子供のころ、鉄道関係で勘違いしてた事
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寝台特急「あかつき」は「暁」でなく、「赤月」だと思っていた。 スレタイの子供の頃、と違い失礼。大学生の頃、オレ鉄道クラブ員
2人、と他のクラブ員 計4人でマージャンをしていた時、何の話が
きっかけか、大きな動物の話に始まり、オレ「昔 吹田におおきな
ナメクジが居ったナ」 「そうやそうや」 「大きさは皆20m位の奴や
ったナ」 「ワハハ」 「性格にいうと19m50やったナ」 「真っ黒な
奴やったナ」 「ワハハ」 「放出の方へも居ったナ」 他のクラブ員・
非鉄チャン2人はキョトンとしていたのが思い出される。・・・・ また大学の頃でスマソ。鉄チャンは自分ながら困る。当時「鉄・
マージャン」だらけの生活をしていたが、阪急西宮北口駅の
神戸本線と今津線の平面交差(ダイヤモンドクロス)通貨音が
自然と 「デンデン チャンタデンデン チャンタデンデン チャ
ンタデンデン デンデン チャンタデンデン デンデン」と電車
が云っているようだった・・・ マージャンしない人、ごめんネ。 上記の補足、マージャンの「チャンタ」とは純全帯ヤオ九(純に数字
牌のみ)と、又は混全帯ヤオ九(文字牌が混ざる)のあがり手のこと
である。車両が線路の直角クロッシングを通過する際、単に、「ガタ
ゴト ガタ ゴト」とは聞こえずに 本線3本 今津線2本を同時に渡
るので多数の不規則音が発生し、マージャン中毒の「鉄」にはそう
いうふうに聞こえていた。駄文・長文スマソ・・・・・ 駄文はかまわないが、語尾の「〜ナ」とか老人ネット語をやめてくれw
D員を思い出す そういえば、車両基地の付近を走っている時に、
他の人が「しんだいいれかえ」と言っていたので
寝台車の入れ替え作業をしているのかと思ったら
パチンコの話だった。 駅の端の線路の先に「入信?」て看板があって鉄道会社内で宗教の勧誘をしてるのかと思った。 た……高野山
って関東民多いけどそんなに知名度低いのか >>720
無知が増えただけでしょ。
マツコの番組見てたら今の人は「川柳」すら判らんらしい 自分は「子供のころに」どころか「子供のころから」今までずっと奥羽本線を「おうう」ではなく「おおう」と言っていた・・・。
と、言うよりも「今でも言っている」で、意これは一生なおらないかもなwww
書くにあたっては漢字で書くから間違いようはないし、会話でも重箱の隅をつつくような人もいなかったし、駅でも困るようなこともなかったし、自分的には言いやすいんだなぁ。
40年くらい前に「正しくは"おうう"」と言うのは聞いたようなことは微かな記憶にはある。
今、「さて"おうう"それとも"おおう"?」と問われたら、たぶんググっているだろうねwww 俺も「秋葉原」を アキハバラ か アキバハラ かどちらか知らないで
いた。皆「アキバ」と略すから、まどちらでもいいやと思っていた。 東海道線「興津 オキツ」について、中学時代(S46年)に東京〜西鹿
児島間の駅名を暗唱するようになったが、クラスでかくし芸の時に 熱
海、函南、三島、沼津、原、東田子ノ浦、吉原、富士、岩淵、新蒲原、
蒲原、由比、「興津」まで来たとき、急に女子の半分が赤面した。陰部
を指す「お○つ」に聞こえたのだろうか? 俺の方が何故??だった。 本当に漠然とした印象だったが、新幹線の駅と在来線の駅は違う印象があった。
例えば東京ならば在来線では行けず、新幹線に乗らないと到達できない気がした。
なぜそう思ったのか、あるいは周囲が特急券を節約する考えがないことが
あったのも影響があったかもしれない。
在来線にも東海号などの優等列車が走っていることを知ったころにはもう東海号は
廃止間近であって、今から思えば惜しいことをした。 親に連れられてよく新宿駅の山手線ホームで待ってるときガラス張りの向こうの小田急線ホームの人たちがなんか未知の世界の人たちのように感じていた。
一方間に仕切りの無い池袋の東上線はそうは感じなかった。 まだ幼児の頃、海軍出身の父親が兵隊の話をしてくれた。横須賀
海軍兵学校で「機雷科」を出て「呉」に行った。と聞いた。「何が嫌い
で何を(くれる)ところか?」と思い理解の外だった。学生になり「呉
線」を知った。変な簡単すぎる名前の駅だと思った「呉」も「広」も、
近くに 「安芸幸崎・安芸津・安芸川尻・安芸阿賀」があるのに・・・と F永井の歌「貴方と私の合言葉 有楽町で逢いましょう」はS32年2月
心斎橋そごうが有楽町駅前に出店したのを記念に作った歌だが、
若い2人の待ち合わせ場所、と共に貴方も私も有楽町そごうでぜひお
買い物を・・・という意味が入っていた。長い名前だが、よく有楽町を選
んでくれたものだと感心した。「呉」「広」で逢いましょうはサマにならない。 青江三奈の「池袋の夜」もよく選んでくれていると思う。他の東京圏内の
多くの駅近くにも盛り場があるが、どう考えてもサマにならない。
新橋・渋谷・原宿・代々木・新宿・目白などでは・・・・ 還暦過ぎてそうなジジィの懐メロ話ばっか
下らんしつまらん
空気嫁 「津軽海峡冬景色」の終わり近くにある「♪私は帰ります〜」は、
出発地の上野に戻ることを意味していると思った。
青森で連絡船に乗って北に向かっている最中だというのに、
何で今さら帰ろうとするんだ?
実は、失恋か何かがあって東京での生活に希望が見いだせなくなったから、
故郷の北海道に帰るという意味だったんですね。
「♪さよならあなた〜」のワンフレーズにそれが濃縮されていることを
理解するのが、俺には難しかった。
ウン十年遅れで涙した。 >>723
学生時代にふざけて「上野発の夜行列車乗った時から、青森行きは
雪の中〜」と言っていた。確かに東京は雪の日が多い。 そう言うお話は、明日のデイサービスでお菓子の時間にお仲間に聞かせて差し上げてください。 >>723
「おう」の発音は「おお」だろ。正しくはないが大概の人はそう言ってる
以下類似例
運動「うんどう」の発音は「うんどお」
応答「おうとう」の発音は「おおとお」
欧州「おうしゅう」の発音は「おおしゅう」
「お」の後の「う」は言いづらくて「お」になっちゃうんだろうな
小学生の頃は平仮名通りに発音するけど >>724
あきばがはら(あきばのはら)→あきばはら(あきばっぱら)→あきはばら
だからあながち間違いとも言い切れん >>733
ドラマ「鉄道公安官」の「ホームタウン急行」
駅には彼が待ってるはずなの を
駅に別れが待ってるはずなの だと思っていた。
別れが待ってるのにどうして結ばれてるんだ?とずーっと疑問に思っていたよ。 >>738
自分も駅に別れが待っているはずと思っていた。
今住んでいる所の駅に別れをつげて新天地の駅に彼が待っているのだと解釈していた。 大阪のJR駅「天王寺」は住民が実際に発音するときは てんのおじ
と言っているな。 てんのうじ とはあまり言わないし、言いにくい。
ところで東京にも「天王寺」が有るのを最近まで知らなかった。駅は
無いが・・東京都台東区谷中にある、天台宗の寺院。正式名称は
「護国山尊重院天王寺」 >>740
そういうのは方言とか全く関係ない。そもそも日本語は表記と発音が異なる言語。
旧仮名時代なんて現行よりややこしいのなんてさすがに貴方も解るでしょう?
表記どおり「Te-N-No-U-Ji」なんて大阪以外でも言わないよ。
だって「のう」の実際の発音は「のー」なんだからさ。
「の」を伸ばしたら次の瞬間に母音の「お」が出てくるでしょ。
上述の件は、「観音」が「かんおん→かんのん」に転訛する件とは全く別だから混同しないでね。 >>723
読みから先に覚えたからそうなっただけのこと
発音は「おーう」だからな。
棒引き部分の「ー」は、「お」の母音(同じ「お」)だから、
字意を考えずに発音主眼で表記したら確かに「おおう」になる
表記が「おう-う」だから幼少の貴方が混乱したわけでしょ。分かるよ。 コラ、742・743が偉そうに難しい事をいうから、折角のスレが過疎って
しもたではないか!! もっと気軽に受け止めろ!! 上記の 742中
「そういうのは方言とか全く関係ない。」 ←誰も方言の話をしていない。
「現行よりややこしいのなんてさすがに貴方も解るでしょう?」←えらい
上から目線の言い方だな。
同じく 743中「表記が「おう-う」だから幼少の貴方が混乱したわけ
でしょ。」 ←此れも同様。
オマイは国文学の教師・学生か?
じゃ、「天皇陛下」は 「てんのおへいか」とは誰も言わんぞ。 EF58の牽く天王寺→新宮の夜行の普通列車って、龍華からバックで回送して来るのだと思っていた。 >>747
オレの中学の頃までは、C58がバック運転で天王寺まで引っ張って
来ていたのを沿線で見ていた。その編成をどうやって上の9番ホー
ムへ上げていたのかは知らず、永遠的な「謎」だった。
まるで「引田天功」的マジックだった。 両親とも田舎出身者の子のオレは、「お爺ちゃん・婆ちゃんは田舎に
居る者」だった。お盆には長編成の客レに乗って会いに行っていた。
たまに、友人宅の店先で婆ちゃんが居る者が居た。小5の時、「あい
つの家には60歳の爺ちゃんが居る、皆で見に行こう」と5人ほどで
見にいくほど珍しかった。 オレが子供の頃、父親が話をしてくれた。「お前がまだ6ヶ月位の頃
家の裏の関西線(百済・杭全付近)でお菓子を一杯積んだトラックと
機関車(多分 D51)が衝突し、機関車は側溝へ脱線。転覆した。
オレ 「どうなったん?」 父「近所のみんな お菓子を拾って持ち帰
っていた。わしは汽車の運転手の服を貰って帰った」 オレ子供なが
らに半信半疑だった。母親いわく「大分長い間(半年位)機関車は放
置されたままだった、」此れは信じた。 現在では事故を隠滅するた
めに早く片付けるのに、のんびりした時代だったんだな。 また臆面もなくスレ違いどころか板違いのジジイが涌いとる
ここは「勘違いしていた事」だぞ?
そんなに昔話がしたきゃ、懐かし板に行けや! うるさい 文句ばかり言うな、子供の頃本当かな?と勘違い
した事だ! スレタイ通りだ。 ふ〜ん、機関車の脱線転覆のハナシやら爺さん婆さんのハナシの、どこが勘違いなのかねェ?
爺婆に至っちゃ、客レの二文字以外鉄道要素はないようにも思うんてすがねェ?
私ゃ若造なんで、何をどう勘違いさたのか、納得のいくご説明を願えますかね?
客観的に納得のいく説明ができないのなら、とっとと該当板へお引き取りください うるさい お前の心が貧しいからだ。いやならこの板を見るな。 ↑
はい、納得できる説明ではありませんね
懐かし板にお引き取りいただこうかね、逆ギレジ自慰よ 追伸
ちなみにこのジ自慰を疎ましがっているのはオイラだけではないんでな
同様にこのスレもアンタのワンマンオンステージではないということ
それすらわからん様ではお終ぇだな お前が、ワンマンステージを開いているのだ。同じ事を書くな。 >>759
誘導乙
ふさわしいスレに行った方がお互いハッピーだわ 赤沢トンネルは1980年頃まで使われていたと思っていた。 小学生の頃に小田原〜箱根湯本の三線軌条を見て、内側にある線路(小田急用の線路)は集電のための線路だと思っていた。 小学生まで3電源交直車の切替レバーって「直・50Hz・60Hz」なのかと思っていた。
あと181系気動車のコントローラーハンドルとブレーキハンドルって、普通の気動車みたく縦軸だと20歳代半ば頃まで思っていた。 幼少の頃、天王寺近くの自宅に大学生の従兄弟が来ていて、
「もう遅い(23時頃)から淡路へ帰るわ。」と言った。あんな時間
に神戸・明石経由で淡路島まで帰れるのか?と思った。
大人になって阪急電車に淡路駅があるのを知った。 千歳船橋駅(小田急小田原線)の周辺は船橋市の飛び地だと思った。 また加齢臭がするな…
40年前スレに誘導された筈だが まだ学校で直流と交流の違いも習ってないころ、鉄道図鑑の「交直流電車」という記載を見て直流と交流のほかに「交直流」という電気があるのかと思っていた。(直流と交流もどういう電気なのかは知らない) >>768
残念だがこういう儲かる話題は無料で書いたりしない
ここのネタも参考にさせてもらって商売、商売 ドタマ大丈夫か、はこっちの台詞だジ自慰め
古臭い勘違いにすらならんコトをわざわざageるから
すぐわかるさね
あぁそうか、そもそも誘導された先から追い出されて
ここに流れ着いてたって訳か、お可哀想に
だが残念ながらここもアンタの居場所じゃねぇんでな
出ていけや >>771
懐かし系の話題は地味に閲覧数が伸びる
自身の体験が多いけどネタはいろんなところから拾ってくる
鉄に限らない 子どもの頃ではないが、大学生になり上京するまで11両編成を「短い」と表現する世界があることに驚いた。 777(σ´∀`)σ ゲッツ!!
777キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
777(・∀・)イイ!! CMの影響か
小さい頃は
近鉄電車は
あの黄色い電車(23000系)しか走ってないと思っていた
近鉄の赤い一般電車を初めて見たのは高3だった 釣掛駆動の音は「古くなってくたびれてきたため」だと思っていた。
今、走っているクーラーの付いた新しい電車も、ロマンスカーも「そのうちにああなるんだ」と思うと可哀想になった。 「ひかりは1秒間に地球を7周半まわる」
と聞かされて、新幹線は地球に張り巡らされてると思ってた。 >>770
そうだそうだ、あれは電車のワーンワーンという泣き声だと思っていた。 かつて黒磯駅の交直切替が、特急は走りながら(車上)切り替えだった
のに対し、急行は必ず停車して(地上)切り替えていた。
だから、他の線区でも走りながら交直切替できるのは特急だけだと
思ってたな。
黒磯駅の信号が電源と連動してるとか、通過する為には車両選別装置
が必要なんてことを知ったのはずっと後のことだった。 昔昔の新幹線の、ゴトッ、ゴトッって音は、0系のせいではなく、線路の溶接凹だったのね。 >>783
S48年に初めて新幹線に乗った、超ロングレールだと言われていたので、
実際走るとゴットンガッタンと音がする。速くなるとガシャンガシャンガシャン
には参った。100系が出来てから乗ると案外静かだった。0系の台車の
構造から由来したと思う。ただ本当の意味での継ぎ目なしのレールでは
なかったんだな・・・・・ オレも昔300系にデビュー後に広島へ行った。新岩国で降りるために
広島で哀れな姿の4連(しかも不使用のビュフェ車入り)に乗換えたら、
ガシャガシャと音がして懐かしかった。もう2度とは聞けないと思い込ん
でいた。あれはあれでいい物だった。 子供の頃、「非情のライセンス 天知茂主演」再放送をやっていた。
テーマは「凶悪の超特急」 0系車両中で 刑事天知が犯人を見失
った。結局犯人は車端部出入台床下の蓋を開けて中に潜んでいた。
床の蓋は全部モーター・機器点検用と信じていたが、ごみ箱だった。 今も有るか無いか知らないが、TVのCMで「藤本製薬のピップエレキバン、
磁力が肩こりに効く」とあったが、あんな物買うよりも、電車のM車に乗る
方が効果が数千倍も有ると思っていた。ホントかどうかは知らない・・・ 東海道線の「彦根」は「箱根」の贋物と思っていた。近江今津北の
箱館山スキー場は北海道の函館の贋物と思っていた。しかし、
不思議に、北陸線の「高月」は「高槻」の贋物とは思わなかった。 中学の頃、男子は原則として頭は丸刈りだった。散発屋へ行った翌日
登校するや、女子が「はつかり」と言いながらしつこく頭を叩いてきた。
意味が分からず、そいつが美容室でカットしてきたら俺が「はつかり」
と言って叩いたら、同級の男子が「かり」じゃない、「はり」だといった。
当時は何故東北線の特急列車名を言って叩いたのかイミフだった・・・ >>790
「はつはり」をググって初めて知った、大阪特有の文化。 国鉄の機関車の製造番号に欠番があるとは思わなかった。
カラーブックスの懐かしの蒸気機関車の、著者の写真がD51-1150とともに写っているのに、本文にD51の製造両数が1115両とあるのは1151両の間違いと思っていた。
EF 65は499両作った後で500番代の製造を始めたと思っていた。1000番代がいるのに、600とか700は見かけないのが不思議だった。
番号が抜けていると知った時には、すごく裏切られた気がした。 立席特急券で特急に乗ったらデッキや通路でしゃがみ込んではいけないと信じていた。 鉄道は大儲けしていてそのうち自動車産業が潰れるほどになると思っていた。
事実は逆だった。国鉄は潰れ、JRも北海道と四国は風前の灯 電車のモーター音は天井の通風器、空調のルーバーから出ているものだと思っていた。 >>796
前川清談によると当時はなにか楽器をできるほうがえらくて一番若く下っ端で楽器もできなかった前川がメインボーカルをやらされることになったとのこと。 小学生の頃、プロ野球の阪神や阪急の選手はみんな電車の運転士か車掌だと思っていた。 小学生の頃、関西線のキハ35の運転手は元巨人の金田投手に似ていた。
皆親戚の人だと思っていた。本当に半分位の人はよく似ていたゾ・・・ >>798
ワロタ。社会人野球的な勘違いもあったんだろうな。 >789 小学校高学年までは 、0系の前照灯(尾灯)は終点で白熱電球を赤い電球に取り替えているのかと思っていた。 東海道新幹線の開業前、0系の先端部は「光前頭」と言われていて
国鉄の施設に行くと、直管蛍光灯を放射状に並べて乳白アクリル部材を併置する展示まであった
なので夜間にはあの部分が行灯式ヘッドマークみたいに明るく光るものだとばかり思っていた >>798>>800
元阪神の赤星はJR東在籍時代に車掌やってたそうだ 国鉄 鍛冶屋・鍛冶屋原線の沿線には小学校の音楽で習う
「村の鍛冶屋」が大勢住んでいるものと思った。〜しばしも休まず
槌打つ響き、飛び散る火花よ走る湯玉〜 忙しくしていると思って
いた。 海田市と日頃市をそれぞれ『海田』『日頃』という街だと 特急の車内はよく殺人が起きる。
走行列車と外部の通信は不可能で手紙の入った袋をホームに落とす一方通行伝達。
車内販売のコーラはストローが付くから高い。
車掌の腕章はよくズレ落ちる。 小学時代、夏休みの昼メロドラマで、多分中央線の駅だったかアナウンス
が「特別きゅうこうれっしゃあ〜」と言ってる場面があった。
一緒に見ていた母親に聞いた。 「特別きゅうこうれっしゃあ〜」て何?
「特急」のことだ。と返された。それまでは別物と思っていた。 昭和42年6月公開の「喜劇 急行列車」はなぜ特急さくら20系客車で
登場するのに「喜劇 特急列車」じゃないのか、と思っていた。さすが
後年上記のように特急も急行の範疇だと理解したが、英語を習うように
なったころ、特急を英訳でspesialと教えるのが気に入らず、英語担任に
ltd expressにしろと言いたく、かなり辛抱していた。 GTO素子のVVVFインバーターを使った車両は、運転士がマニュアル車みたいな操作をしてると思ってた キハ81のボデーは当初 クハ151用に製造していたがあまりに不細工な
ため、はつかり用に転用したものだと思っていた。子供心にも本を見て
不細工と感じた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています