子供のころ、鉄道関係で勘違いしてた事
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寝台特急「あかつき」は「暁」でなく、「赤月」だと思っていた。 >>646サン 信じて頂きどうも有難う。さすがに 9×8=79300とか
79066とかに書かなかったものだと思います。 >>637
>>639
45歳だけど、今時点までずっとカナテリーと思ってた。誤植か何かをみて覚えてたのかな… 中央線や京王線を利用していたが、国鉄の急行のように京王線の急行も
急行料金が必要なのだと思っていた。 >>648
まだマシな方だwww
俺は東武の「りょうもう」に乗った時、メーカーズプレートの「アルナ工機」を見て、ついうっかり(ry・・・。 キハ11や旧型客車はクロスシートだから料金が必要なんだと思っていた。 昭和52年の夏、山陽線の姫路〜岡山間はまだ115系が入って居らず
80系300代6連を主体としたほぼ全部が各停運用で90分をかけて
走行し、オレもラジカセを携帯、録音し、家に帰ってはそれを聞いて悦に
入っていた。其の中で「快速80系」があるのを見つけ、さぞかしぶっ飛ば
し高速で走るMT40の吊り掛け音が録音できると大いに期待して乗り込
んだ。しかし実に乗車してみると、運転時分は各停と同じ90分で、ただ
半分の駅には止まらず、それもゆるく転がしてばかりの走行で、全く期待
外れだった。各停に乗った方が起動、制動、高速走行が愉しめた。
「快速は各停よりも早い」という先入観が誤っていたが、詐欺に逢った
ようで後味が悪かった。 登戸の階段にあるのぼり□
_←これと
□
ノ ←これが消えた >>653
国鉄時代に南武線で走ってた快速も追い越しもなく立川行き先行各停に追いつけないまま終点登戸に着く使えない快速だった。 四国・本州連絡口の1つ 宇野駅があるのは「岡山県宇野市」だと
先日まで長年信じていた。急行鷲羽宇野行き・スハ32による長距
離列車が 長崎行き 広島行きと同様に走っていたので。・・・・ <656 私はいま知りました。ちなみに鉄道ファン歴45年以上の還暦です。 >>657 さん
私も同様の年代です。スハ32長編成や其の後に切り替わった80系
電車で三宮到着時に駅のホームから大きな「富士山」が見えていて
こんなとこにも富士山があると信じていました。夜も下から明るく電
照で見えていました。神戸・三宮の駅ホーム白熱灯天井証明の方が
薄暗かったですのを覚えています。 富士山=山一證券の広告でした。 >>658
の続きカキコ、2〜3歳の頃、大阪駅に停車した客車(妻面が丸・絞り)
に乗るにはホームと車両端の隙間がすごく大きく、両親が手を持ってい
てくれたにも拘わらず。落下して地面へ吸い込まれそうで怖かった。
また、進行方向を向いて座っても、発車の毎に列車引き出し時のショッ
クが大きく、幼児の軽く、足が床面に届かない私は前に投げ出されるの
で、親が其の度に私の胸を押さえてくれては居たが嫌だった。
「客車の乗客になるのは非常に怖いものだと思った。」
もう少し大きくなると歩幅も広く、体重も増えて怖いのは収まっていった。
共に80系電車に置き換わっていった。あの恐怖をもう一度味わいたい
ナ・・・・と思うこの頃・・・ 「鉄」の話から少しは外れるが、浜松町駅や他ににある小便小僧、中学
時代にナツメロブームでTVで三浦洸一が「弁天小僧」という歌を歌って
いた。意味が分からず級友・悪友にこの違いを尋ねると、返ってきた答
えが「小便小僧の小便をしてない奴だ」であった。以後42年もの間
それを信じていた。 最近ビデオ映画で真実を知った。「弁天小僧」
- 歌舞伎狂言「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」の登場
人物。白浪五人男の一人。女装して悪事を働く。弁天小僧菊之助。 鉄の話から外れてもいいのか。
小学校4年生のとき、クラスで「YGテスト」というものを受けることになった。
隣の席の人に「YGってどんな意味?」と聞いたら、
「読売ジャイアンツだよ。」と教えてくれた。
10年後、大学の教育学部の授業でYGの本当の意味を習い、
あいつにだまされ続けたことを知った。 小学4年の時、紀勢線「きのくに」に乗って白浜へ行った。車窓を眺めて
いると駅付近でもないのに、ポイントの中途半端な物が所々にあった。
きっとあれは分岐してどこかへ延びていた路線の跡形で、分岐器だけが
そのまま残してあると思っていたが・・・・ 果たして本当に安全側線が
駅間に2つも3つも設置されていたのかな?・・・・・・ 昔、どこだったかは忘れたが列車で旅行したときに、単線トンネルを
通貨中に所々の側壁に丁度逆のU字型の凹みが彫ってあるのが見
えた。少し後に北海道石北線の常紋トンネル人柱の件を知った。
場所は違えどもあの凹みは事故死者を埋めるための物だと、長年
誤解してゾーッとしていた。実は保線工事用の退避箇所だった >>662
保線用車両とかの留置線を分岐させるための横取り装置とかなのでは? >>664
ヒントをどうもありがとう。納得。それならばもう少し分岐後のレール
の長さも10m位は欲しかったナ・・・・ 2ちゃんねる鉄道板ではキリ番のとき
666(σ´∀`)σ ゲッツ!!
666キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
666(・∀・)イイ!!
とカキコしなければならない 中学1年の頃、ピク誌かファン誌か忘れたが投稿写真の下部に
「水海道にて」とあったので、「北」の誤植だと思っていた。今
wikiで見たら全国に3箇所もある。 これも、どの誌か忘れたが大学生の頃、巻頭の目次で「陽と陰の
出合う所」と見出しがありwaku wakuしてスケベ心で見てみれば、
何とショーもナ! 幡生駅西側の山陽線上りを・山陰線がアンダー
クロスしている3線場所だった。しかもそんな 陰陽師 安倍清明の
話しのようなオカルティックな寂しい所ではなく、線路際には低層の
公営団地が幾つかある普通の場所だった。ガックリした・・・・ 続き、>>668を思い出し、職場の女に「私の恥ずかしい写真送ります、
1枚50円」と配信しろ。「中身はパチンコで大負けしてる場面」を送れ、
購入者から苦情がきたら「あんたのスケベ心がいかんのだ!」と言い
返せとパチ中毒の女に言ってやったなァ・・・・ 思い出。 スポークの車輪は速く走るのに優れていると思っていた。 >>667
自分は、そういう誤認はしなかったものの、
「スイカイドウ」って字ヅラも読みも格好いい地名だなと思ってた。
ミツカイドウだと知ったときは、誤読していたことよりも
かっこ悪い読みなんだという思いが先に来た。
水をミツとは読めないよ。部分難読だと思う 20系客車の最後尾や電源車には運転台があって機関車無しで自走できると思っていた。 上記の20系客車で思い出した。長文スマソ・・・
オレは大阪住みだけど、北海道に詳しい方、教えてケロ。
子供時代でなくて済まないが、先日突然架かってきた電話で
相手 「北海道からだけど、カミ↓(紙)は要らないか?」
オレ 「カミ↓?」 相手「そう、カミ↓」 オレ「何のカミ↓?」
相手「食べるカミ↓。!!」
オレ・・オレはヤギさんでもないのに?? 「カミ↓を食べるの?」
何度か同じやりとりの内、相手が怒って電話を切ってしまった。
カニ(蟹)を宣伝するなら、カニ↑と言って欲しかった。まるで
カニ21・マニ36・マニ60のようなイントネーションだった。多分、
一方的な送り付け商法の電話だろう。あれ以来、北海道では
蟹をカニ21のように、「カニ↓」と発声するのか、不思議だ・・・・・ >>672
普通列車(50系客車)でやればちょうど良い方法だと思った。 東京からず〜っと東海道本線が繋がってる思っていた。
本当は、山陽本線を経て日豊本線だったがw
夏休み、特急富士で乗り換えなしに帰れたし。 上野の推進のときに取り外し式の前照灯が
吊るされてるブルトレの写真みて、
一部の客車には常設されてるのだと思ってた >>672
1967年東映映画「喜劇 急行列車」のOPはカニパン先頭で走る20系
自走できると思った人はいっぱいいるんだな >>672
昔の模型の話にすり替えて悪いが、HOのKTMのブリキ・真鍮製のカニ
22は床下に大きな穴が開いていて、モーター・インサイドギアを装備
すると自力走行できる構造になっていた。(此れは長編成を組んだ場合
先頭のFE65単機では牽引力不足となるからだった) 子供心には不思議
で、各ロネ、ハネもそうすればいいのにと思った。)
同様にキシ80もそういう構造だったナ・・・・ >>677
急に、よく覚えて居られましたね。「〜東西南北あるけれど おいらの列車は
上りと下りがあるだけだ〜」 懐かしいのでtubeで見ました。昭和42年作品
当時渥美清は39歳 横浜から乗車の佐久間良子は28歳。えらい老けて
(落ち着いてます)ネ。今の娘等に比べれば。 HOの模型カニ22にMを
付ければあの映像のようにできますね。 >>679
あれ車内シーンは御殿場線でロケしたとか
車内補充券切るシーンで何枚も廃札にして点呼で怒られたとか
「新幹線車掌日記」か何かに出てきた
「花火」の話も本で読んだ
鉄道モノの中でも、古き国鉄時代のエピソードの集大成みたいな映画 >>680
渥美清主演・フランキー堺主演の他に楽しい鉄道物がありましたね。
伴淳三郎が紀勢線C58の運転手してる物や映画の他にTV「いつでも
君は」 食堂車のウエイトレスと給仕の恋愛ドラマも結構長く続き、
楽しい時代でした。 「泣いてたまるか」もSL機関士物でした・・・・ 古い話ですが NHK朝の連続ドラマ「おはなはん」に続いて
S42年4月〜「旅路」日色ともゑ・横内正主演のSL機関士の
物語で機関車が走行してくるのを真正面から撮影したシーン
が多々出てきたが、どうしても左右へ首を振りながら向かって
来るのが子供心には不思議だった。もっと真っ直ぐに来れない
かといつも思っていた。 昭和30年代、小学校一年生の頃に近くの私鉄の駅によく電車を見に行っていた。すぐ近くに古くさい和式のビジネス旅館があり「お昼休憩OK」と書いてあったので、ビジネスマンは昼寝をしなければならないくらい多忙なのだと思っていた。 3〜5歳の頃、大阪駅からの乗車で80系電車到着を待っていた時、
遠方からホームに滑り込む2枚窓クハ86のガラス表面に下から上
に向かって黒いすじのようなものがチラッチラッと現れるのが何とも
不思議だった。今思えば、ホーム上の間を跨いでいる架線支柱が
映っているだけだった。同じく少し上向きのEF58はそうは見えなか
った・・・? 大人になってから見たクハ103の前面窓も・・・・ >>683
時代が下がればそのとおりだと思うので以下は余談だけど
もっと昔なら、ほんとうに文字通り一時休息で使われることは一般的だったと思われる。
たとえば、下山事件で疑わしいとされる人物が発見現場近くで旅館を休息利用してる
そもそも現代の感覚なら旅館側も休息だけで席貸しなんてしないだろうし。
すこしちがうが、寄り合いなどで会食可能なめぼしい飲食店場所がない地域では
現在でも旅館を利用するし、そういう旅館は食事提供だけでも受けている。
廃止されて久しい南薩鉄道の薩摩万世駅の駅前旅館2軒が現在でも盛業中なのはそういう理由らしい。
ごく最近ネットで読んだ。 > 寄り合いなどで会食可能なめぼしい飲食店場所がない地域では
> 現在でも旅館を利用するし
ギヤとか猛獣のマーク付けたアメリカ仕込みの団体はホテル・旅館に集まるそうですなあ 1980年頃東武東上線沿線から小田急江ノ島線沿線へ引っ越し、初めて藤沢駅へ行って9000形を見たときに、当時幼稚園児だった自分が行った一言
「東上線がいる!東上線は藤沢にも来るんだね!」
当時東上線で主力だった8000系はセイジクリーム色で、小田急とは全く色が違うし前面の顔も違うのに・・・
しかし、後年8000系はジャスミンホワイトを基調に前面がロイヤルブルー・リフレッシュブルーと小田急に似たような色に変わり、前面も9000形に似たような顔になった
幼稚園児ながらこうなることを予想していたのだろうか?
あまり記憶がないのだが、親からその話を聞かされるたびに、なんか不思議な気持ちになる 平日朝の京浜東北線は品川駅の手前で一旦停止するものだと思っていた(中学生のころ) >>683
現在でも古臭い日本家屋風の「旅館」ではご宿泊・ご休憩・ご商談
にぜひご利用ください。と表向きには看板してあるが・・・
男女2人で非常に疲れる行為をするのに「ご休憩」とは・・・
元禄の赤穂浪士討ち入りの事前打ち合わせ・集合は旅館ではなく
蕎麦屋であったなァ・・・ 何もすべてが看板通りでなくても良い。
ホテルでお見合いも多々利用される。鉄道車両でも本来の場所的
移動だけでなく、走行音録音・録画にも使用されているナ・・・ 変だ。 蒲田民だった子供のころ
東急は東京急行の略称だと知って
都内で各停しか走ってないのに何が急行だよと思った。。。 >>688
オレの(変な記憶)では東海道新幹線はいずれの駅でも停車する際は、
ホーム直前で一旦、15キロ位まで落として徐行しながら入線していた記
憶がある。S39〜47年頃までだった。 駅名の読み間違いはいくらでもあるわな
22時ころに「ナイコウチョウ」いくにはどの電車ですかと品川駅で聞かれたことあるし
内幸町知らないやつが22時から何しに行くのかと思ったが…
1番線の山手線に乗って新橋で降りて歩いて行ってくださいなと… >>662
1977年11月に印南〜切目が、1978年1月に南部〜芳養が
複線化に伴う線形改良で付け替えをしてるので
白浜へ行った時期がその前後であれば、新線と旧線の分岐部を
見た可能性もありますね。 >>693 >>662をカキコしましたが、駅名は覚えていませんが、たしかその
あたりだったかとは、道成寺辺りより南だったような気がします。なぜか
頻繁に変なところに分岐がありました。 小学生の頃、街中で店の屋号が「駕○ 供花・寝台車」とあったので
一瞬、スハネ16やナハネ20と同じ言葉が使われているのはゾッと
した記憶がある。 >>695
いっそのこと同じ寝台車でもスハネ16やナハネ20などの蚕棚
の520ミリ幅の狭い寝台よりも。戦前に存在したスヘ(病客車)
の方がゆったり寝れるナ・・と思ったこともあったナア・・・
よほどスハネ16方式の寝台の方が病院の死体冷凍安置所に
近い気がする。 東武沿線で育ったので、快速は急行よりも上位だと思っていた。どうして国鉄は急行料金は要るのに快速料金がないのかと思っていた。 >>698
おこちゃまがこんなところに来ちゃダメ。
東武本線だと、半蔵門線と直通がはじまるときに急行が料金不要の通勤電車になって、
りょうもうなどの有料急行が特急に格上げになった。
名前が格上げになっただけで料金は同じだったけど。
それまでは、特急>急行>快速急行>快速>準急>普通で、快速以下が料金不要。
快速>急行って順位、京成と東武本線のある東京の東側ではそれが標準でも
西側の私鉄では逆なんだよな。
本線の流儀を押しつけられた東上で、快速の方が格上扱いなのは違和感しかない。 江若鉄道
初見→えわか?
その次→ゴージャク
正解→コージャク
盆踊りの「江州音頭」を先に知ってたので
gohだと思ったんだよね。
先に濁りで思い込んでたから、正解のkohは今でも間抜けた発音に感じる >>687
「京王線に山手線が走ってきた」と驚いたことがあります。 ずっとジャンパ連結器を「ジャパン連結器」だと思っていた 小学5年生頃から男子のチ○ポの皮がむけてくるが、
貨車・客車の連結器と違い、電車の「密着連結器」は何となく
男子のソレに似ているので、「むけチ○連結器」と平然と称して
いた。また、S56年頃に映画「ET」がヒットしたので、それに準え
て「MT}と称して、友人と互いの手で電車連結器を作り、ふざけ
ていたナ・・・・・・ >>699
とすると>>693の区間の可能性は消えましたね。
ただWikipedia「紀勢本線」の「年表」を見てもわかる通り
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%8B%A2%E6%9C%AC%E7%B7%9A
昭和41〜44年にかけて海南から紀伊田辺の手前で
15回にわたる小刻みな複線化を繰り返しています。
このうち初島〜箕島間ではルート変更を伴う複線化。
それ以外の区間でも複線化した直後でしたら
駅間のヘンなところで分岐器が残っていても
おかしくない状況ではあります。 >>709
ご丁寧にご解説、有難うございました。ただ当時乗っていて思った
のは他の区間に比べて、なにかしらクネクネと左右に曲がりながら
の平坦区間、周りは田圃だらけでした。 通票の誤交付や何かの
理由で正面衝突を防止のため幾重にも用心を重ねて脱線ポイント
が設置されていた珍しい区間と思っていました。 関西線のキハやDD51牽引客車に揺られて名古屋まで出る時、関西本線沿いの名古屋機関区脇の線路で人がやっと通れるくらいの高さの半地下を潜る所があった。
子供心におとぎ電車の車庫があるものだと思っていた。 スレタイの子供の頃、と違い失礼。大学生の頃、オレ鉄道クラブ員
2人、と他のクラブ員 計4人でマージャンをしていた時、何の話が
きっかけか、大きな動物の話に始まり、オレ「昔 吹田におおきな
ナメクジが居ったナ」 「そうやそうや」 「大きさは皆20m位の奴や
ったナ」 「ワハハ」 「性格にいうと19m50やったナ」 「真っ黒な
奴やったナ」 「ワハハ」 「放出の方へも居ったナ」 他のクラブ員・
非鉄チャン2人はキョトンとしていたのが思い出される。・・・・ また大学の頃でスマソ。鉄チャンは自分ながら困る。当時「鉄・
マージャン」だらけの生活をしていたが、阪急西宮北口駅の
神戸本線と今津線の平面交差(ダイヤモンドクロス)通貨音が
自然と 「デンデン チャンタデンデン チャンタデンデン チャ
ンタデンデン デンデン チャンタデンデン デンデン」と電車
が云っているようだった・・・ マージャンしない人、ごめんネ。 上記の補足、マージャンの「チャンタ」とは純全帯ヤオ九(純に数字
牌のみ)と、又は混全帯ヤオ九(文字牌が混ざる)のあがり手のこと
である。車両が線路の直角クロッシングを通過する際、単に、「ガタ
ゴト ガタ ゴト」とは聞こえずに 本線3本 今津線2本を同時に渡
るので多数の不規則音が発生し、マージャン中毒の「鉄」にはそう
いうふうに聞こえていた。駄文・長文スマソ・・・・・ 駄文はかまわないが、語尾の「〜ナ」とか老人ネット語をやめてくれw
D員を思い出す そういえば、車両基地の付近を走っている時に、
他の人が「しんだいいれかえ」と言っていたので
寝台車の入れ替え作業をしているのかと思ったら
パチンコの話だった。 駅の端の線路の先に「入信?」て看板があって鉄道会社内で宗教の勧誘をしてるのかと思った。 た……高野山
って関東民多いけどそんなに知名度低いのか >>720
無知が増えただけでしょ。
マツコの番組見てたら今の人は「川柳」すら判らんらしい 自分は「子供のころに」どころか「子供のころから」今までずっと奥羽本線を「おうう」ではなく「おおう」と言っていた・・・。
と、言うよりも「今でも言っている」で、意これは一生なおらないかもなwww
書くにあたっては漢字で書くから間違いようはないし、会話でも重箱の隅をつつくような人もいなかったし、駅でも困るようなこともなかったし、自分的には言いやすいんだなぁ。
40年くらい前に「正しくは"おうう"」と言うのは聞いたようなことは微かな記憶にはある。
今、「さて"おうう"それとも"おおう"?」と問われたら、たぶんググっているだろうねwww 俺も「秋葉原」を アキハバラ か アキバハラ かどちらか知らないで
いた。皆「アキバ」と略すから、まどちらでもいいやと思っていた。 東海道線「興津 オキツ」について、中学時代(S46年)に東京〜西鹿
児島間の駅名を暗唱するようになったが、クラスでかくし芸の時に 熱
海、函南、三島、沼津、原、東田子ノ浦、吉原、富士、岩淵、新蒲原、
蒲原、由比、「興津」まで来たとき、急に女子の半分が赤面した。陰部
を指す「お○つ」に聞こえたのだろうか? 俺の方が何故??だった。 本当に漠然とした印象だったが、新幹線の駅と在来線の駅は違う印象があった。
例えば東京ならば在来線では行けず、新幹線に乗らないと到達できない気がした。
なぜそう思ったのか、あるいは周囲が特急券を節約する考えがないことが
あったのも影響があったかもしれない。
在来線にも東海号などの優等列車が走っていることを知ったころにはもう東海号は
廃止間近であって、今から思えば惜しいことをした。 親に連れられてよく新宿駅の山手線ホームで待ってるときガラス張りの向こうの小田急線ホームの人たちがなんか未知の世界の人たちのように感じていた。
一方間に仕切りの無い池袋の東上線はそうは感じなかった。 まだ幼児の頃、海軍出身の父親が兵隊の話をしてくれた。横須賀
海軍兵学校で「機雷科」を出て「呉」に行った。と聞いた。「何が嫌い
で何を(くれる)ところか?」と思い理解の外だった。学生になり「呉
線」を知った。変な簡単すぎる名前の駅だと思った「呉」も「広」も、
近くに 「安芸幸崎・安芸津・安芸川尻・安芸阿賀」があるのに・・・と F永井の歌「貴方と私の合言葉 有楽町で逢いましょう」はS32年2月
心斎橋そごうが有楽町駅前に出店したのを記念に作った歌だが、
若い2人の待ち合わせ場所、と共に貴方も私も有楽町そごうでぜひお
買い物を・・・という意味が入っていた。長い名前だが、よく有楽町を選
んでくれたものだと感心した。「呉」「広」で逢いましょうはサマにならない。 青江三奈の「池袋の夜」もよく選んでくれていると思う。他の東京圏内の
多くの駅近くにも盛り場があるが、どう考えてもサマにならない。
新橋・渋谷・原宿・代々木・新宿・目白などでは・・・・ 還暦過ぎてそうなジジィの懐メロ話ばっか
下らんしつまらん
空気嫁 「津軽海峡冬景色」の終わり近くにある「♪私は帰ります〜」は、
出発地の上野に戻ることを意味していると思った。
青森で連絡船に乗って北に向かっている最中だというのに、
何で今さら帰ろうとするんだ?
実は、失恋か何かがあって東京での生活に希望が見いだせなくなったから、
故郷の北海道に帰るという意味だったんですね。
「♪さよならあなた〜」のワンフレーズにそれが濃縮されていることを
理解するのが、俺には難しかった。
ウン十年遅れで涙した。 >>723
学生時代にふざけて「上野発の夜行列車乗った時から、青森行きは
雪の中〜」と言っていた。確かに東京は雪の日が多い。 そう言うお話は、明日のデイサービスでお菓子の時間にお仲間に聞かせて差し上げてください。 >>723
「おう」の発音は「おお」だろ。正しくはないが大概の人はそう言ってる
以下類似例
運動「うんどう」の発音は「うんどお」
応答「おうとう」の発音は「おおとお」
欧州「おうしゅう」の発音は「おおしゅう」
「お」の後の「う」は言いづらくて「お」になっちゃうんだろうな
小学生の頃は平仮名通りに発音するけど >>724
あきばがはら(あきばのはら)→あきばはら(あきばっぱら)→あきはばら
だからあながち間違いとも言い切れん >>733
ドラマ「鉄道公安官」の「ホームタウン急行」
駅には彼が待ってるはずなの を
駅に別れが待ってるはずなの だと思っていた。
別れが待ってるのにどうして結ばれてるんだ?とずーっと疑問に思っていたよ。 >>738
自分も駅に別れが待っているはずと思っていた。
今住んでいる所の駅に別れをつげて新天地の駅に彼が待っているのだと解釈していた。 大阪のJR駅「天王寺」は住民が実際に発音するときは てんのおじ
と言っているな。 てんのうじ とはあまり言わないし、言いにくい。
ところで東京にも「天王寺」が有るのを最近まで知らなかった。駅は
無いが・・東京都台東区谷中にある、天台宗の寺院。正式名称は
「護国山尊重院天王寺」 >>740
そういうのは方言とか全く関係ない。そもそも日本語は表記と発音が異なる言語。
旧仮名時代なんて現行よりややこしいのなんてさすがに貴方も解るでしょう?
表記どおり「Te-N-No-U-Ji」なんて大阪以外でも言わないよ。
だって「のう」の実際の発音は「のー」なんだからさ。
「の」を伸ばしたら次の瞬間に母音の「お」が出てくるでしょ。
上述の件は、「観音」が「かんおん→かんのん」に転訛する件とは全く別だから混同しないでね。 >>723
読みから先に覚えたからそうなっただけのこと
発音は「おーう」だからな。
棒引き部分の「ー」は、「お」の母音(同じ「お」)だから、
字意を考えずに発音主眼で表記したら確かに「おおう」になる
表記が「おう-う」だから幼少の貴方が混乱したわけでしょ。分かるよ。 コラ、742・743が偉そうに難しい事をいうから、折角のスレが過疎って
しもたではないか!! もっと気軽に受け止めろ!! 上記の 742中
「そういうのは方言とか全く関係ない。」 ←誰も方言の話をしていない。
「現行よりややこしいのなんてさすがに貴方も解るでしょう?」←えらい
上から目線の言い方だな。
同じく 743中「表記が「おう-う」だから幼少の貴方が混乱したわけ
でしょ。」 ←此れも同様。
オマイは国文学の教師・学生か?
じゃ、「天皇陛下」は 「てんのおへいか」とは誰も言わんぞ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています