
東武本線だと、半蔵門線と直通がはじまるときに急行が料金不要の通勤電車になって、
りょうもうなどの有料急行が特急に格上げになった。
名前が格上げになっただけで料金は同じだったけど。
それまでは、特急>急行>快速急行>快速>準急>普通で、快速以下が料金不要。
快速>急行って順位、京成と東武本線のある東京の東側ではそれが標準でも
西側の私鉄では逆なんだよな。
本線の流儀を押しつけられた東上で、快速の方が格上扱いなのは違和感しかない。 江若鉄道
初見→えわか?
その次→ゴージャク
正解→コージャク
盆踊りの「江州音頭」を先に知ってたので
gohだと思ったんだよね。
先に濁りで思い込んでたから、正解のkohは今でも間抜けた発音に感じる >>687
「京王線に山手線が走ってきた」と驚いたことがあります。 ずっとジャンパ連結器を「ジャパン連結器」だと思っていた 小学5年生頃から男子のチ○ポの皮がむけてくるが、
貨車・客車の連結器と違い、電車の「密着連結器」は何となく
男子のソレに似ているので、「むけチ○連結器」と平然と称して
いた。また、S56年頃に映画「ET」がヒットしたので、それに準え
て「MT}と称して、友人と互いの手で電車連結器を作り、ふざけ
ていたナ・・・・・・ >>699
とすると>>693の区間の可能性は消えましたね。
ただWikipedia「紀勢本線」の「年表」を見てもわかる通り
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%8B%A2%E6%9C%AC%E7%B7%9A
昭和41〜44年にかけて海南から紀伊田辺の手前で
15回にわたる小刻みな複線化を繰り返しています。
このうち初島〜箕島間ではルート変更を伴う複線化。
それ以外の区間でも複線化した直後でしたら
駅間のヘンなところで分岐器が残っていても
おかしくない状況ではあります。 >>709
ご丁寧にご解説、有難うございました。ただ当時乗っていて思った
のは他の区間に比べて、なにかしらクネクネと左右に曲がりながら
の平坦区間、周りは田圃だらけでした。 通票の誤交付や何かの
理由で正面衝突を防止のため幾重にも用心を重ねて脱線ポイント
が設置されていた珍しい区間と思っていました。 関西線のキハやDD51牽引客車に揺られて名古屋まで出る時、関西本線沿いの名古屋機関区脇の線路で人がやっと通れるくらいの高さの半地下を潜る所があった。
子供心におとぎ電車の車庫があるものだと思っていた。 スレタイの子供の頃、と違い失礼。大学生の頃、オレ鉄道クラブ員
2人、と他のクラブ員 計4人でマージャンをしていた時、何の話が
きっかけか、大きな動物の話に始まり、オレ「昔 吹田におおきな
ナメクジが居ったナ」 「そうやそうや」 「大きさは皆20m位の奴や
ったナ」 「ワハハ」 「性格にいうと19m50やったナ」 「真っ黒な
奴やったナ」 「ワハハ」 「放出の方へも居ったナ」 他のクラブ員・
非鉄チャン2人はキョトンとしていたのが思い出される。・・・・ また大学の頃でスマソ。鉄チャンは自分ながら困る。当時「鉄・
マージャン」だらけの生活をしていたが、阪急西宮北口駅の
神戸本線と今津線の平面交差(ダイヤモンドクロス)通貨音が
自然と 「デンデン チャンタデンデン チャンタデンデン チャ
ンタデンデン デンデン チャンタデンデン デンデン」と電車
が云っているようだった・・・ マージャンしない人、ごめんネ。 上記の補足、マージャンの「チャンタ」とは純全帯ヤオ九(純に数字
牌のみ)と、又は混全帯ヤオ九(文字牌が混ざる)のあがり手のこと
である。車両が線路の直角クロッシングを通過する際、単に、「ガタ
ゴト ガタ ゴト」とは聞こえずに 本線3本 今津線2本を同時に渡
るので多数の不規則音が発生し、マージャン中毒の「鉄」にはそう
いうふうに聞こえていた。駄文・長文スマソ・・・・・ 駄文はかまわないが、語尾の「〜ナ」とか老人ネット語をやめてくれw
D員を思い出す そういえば、車両基地の付近を走っている時に、
他の人が「しんだいいれかえ」と言っていたので
寝台車の入れ替え作業をしているのかと思ったら
パチンコの話だった。 駅の端の線路の先に「入信?」て看板があって鉄道会社内で宗教の勧誘をしてるのかと思った。 た……高野山
って関東民多いけどそんなに知名度低いのか >>720
無知が増えただけでしょ。
マツコの番組見てたら今の人は「川柳」すら判らんらしい 自分は「子供のころに」どころか「子供のころから」今までずっと奥羽本線を「おうう」ではなく「おおう」と言っていた・・・。
と、言うよりも「今でも言っている」で、意これは一生なおらないかもなwww
書くにあたっては漢字で書くから間違いようはないし、会話でも重箱の隅をつつくような人もいなかったし、駅でも困るようなこともなかったし、自分的には言いやすいんだなぁ。
40年くらい前に「正しくは"おうう"」と言うのは聞いたようなことは微かな記憶にはある。
今、「さて"おうう"それとも"おおう"?」と問われたら、たぶんググっているだろうねwww 俺も「秋葉原」を アキハバラ か アキバハラ かどちらか知らないで
いた。皆「アキバ」と略すから、まどちらでもいいやと思っていた。 東海道線「興津 オキツ」について、中学時代(S46年)に東京〜西鹿
児島間の駅名を暗唱するようになったが、クラスでかくし芸の時に 熱
海、函南、三島、沼津、原、東田子ノ浦、吉原、富士、岩淵、新蒲原、
蒲原、由比、「興津」まで来たとき、急に女子の半分が赤面した。陰部
を指す「お○つ」に聞こえたのだろうか? 俺の方が何故??だった。 本当に漠然とした印象だったが、新幹線の駅と在来線の駅は違う印象があった。
例えば東京ならば在来線では行けず、新幹線に乗らないと到達できない気がした。
なぜそう思ったのか、あるいは周囲が特急券を節約する考えがないことが
あったのも影響があったかもしれない。
在来線にも東海号などの優等列車が走っていることを知ったころにはもう東海号は
廃止間近であって、今から思えば惜しいことをした。 親に連れられてよく新宿駅の山手線ホームで待ってるときガラス張りの向こうの小田急線ホームの人たちがなんか未知の世界の人たちのように感じていた。
一方間に仕切りの無い池袋の東上線はそうは感じなかった。 まだ幼児の頃、海軍出身の父親が兵隊の話をしてくれた。横須賀
海軍兵学校で「機雷科」を出て「呉」に行った。と聞いた。「何が嫌い
で何を(くれる)ところか?」と思い理解の外だった。学生になり「呉
線」を知った。変な簡単すぎる名前の駅だと思った「呉」も「広」も、
近くに 「安芸幸崎・安芸津・安芸川尻・安芸阿賀」があるのに・・・と F永井の歌「貴方と私の合言葉 有楽町で逢いましょう」はS32年2月
心斎橋そごうが有楽町駅前に出店したのを記念に作った歌だが、
若い2人の待ち合わせ場所、と共に貴方も私も有楽町そごうでぜひお
買い物を・・・という意味が入っていた。長い名前だが、よく有楽町を選
んでくれたものだと感心した。「呉」「広」で逢いましょうはサマにならない。 青江三奈の「池袋の夜」もよく選んでくれていると思う。他の東京圏内の
多くの駅近くにも盛り場があるが、どう考えてもサマにならない。
新橋・渋谷・原宿・代々木・新宿・目白などでは・・・・ 還暦過ぎてそうなジジィの懐メロ話ばっか
下らんしつまらん
空気嫁 「津軽海峡冬景色」の終わり近くにある「♪私は帰ります〜」は、
出発地の上野に戻ることを意味していると思った。
青森で連絡船に乗って北に向かっている最中だというのに、
何で今さら帰ろうとするんだ?
実は、失恋か何かがあって東京での生活に希望が見いだせなくなったから、
故郷の北海道に帰るという意味だったんですね。
「♪さよならあなた〜」のワンフレーズにそれが濃縮されていることを
理解するのが、俺には難しかった。
ウン十年遅れで涙した。 >>723
学生時代にふざけて「上野発の夜行列車乗った時から、青森行きは
雪の中〜」と言っていた。確かに東京は雪の日が多い。 そう言うお話は、明日のデイサービスでお菓子の時間にお仲間に聞かせて差し上げてください。 >>723
「おう」の発音は「おお」だろ。正しくはないが大概の人はそう言ってる
以下類似例
運動「うんどう」の発音は「うんどお」
応答「おうとう」の発音は「おおとお」
欧州「おうしゅう」の発音は「おおしゅう」
「お」の後の「う」は言いづらくて「お」になっちゃうんだろうな
小学生の頃は平仮名通りに発音するけど >>724
あきばがはら(あきばのはら)→あきばはら(あきばっぱら)→あきはばら
だからあながち間違いとも言い切れん >>733
ドラマ「鉄道公安官」の「ホームタウン急行」
駅には彼が待ってるはずなの を
駅に別れが待ってるはずなの だと思っていた。
別れが待ってるのにどうして結ばれてるんだ?とずーっと疑問に思っていたよ。 >>738
自分も駅に別れが待っているはずと思っていた。
今住んでいる所の駅に別れをつげて新天地の駅に彼が待っているのだと解釈していた。 大阪のJR駅「天王寺」は住民が実際に発音するときは てんのおじ
と言っているな。 てんのうじ とはあまり言わないし、言いにくい。
ところで東京にも「天王寺」が有るのを最近まで知らなかった。駅は
無いが・・東京都台東区谷中にある、天台宗の寺院。正式名称は
「護国山尊重院天王寺」 >>740
そういうのは方言とか全く関係ない。そもそも日本語は表記と発音が異なる言語。
旧仮名時代なんて現行よりややこしいのなんてさすがに貴方も解るでしょう?
表記どおり「Te-N-No-U-Ji」なんて大阪以外でも言わないよ。
だって「のう」の実際の発音は「のー」なんだからさ。
「の」を伸ばしたら次の瞬間に母音の「お」が出てくるでしょ。
上述の件は、「観音」が「かんおん→かんのん」に転訛する件とは全く別だから混同しないでね。 >>723
読みから先に覚えたからそうなっただけのこと
発音は「おーう」だからな。
棒引き部分の「ー」は、「お」の母音(同じ「お」)だから、
字意を考えずに発音主眼で表記したら確かに「おおう」になる
表記が「おう-う」だから幼少の貴方が混乱したわけでしょ。分かるよ。 コラ、742・743が偉そうに難しい事をいうから、折角のスレが過疎って
しもたではないか!! もっと気軽に受け止めろ!! 上記の 742中
「そういうのは方言とか全く関係ない。」 ←誰も方言の話をしていない。
「現行よりややこしいのなんてさすがに貴方も解るでしょう?」←えらい
上から目線の言い方だな。
同じく 743中「表記が「おう-う」だから幼少の貴方が混乱したわけ
でしょ。」 ←此れも同様。
オマイは国文学の教師・学生か?
じゃ、「天皇陛下」は 「てんのおへいか」とは誰も言わんぞ。 EF58の牽く天王寺→新宮の夜行の普通列車って、龍華からバックで回送して来るのだと思っていた。 >>747
オレの中学の頃までは、C58がバック運転で天王寺まで引っ張って
来ていたのを沿線で見ていた。その編成をどうやって上の9番ホー
ムへ上げていたのかは知らず、永遠的な「謎」だった。
まるで「引田天功」的マジックだった。 両親とも田舎出身者の子のオレは、「お爺ちゃん・婆ちゃんは田舎に
居る者」だった。お盆には長編成の客レに乗って会いに行っていた。
たまに、友人宅の店先で婆ちゃんが居る者が居た。小5の時、「あい
つの家には60歳の爺ちゃんが居る、皆で見に行こう」と5人ほどで
見にいくほど珍しかった。 オレが子供の頃、父親が話をしてくれた。「お前がまだ6ヶ月位の頃
家の裏の関西線(百済・杭全付近)でお菓子を一杯積んだトラックと
機関車(多分 D51)が衝突し、機関車は側溝へ脱線。転覆した。
オレ 「どうなったん?」 父「近所のみんな お菓子を拾って持ち帰
っていた。わしは汽車の運転手の服を貰って帰った」 オレ子供なが
らに半信半疑だった。母親いわく「大分長い間(半年位)機関車は放
置されたままだった、」此れは信じた。 現在では事故を隠滅するた
めに早く片付けるのに、のんびりした時代だったんだな。 また臆面もなくスレ違いどころか板違いのジジイが涌いとる
ここは「勘違いしていた事」だぞ?
そんなに昔話がしたきゃ、懐かし板に行けや! うるさい 文句ばかり言うな、子供の頃本当かな?と勘違い
した事だ! スレタイ通りだ。 ふ〜ん、機関車の脱線転覆のハナシやら爺さん婆さんのハナシの、どこが勘違いなのかねェ?
爺婆に至っちゃ、客レの二文字以外鉄道要素はないようにも思うんてすがねェ?
私ゃ若造なんで、何をどう勘違いさたのか、納得のいくご説明を願えますかね?
客観的に納得のいく説明ができないのなら、とっとと該当板へお引き取りください うるさい お前の心が貧しいからだ。いやならこの板を見るな。 ↑
はい、納得できる説明ではありませんね
懐かし板にお引き取りいただこうかね、逆ギレジ自慰よ 追伸
ちなみにこのジ自慰を疎ましがっているのはオイラだけではないんでな
同様にこのスレもアンタのワンマンオンステージではないということ
それすらわからん様ではお終ぇだな お前が、ワンマンステージを開いているのだ。同じ事を書くな。 >>759
誘導乙
ふさわしいスレに行った方がお互いハッピーだわ 赤沢トンネルは1980年頃まで使われていたと思っていた。 小学生の頃に小田原〜箱根湯本の三線軌条を見て、内側にある線路(小田急用の線路)は集電のための線路だと思っていた。 小学生まで3電源交直車の切替レバーって「直・50Hz・60Hz」なのかと思っていた。
あと181系気動車のコントローラーハンドルとブレーキハンドルって、普通の気動車みたく縦軸だと20歳代半ば頃まで思っていた。 幼少の頃、天王寺近くの自宅に大学生の従兄弟が来ていて、
「もう遅い(23時頃)から淡路へ帰るわ。」と言った。あんな時間
に神戸・明石経由で淡路島まで帰れるのか?と思った。
大人になって阪急電車に淡路駅があるのを知った。 千歳船橋駅(小田急小田原線)の周辺は船橋市の飛び地だと思った。 また加齢臭がするな…
40年前スレに誘導された筈だが まだ学校で直流と交流の違いも習ってないころ、鉄道図鑑の「交直流電車」という記載を見て直流と交流のほかに「交直流」という電気があるのかと思っていた。(直流と交流もどういう電気なのかは知らない) >>768
残念だがこういう儲かる話題は無料で書いたりしない
ここのネタも参考にさせてもらって商売、商売 ドタマ大丈夫か、はこっちの台詞だジ自慰め
古臭い勘違いにすらならんコトをわざわざageるから
すぐわかるさね
あぁそうか、そもそも誘導された先から追い出されて
ここに流れ着いてたって訳か、お可哀想に
だが残念ながらここもアンタの居場所じゃねぇんでな
出ていけや >>771
懐かし系の話題は地味に閲覧数が伸びる
自身の体験が多いけどネタはいろんなところから拾ってくる
鉄に限らない 子どもの頃ではないが、大学生になり上京するまで11両編成を「短い」と表現する世界があることに驚いた。 777(σ´∀`)σ ゲッツ!!
777キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
777(・∀・)イイ!! CMの影響か
小さい頃は
近鉄電車は
あの黄色い電車(23000系)しか走ってないと思っていた
近鉄の赤い一般電車を初めて見たのは高3だった 釣掛駆動の音は「古くなってくたびれてきたため」だと思っていた。
今、走っているクーラーの付いた新しい電車も、ロマンスカーも「そのうちにああなるんだ」と思うと可哀想になった。 「ひかりは1秒間に地球を7周半まわる」
と聞かされて、新幹線は地球に張り巡らされてると思ってた。 >>770
そうだそうだ、あれは電車のワーンワーンという泣き声だと思っていた。 かつて黒磯駅の交直切替が、特急は走りながら(車上)切り替えだった
のに対し、急行は必ず停車して(地上)切り替えていた。
だから、他の線区でも走りながら交直切替できるのは特急だけだと
思ってたな。
黒磯駅の信号が電源と連動してるとか、通過する為には車両選別装置
が必要なんてことを知ったのはずっと後のことだった。 昔昔の新幹線の、ゴトッ、ゴトッって音は、0系のせいではなく、線路の溶接凹だったのね。 >>783
S48年に初めて新幹線に乗った、超ロングレールだと言われていたので、
実際走るとゴットンガッタンと音がする。速くなるとガシャンガシャンガシャン
には参った。100系が出来てから乗ると案外静かだった。0系の台車の
構造から由来したと思う。ただ本当の意味での継ぎ目なしのレールでは
なかったんだな・・・・・ オレも昔300系にデビュー後に広島へ行った。新岩国で降りるために
広島で哀れな姿の4連(しかも不使用のビュフェ車入り)に乗換えたら、
ガシャガシャと音がして懐かしかった。もう2度とは聞けないと思い込ん
でいた。あれはあれでいい物だった。 子供の頃、「非情のライセンス 天知茂主演」再放送をやっていた。
テーマは「凶悪の超特急」 0系車両中で 刑事天知が犯人を見失
った。結局犯人は車端部出入台床下の蓋を開けて中に潜んでいた。
床の蓋は全部モーター・機器点検用と信じていたが、ごみ箱だった。 今も有るか無いか知らないが、TVのCMで「藤本製薬のピップエレキバン、
磁力が肩こりに効く」とあったが、あんな物買うよりも、電車のM車に乗る
方が効果が数千倍も有ると思っていた。ホントかどうかは知らない・・・ 東海道線の「彦根」は「箱根」の贋物と思っていた。近江今津北の
箱館山スキー場は北海道の函館の贋物と思っていた。しかし、
不思議に、北陸線の「高月」は「高槻」の贋物とは思わなかった。 中学の頃、男子は原則として頭は丸刈りだった。散発屋へ行った翌日
登校するや、女子が「はつかり」と言いながらしつこく頭を叩いてきた。
意味が分からず、そいつが美容室でカットしてきたら俺が「はつかり」
と言って叩いたら、同級の男子が「かり」じゃない、「はり」だといった。
当時は何故東北線の特急列車名を言って叩いたのかイミフだった・・・ >>790
「はつはり」をググって初めて知った、大阪特有の文化。 国鉄の機関車の製造番号に欠番があるとは思わなかった。
カラーブックスの懐かしの蒸気機関車の、著者の写真がD51-1150とともに写っているのに、本文にD51の製造両数が1115両とあるのは1151両の間違いと思っていた。
EF 65は499両作った後で500番代の製造を始めたと思っていた。1000番代がいるのに、600とか700は見かけないのが不思議だった。
番号が抜けていると知った時には、すごく裏切られた気がした。 立席特急券で特急に乗ったらデッキや通路でしゃがみ込んではいけないと信じていた。 鉄道は大儲けしていてそのうち自動車産業が潰れるほどになると思っていた。
事実は逆だった。国鉄は潰れ、JRも北海道と四国は風前の灯 電車のモーター音は天井の通風器、空調のルーバーから出ているものだと思っていた。 >>796
前川清談によると当時はなにか楽器をできるほうがえらくて一番若く下っ端で楽器もできなかった前川がメインボーカルをやらされることになったとのこと。 小学生の頃、プロ野球の阪神や阪急の選手はみんな電車の運転士か車掌だと思っていた。 小学生の頃、関西線のキハ35の運転手は元巨人の金田投手に似ていた。
皆親戚の人だと思っていた。本当に半分位の人はよく似ていたゾ・・・ >>798
ワロタ。社会人野球的な勘違いもあったんだろうな。 >789 小学校高学年までは 、0系の前照灯(尾灯)は終点で白熱電球を赤い電球に取り替えているのかと思っていた。 東海道新幹線の開業前、0系の先端部は「光前頭」と言われていて
国鉄の施設に行くと、直管蛍光灯を放射状に並べて乳白アクリル部材を併置する展示まであった
なので夜間にはあの部分が行灯式ヘッドマークみたいに明るく光るものだとばかり思っていた >>798>>800
元阪神の赤星はJR東在籍時代に車掌やってたそうだ 国鉄 鍛冶屋・鍛冶屋原線の沿線には小学校の音楽で習う
「村の鍛冶屋」が大勢住んでいるものと思った。〜しばしも休まず
槌打つ響き、飛び散る火花よ走る湯玉〜 忙しくしていると思って
いた。 海田市と日頃市をそれぞれ『海田』『日頃』という街だと 特急の車内はよく殺人が起きる。
走行列車と外部の通信は不可能で手紙の入った袋をホームに落とす一方通行伝達。
車内販売のコーラはストローが付くから高い。
車掌の腕章はよくズレ落ちる。 小学時代、夏休みの昼メロドラマで、多分中央線の駅だったかアナウンス
が「特別きゅうこうれっしゃあ〜」と言ってる場面があった。
一緒に見ていた母親に聞いた。 「特別きゅうこうれっしゃあ〜」て何?
「特急」のことだ。と返された。それまでは別物と思っていた。 昭和42年6月公開の「喜劇 急行列車」はなぜ特急さくら20系客車で
登場するのに「喜劇 特急列車」じゃないのか、と思っていた。さすが
後年上記のように特急も急行の範疇だと理解したが、英語を習うように
なったころ、特急を英訳でspesialと教えるのが気に入らず、英語担任に
ltd expressにしろと言いたく、かなり辛抱していた。 GTO素子のVVVFインバーターを使った車両は、運転士がマニュアル車みたいな操作をしてると思ってた キハ81のボデーは当初 クハ151用に製造していたがあまりに不細工な
ため、はつかり用に転用したものだと思っていた。子供心にも本を見て
不細工と感じた。 関西線 天王寺〜平野間にある百済(貨物駅)を「ひゃくさい」と読んでいた。
近くには大阪市電の百済があったが 市電前面幕には「くだら」と書いてあり
真面目に運転、走行しているのに何がくだらんネン。と思った。 TVのCMで
「金はひゃくさいひゃくさい・銀もひゃくさいひゃくさい」でいつも思い出していた。 子供の頃、各所の踏切には白旗を振る踏切番のおじさんがいた。
1人でしなければならない責任大きい怖い仕事なので、多分他の
人の3倍位給料を貰っていると思っていた。夜間になると白旗を
振らず、カンテラを振るのが不思議だった。 >>812
山下達郎と宅八郎の見分けがつかなかった。 グリーン車は3等車両と教え込まれ、ずっと勘違いしてた。途中なんかおかしいなと思うことはあったけど。 昔、大阪駅でホーム白線部、乗車位置表示部に「GREENN CAR」と
あったので湘南色の快速乗降口が来ると思って待っていたら、来た
のは「旧一等車」だった。 歴史(社会)の教科書に出てる、百済を「ひゃくさい」と読んでいた。 昔の客車展望車を誤解していた。野口英世が幼少時に囲炉裏で手を大やけど
を負い、障害が残り近所のガキから「てんぼう てんぼう(手が棒)」とからかわ
れていたのを伝記で読んでみ、知っていたので、交通科学館に展示されていた
マロテ49の説明中で「てんぼうしゃ」とあり、何と言う言葉・表現だと思っていた。 功を成し名を挙げた人のみが乗れるてんぼうしゃなんだな ことでんで第二の人生を送っている京急1000形の
川重製造のOK-18台車装備車の「ヒュ〜〜ウ〜」という
あのモーター音を聞いて「お化け屋敷」の「ヒュ〜ドロドロ」のような
感じで「あの電車には幽霊が住んでいるのかと勘違いしていた
特に1065編成の音は超強烈な音に聞こえたから逆に怖い感じもあった 221系の行先表示器にはどんな駅名でも出力できると思っていた
運転席にはワープロみたいなキーボードが付いていて運転士や車掌がいちいち行先を打ち込んでいると思っていた >>822
「相撲」と「相模」を見間違えるのは、老若男女問わずよくあること。 電力回生ブレーキで西武秩父線には入れないと思っていた 小田急の直通先、取手まで全て小田急の駅だと思っていた。 >>827 と似たような勘違いか?
西武池袋線と西武秩父線の境界駅が飯能だと思っていた。
というか当時(2000年頃)はまだネットで無料ではなく
有料で「乗換案内」ってソフトを買っていたが、それに普通に境界駅が飯能と出てきたし。 E231系とE233系の違いは、車内に液晶画面があるのが233、なくてLED横スクロールが231と思っていた。 軽便鉄道を 「けいびんてつどう」 と読んでいた。
結構大きくなるまでこの読み方だと思ってた。 >>19
都内でJR使う人は
神奈川に大船市
千葉に津田沼市
が存在すると確信してた人は多いだろうな >>834
国語の授業で芥川龍之介の「トロッコ」を習わなかったのか。
ま、習わなかった世代もいるだろうし、教科書会社の違いもあるだろうし。 「代々木上原」という行き先を見て、代々木駅と上原駅に行くと思ってた
>>836
横から失礼、30代だが「トロッコ」は習った覚えないな。青空文庫見たけど読んだこともたぶんない。 >>838
せめて作品の冒頭だけでも読んでから書こう 警笛は運転手のテンションが上がったとき自動的に鳴るものだと思ってた 東海道線沿線住民です。
箱根登山鉄道の小田原〜箱根湯本間は小田急小田原線に属すると思っていた(俺が餓鬼の頃は新宿発箱根湯本行きの急行があった)。 目前を走っている線が鉄道線区間⇔軌道線区間の直通運転していたので
それが珍しいことだととは思わなかった。 子どもの頃どころか、つい最近まで勘違いしていたこと
1982年5月17日 塩尻駅移転
1983年7月5日 塩嶺トンネル経由の短絡線間が開業
この2つは同時に行われていたと思っていた 名鉄瀬戸線(旧線)のガントレットを「ガンレット」と覚えてた(ケイブンシャの大百科の誤植をそのまま信じていた) ケーブルカーの車輪は、普通の鉄道の車輪と同じようなフランジがあると思いこんでいたので
ケーブルカーに乗って最前部に貼り付いていると、上下行き違いのポイントでなぜ脱線しないのかが分からなかった。 運転席の懐中時計置き場を車両用の鍵穴だと思っていた モハ=モーターがついた車両
だから
クハ=クーラーがついた車両
だと思ってた >>1
それはなかった。杉良(今はサギ対策警察じいさん)のハードな時代劇「同心・暁蘭之助」のおかげで正確に読めた。 東海道本線と新幹線は同じ線路を走っているんだと思っていた。違うと分かったのは小学校高学年になった頃。それでもこの二線は並行しているんだと思っていた。品川〜小田原間が全く離れていると分かったのは中3の夏だった。 東海道線が小田原まで複々線(以上)だと知ったのは大人になってからだったし
平塚まで複々線になっていたのは昭和初期からだと知ったのはついさっきのことだった 漫画とかで『プァーン!』な効果音と共に電車が走るシーンで、
電車って頻繁に警笛鳴らすものだと思っていたが
初代の、電車でGO!で頻繁に鳴らしたら過剰警笛で持ち時間減点のときにめちゃくちゃ疑問に感じた1997年 90年代初頭、VVVF音は新車のうちにしか聞こえないものだと思っていた。 旧型電車の運転台の横にあった手ブレーキハンドルは、ダミー化されていると
思ってたので、子供の頃は走行中でもクルクル好き放題に回していた。
(乗客が勝手に触ってはいけないものならば、注意書き位はあるだろう・・・とは
子供心にも思ったが、そういう表示はなかったし、いくらクルクル回しても
列車の走行の様子に変化はなっかたので、本当にダミー化されていたのかも
知れない。そうだとすると「勘違い」ではないのだが・・・) 地下鉄千代田線に乗っていて、遮光幕の降りている運転室の中から「チーン」という仏壇の鈴のような音が聞こえたので、運転士が中でお線香を上げているのかと不気味に思っていた。
「チーン」の正体が車内信号による制限速度変更の合図だと分かったのは高校生になってから。 ワンマンバスのことを「ワンワンバス」だと思ってた私の自宅周辺は小田急バスエリア 反町駅を先に覚えたため、
反町隆史をずっと「たんまちたかし」と読んでいた ガーランド形通風器をガランドー形通風器だと思っていた。 >>861
地元のバスが均一料金前乗り運賃先払いだったので整理券方式運賃後払いを知らず、地方でバスに乗った時に整理券を取り忘れて、降りるときにパニックになった。 1.じょうそういちのみや
2.ふちゅうほんちょう
3.松戸の親戚の家に行った時に見た行き先で
字幕の真ん中に「平」→たいら?へい?
さらに駅名変わったの知らなくて「いわき」になってて尚更「?」に
4,小さい頃電気の+-なんて気にして無かったから
架線が+で線路が-なんて考えがなく
架線で電気もらってモーター動くしか思ってなかった >>867
ウチは逆だったな。後ろ乗り前降りで整理券方式だったので、上京した
時に前乗り先払いで運賃は申告制なのか?近くのバス停までと言って
遠くのバス停まで乗る(キセル)のもアリなのか?とか。
どこまで乗ろうが均一運賃なんて考えもつかなかった。 >>869
吉祥寺辺りからとか、武蔵野三鷹市外まで走るを路線だと、前乗リで降車バス停申告するときもあったりする 乗降分離ホームで「降車側のドアが閉まります」との案内を聞いて
駅の降車ホームの隣に学校が建ってるのだと思い込んでいた 出雲・紀伊が名古屋を通過して分割併結
出雲が京都を通過して非電化の山陰線に入る
運転停車という概念を知らなかったので「どうやって解結作業してんだろ」と思った >>873
小学生の時、チャリで踏切行って列車見してたら、どっかの子が「あ、やすげだ!」と叫んでた
正しい読み方を教えてやったけど、納得はされなかった >>590
もれは都電6501をそう思ってた、顔が7000で前後ドア
早めに廃車になったから、アーやっぱりと思った 東武の塗色がオレンジツートーンからセイジクリームに変わるとき、未塗り替えと塗り替え済みのが混結で走ってるのを見てあれは下塗りでいずれまたオレンジを上塗りするのかと思っていた。 >>876
「赤字だから下塗りしかしてないんだ」説が当時流行った 直通運転の相互乗り入れを
総合のリレー
だと思ってた チンチン電車=路面電車だと聞いて、路面電車ではない普通の列車でもチンチンと鳴らして出発するのにどうしてだろうと思った。
国鉄(⇒JR)や関東の鉄道ではブザーなのだとかなり後で知った。 銀色の電車は鉄でできていて
それ以外の電車はプラスチックでできていると思っていた。 国鉄の赤字ローカル線の報道で気動車の単行がよく映ってた影響でローカル線とは気動車単行が走る線で
飯田線などの電化線やあと○○本線とつくところは非電化でもローカル線ではないと思ってた。 >>882
そもそもローカル線の定義が曖昧だからねえ。
宮脇俊三氏も著書で「ローカル線大会」を開こうとして判断がつかず
結局全員(全路線)を呼んだ、なんてことがあったよなw 時刻表巻頭の路線図に載ってる飯田線は集合体恐怖症に対する嫌がらせだと思っていた SLは前にしか進めない(バックできない)と思っていた
転車台とかあるし 高架化工事とかの線路切り替え部分には分岐器があって
どっちの線路に入るかは分岐器の操作で決めていると思ってた。
人力でレールを動かして切り替えていると知ったのはだいぶ大きくなってから。 京王の本線の「グリーン車」と同じ顔をした京王井の頭線のステンプラの3000系を見ていずれは5000系顔のステンレスも出るのかと思っていた。 888(σ・∀・)σゲッツ!!
888キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
888(・∀・)イイ!! サンタ・ルチア(ナポリ民謡)←ヴェネツィア民謡だと思ってた。
何故ならヴェネツィアのターミナル駅がヴェネツィア・サンタ・ルチアだから。 井の頭線で通学していた頃、新宿に行くため京王線に乗った時の「京王新線にはここでお乗り換えです」との車内放送を聞いて
京王線にも神泉があるのかと思い込んだ 東武東上線は東京に上るから東上線なんだと思っていた。 御堂筋線の高架区間を走る地下鉄の写真を見て
架線がない=
大阪の地下鉄はディーゼルカーなんだと思ってた。 鉄オタは頭が良いと思ってた
メガネ掛けてるし
なお、実際は目も頭も悪い模様wwwwwwwww ATSのジリリリリーンという音を聞いて
駅のホームで教官が見張っていて運転がなっていない時に注意の電話をかけてきていると思っていた 西鉄の行き先表示「小郡」
山口県の小郡までJRに乗り入れて行くのかと思っていた カニ21は、機関車を補助する動力車だと思っていた。 >
>
>全国にあるSLの保存会ってJRは関わっているのかな?
fゲス致遠でたFほほ wwwwwwフラダスガEastef 自分が小学校~高校まで育った地域では
急行型車両が間合い運用で普通列車として運転されるときはグリーン車は切符だけで乗れてグリーン料金は不要だったので、
関東に行ったときに... >>904
東京圏でも、185系の普通列車運用でG車の枕カバー外して普通車扱いとかあったよ
ホームライナーの時はライナー券だけでG車にも乗れてたし >>907
種別の○○が朝夕だけ通勤○○になる路線沿線に住んでたから
中央線の快速も夕方は全部通勤快速になると思ってた 九州に行ったときに,写真しか見たことがない青帯211系が九州にはまだあるのだと思った。
両端がクハ何々だったので両端Tというのも珍しいと思った また,九州では旧車両(←423系)と連結できるというのが面白いと思った。 山手線の大崎~品川間は距離があるのに何故間に駅を作らないのかと思っていた JR北海道の電車全てがJR九州でもそのまま走れると思ったこと このスレッドは1000を超えました。
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