子供のころ、鉄道関係で勘違いしてた事
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
寝台特急「あかつき」は「暁」でなく、「赤月」だと思っていた。 >>747
オレの中学の頃までは、C58がバック運転で天王寺まで引っ張って
来ていたのを沿線で見ていた。その編成をどうやって上の9番ホー
ムへ上げていたのかは知らず、永遠的な「謎」だった。
まるで「引田天功」的マジックだった。 両親とも田舎出身者の子のオレは、「お爺ちゃん・婆ちゃんは田舎に
居る者」だった。お盆には長編成の客レに乗って会いに行っていた。
たまに、友人宅の店先で婆ちゃんが居る者が居た。小5の時、「あい
つの家には60歳の爺ちゃんが居る、皆で見に行こう」と5人ほどで
見にいくほど珍しかった。 オレが子供の頃、父親が話をしてくれた。「お前がまだ6ヶ月位の頃
家の裏の関西線(百済・杭全付近)でお菓子を一杯積んだトラックと
機関車(多分 D51)が衝突し、機関車は側溝へ脱線。転覆した。
オレ 「どうなったん?」 父「近所のみんな お菓子を拾って持ち帰
っていた。わしは汽車の運転手の服を貰って帰った」 オレ子供なが
らに半信半疑だった。母親いわく「大分長い間(半年位)機関車は放
置されたままだった、」此れは信じた。 現在では事故を隠滅するた
めに早く片付けるのに、のんびりした時代だったんだな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています