UNIXって死滅しかけてません?
JFSってかなり早い時期からLinuxで利用出来てたけども、結局天下取れなかったな ジャーナリングファイルシステムとしては、ReiserFS が Linuxカーネルの相性は良さそうというか、Linux ベースなので悪いはずはなかったんだけどな。 XFS が広く使われるようになったのは Redhat のせいかな。 >>65 ReiserFSは、開発者が殺人で有罪確定した時点で、もう死んだ、というよりは抹殺された。 Solaris、AIX、HP-UX がほぼ開発停止状態だからな。 仕方無い Linuxが訴訟合戦してるUNIX陣営を駆逐してくれた。 UNIX もったいないから、どっちかをどっちかに移植したりx64 で動くOSで残して欲しいんだけど。 HP-UX の利点はよう知らんけど。 商用UNIXの利点は金払えばサポートしてくれる点だが。仕事したことないのか? hpは大企業で一応SIerでもあるぞ? 金払えばms製品からoracle製品までまとめて対応しくれるだろう。 >>36-38 この板で存分にすれば良いじゃないか メーカー製の話を自作板ですればそりゃ叩き出されるわ もう歳なんだからその辺の分別は付けたらどうだ >>70 金払えば、オープンソースのソフトを修正してくれる人なんて いくらでも雇えるだろ 商用UNIXのサポートと何も変わらんよ >>72 もうちょっとお金を出せば どこがどう悪くて、どう改修したかも教えてくれる よくある詐欺師の営業トーク いくらでも雇えます → じゃあBSDカーネル詳しい奴、一週間で3人集めて → 見つまりませんでした 商用サポートさえピンキリなのに無職の妄想すげーな。 ms>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>redhat ←これが現実。 RedHatもBtrfs投げだしたりCentOSをアレしたりとだんだんOracleに似てきたしな まぁ苦しけりゃそういう方向に舵を切らざるを得ないんだろうけど 昔からのUNIX陣営としてはBSD以外は有料でないと、商売にならなくないか? UNIXの上で動くソフトを有料にすれば充分儲かる 開発や保守も楽だし ソフトウェアの開発は金がかかる。 客が出さないんだよ。 ハードウェアを売るしか金にならない 移植が比較的楽というならわかるよ。 Linux が普及したあとでみると、AIX 古臭い気がするから、Linux に流れるしかないかな、というのはわかる。 >>82 村井先生が、 『欧米人は人材提供にお金を払うが、日本ではお金より大変な力を持っているものがある。それはお辞儀だ』 と言ってるらしいから、KAMEプロジェクトの時みたいに村井先生の様なIT分野で権威有る方にお辞儀をしてもらえば、 超優秀な人材を招集出来るんじゃね? https://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2006/04/28/11842.html >>74 中抜人材屋に依頼するよりも、BSDIとかにカスタムBSD/OSを作ってもらった方が確実なんじゃね? UNIXは昔オープンソースという名前がなかった頃からソースコードを公開していた。 その理由はAT&T(電話会社)が巨大でソフトウェアの業界への参入が許されてなかったから ビジネスにならないからソースコードを公開していた それは大学などで自由に改造して使えるものだった 大学はBSD系という独自のUNIXに発展していった しかしそれが会社分割を行うことでソフトウェア業界への参入が認められた AT&TはすぐさまUNIXをクローズドにし商用UNIXを作った。それが崩壊の始まり AT&Tはビジネスの障害だとソースコードを公開していたBSDを目の敵にし攻撃をし始めた BSDはUNIXのコードを削除する作業に追われ開発は進まなくなっていった そこで生まれたのがオープンソース文化のGNU。GNUは数々のコマンドとともに カーネルも作るつもりでいたがカーネルの開発は遅れに遅れまくった。 そこに登場したのがカーネルであるLinux。ちゃっかりGNUのコマンドを借用しOSとして仕上げた 商用でクローズドのUNIX、商用UNIXに体力を奪われたBSD系UNIX それがUNIXの最後の姿である というのが、空気が読めてないUNIX陣営視点でのUNIX史である。 >>88 おおむねその通りだと思うんだけど、どこが違うと感じる? >>87 ではないが、 96〜99年頃のBSD系は、デスクトップ環境を比べてもLinuxと比べても似たりよったりで、 ファイルシステムやTCP/IPの実装はBSD系の方が性能も上回っていたと思うぞ。 (当時のLinuxはパーティションサイズの上限値がたったの2GBだった、IPv6の開発はKAMEがUSAGIより先行してた) PC上で動作するOSでは、当時はMSが天下であり、Linuxもメーカー純正デバイスドライバは殆ど提供されておらず、 オープンソースの野良ドライバーで対応してて、BSDと同じ環境だったぞ。 NICはインテルのチップにしか対応してないとかな。 X Xerverも、XFree86等のフリーなものを使いたければ、グラフィックカードはS3等のチップを使用したものしか選択肢は無かったし、 それ以外ではAccelerated-X等の1万円以上する商用Xサーバを購入しなければならなかった。 今ではメーカーもLinux用のデバイスドライバやプロプライエタリなアプリを提供したり販売したりしてるけどな。 大きな転機が訪れたのは、2000年頃で、IBM等の大手IT企業がLinux事業への参入を表明してから。 >>90 登場したばっかりのLinuxと 歴史あるBSDが同じ環境なら 圧倒的スピードで追いつかれてるってことじゃんw 大体大手が動くのは遅いんだから 大手がLinux事業へ参入するのは転機ではなく決定打だよ 2000年頃にBSDを含むUnixの終わりが確定した キミらが語る時代のunixシェアは1%未満。しかし昨今の現実を見給え。 今はデスクトップOSだけでも15%程度もある。 キミらの時代は当初から一貫してオワコンだったが今は復活したのだ。Aplleのおかげでな。 Apple のGUI 嫌いだから変えられるようにしてくれたらいいのに。 LinuxとBSDはUNIXではありません。UNIXを名乗っていいのはMacOSだけです。 >>90 色々脚色してる 性能については、当時10万円台のPCベースのLinuxと、数百万円のメモリ空間満載のワークステーションのBSDを比べるならその通り なお、PCへ移植したBSDは性能も劣ってた ドライバー類も同じ環境ではなく、野良かどうでもよくてLinuxの方が充実してたよ(ただしPC98は除く、BSDのPC98は野良ではないの?) そもそもリーナスが協力的だったし、それこそメーカーにドライバ情報を提供するように呼びかけてた NICはIntelだけとかVRAMはS3しか選択肢がないとかそんなわけないだろ RISC-UNIXワークステーションがx86-DOS機を性能で上回ったのは2〜3年。ほんの一瞬の出来事。 市場の大きさではDOS市場に比べれば鼻くそ程度。シェア1%未満。 > 死滅しかけてません? 栄枯盛衰とはいうが歴史は長くとも栄え盛り上がった歴史は実はUNIXにはない。 2000年頃にLinuxブームはあったが、すぐ使えないとレッテル貼られて萎んだ。 インストールしてXの起動までのハードルがRedhatは低かったおかげで嬉しかったわ。 追加で日本語が使えるパッケージを導入したりするので勉強になったぞ。 GUI 使わないでもいいか、と学習したのは就職してからだったけど。 >>97 当時のWeitek(P9100シリーズ等)やMatroxやATIは非常に非協力的だったが。 DOS時代から積極的にドライバー情報を公開してたのって、S3、Cirrus、Tseng Labsくらいだろ。 Matrox等がXFree86向けにバイナリーモジュール(drm-kmod)を公開したのはかなり後になってから。 Linuxに対してメーカーが協力する様になったのは、00年以降。 少なくとも、それ以前のLinuxの比較対象は、BSDではなく、Minixだった。 95〜98年頃のFreeBSD2.xと同時期のLinuxとを比べても、FreeBSDの方が未だ上だった。 既に3GBクラスのHDDが数万円程度で市場流通してたのに、Linuxでは最大パーティションサイズがたったの2GBだってのに愕然としたよ。 少なくとも、FreeBSDにはそんな制限は無かった。 当時はFreeBSDはPC98版が有ったので、少なくとも日本国内ではLinuxよりも支持を得てた。 ノートPC向けのPlug&Playでは、PAOというプロジェクトが有り、日本国内のコミュニティーで活発に野良ドライバーが開発されていた。 newbus vs newconfig が原因で、国内のFreeBSDのドライバ開発者コミュニティが散っていった。 >>98 いやいや、そんな事は無いから。 DOSだろ? CPUの性能以前に、OSの使用可能メモリ空間だけで、既に負けてるじゃんwww 少なくとも、x86 CPUは、Pentium Pro(P6)登場以前は鼻くそレベルだったぞ。 x86じゃ使い物にならないから、広大なメモリが必要なDTP等は、MacやUnixが使われてた。 Windows 3.1の最大16MBで何が出来るん? >>99 当時、学生時代の知人でLinux本を書いた人が居たけど、 当時のLinuxでは、SlackwareとかでXFree86の設定をするのにxvidtuneとかで表示位置をチューニングしたりするのが普通だったみたいだぞ。 商用のAccelerated-Xだと、面倒な設定無しにXが起動して物凄く楽だったわ。 何故Accelerated-Xを使ってたかというと、XFree86がP9100をサポートしてなかったからだ。 >>101 当時のことを何も知らないようだね。UNIXワークステーションと言えば68k機。メモリは広大だが1MIPS。 そして彼らは何をしてたかというとvi+cc+make+dbxで開発だ。CP/Mに毛が三本生えた程度の開発環境。 一方DOSはどうだろう。80年代半ばには既にIDEが当たり前で68020(4MIPS)に対し386(11MIPS)。 そしてDOSの圧倒的な軽さと相まって体感速度はおそらく100倍ぐらい差はあったと思う。 もちろんシェアはほぼすべてDOSで超高価で低速UNIXワークステーションは鼻くそ程度。 そこで高速RISCワークスーションが登場する。 DOS市場を崩壊させると思わせる高性能だが結局数百万のワークステーション。 個人が手を出せるわけもなく、結局RISC機が駆逐したのは既存の68機であった。 しかもUNIXの最大の売りはTSS。ほんどの企業はマルチユーザで一台を使うのだからその遅さときたら… 使用人数で割ると、一人で使うDOS機のほうが自由に使えるリソースの多さ、圧倒機なコスパの良さだった。 悪貨は良貨を駆逐する だから今残ってるものは全て悪貨(iPhone)良貨は駆逐された 悪貨は良貨を駆逐する >>103-104 自分の居た理工系大学のアカデミックな環境とは随分違うみたいだな。 RISCワークステーションが駆逐したのは、戸棚位の大きさのミニコンピュータで、大学購入の場合、 NEWSやSSはかなり割引が有ったので、結構贅沢に使えたけどな。 汎用機時代のTSSと比べると、雲泥の差だったぞ。 RISC WSが1台50〜100万円位になると、2020やFMR等の旧式のDOS機が一気にSS5等にリプレースされた。 その後、自分は学籍を失ってるので分からないが、99年頃にはRISC WSがLinux PCにリプレースされたと聞いている。 大体5〜6年でリース切れとなり、一斉にリプレースされる。 SS5はリース切れ後、そのまま大学の物になり、希望研究室に配布されたらしい。 多分、>>103 の時代はHITAC S820やFACOM等をTSSで使ってるか、DECのミニコンピュータを使ってて、 そんなヘボいマシンは導入してなかったと思う。 91〜92年頃だったと思ったが、既にBSDからSVR4になったSolarisをSPARC clasiic 4台につきSS10 1台の割合(SS10をGW)で、 10BASE2で接続したりして使ってた。 大学だの研究室だのいると外が見えなくなる。 実際、大学だの研究室だのWS市場は80年代から90年代にかけてほとんど伸びてない。 自分の所属する研究室のワークステーョンの入れ替えが彼らの世界そのものだなのだ。 90年代のPC市場に比べたらWS市場は0.1%未満。Windows95の爆発的普及でインターネットブーム、TCP/IP需要、つまりサーバとしてUNIXの需要があったが、これをまた勘違いしてUNIXがインターネットの基礎として世界中に普及していたみたいに勘違いする人もいるが別にそうではない。Windows95普及前なんてインターネットなんて禄に構築されておらず、一部の企業や大学にクラスAのアドレスが大量に配られるほど杜撰な管理をしていた。 Windows95 の後にSUNが瞬間的に頑張って、安い端末 Sun Blade 100 を出してたね。 安いの出されても、魅力は少なかったからから、UNIX はいかに素晴らしいかを語ってくれていたら良かったのに。 とは思うが、個人で科学技術計算をするには良さそうだけど、世間はマルチメディアで、音や映像に向かって行ってたので苦しかったね。 別にUNIXは素晴らしいものじゃなかった で終わる話だよ Windows 95の時代にすでにWindows NTは高い安定性で発売されていた Windows 95の魅力はそれまでのMS-DOSの資産を活かせること UNIXと比べるならWindows NTでなければいけない そして高い安定性を持ったWindows NTよりも Windows 95の方が魅力的だった 何が素晴らしいかっていうのは、そういうこと 90年代末の企業ではMS-Officeが勝者で必須でたいていNT4.0だったけどな。 PC-UNIXはハードが安く高性能なPC互換機を流用できることがウリみたいに言われることがあるが、 実際はシステムを一人占めできることが最大のウリだったと思う。みなrootになって好き勝手にやれるようになった。 ただCP/M、DOSユーザにはそれは当たり前のことで移行する理由にはならなかった。 sh の形式のシェルスクリプト作成するのと、Windowsのコマンドプロンプトで実行できるスクリプト書くのだと、sh の方が圧倒的に書きやすい気はするんだけどね。 あとUNIXは、一通りの事はCUIで完結するから、手数を少なくできるという。 そうは言っても、Excel で結果の反映を見ながらまとめたりグラフ描いたりもしてはいて、awk/sed で元データ作るより、Excel で試行錯誤してる時もあるけど。 今となってはWindowsはCUIが貧弱という論調は簡単に論破されると思う。 90年代末にMSはオブジェクト間通信を標準化し実装し、実用段階に持っていたのだから、 テキストベースでしかやりとりできないUNIXに勝ち目はない。 >>112 Windows95も98も、頻繁に「メモリアクセス違反」が発生し、リセットボタンを押さざるを得ない羽目になり、せっかくのデータあぼ〜んで、 テキストエディタでテキストファイルの文書作成としてすら使い物にならなかったわ。 DOSやWindowsと比べ、日本語の変換効率は劣るが、FreeBSD+XEmacsの方が、ずっとマシだった。 しかも、Unixと違い、16bitOSのDOSやWindows98ではバックグラウンドでタスク実行が出来ないし。 FTPでファイルのダウンロード中、テキストエディタでファイル編集とか出来ないだろ? >>113 90年代末のNTなんて、1ヶ月に一度は再起動かけないと、不安定でどうしようもなかっただろwww >>115 90年代末には、既にKDEやGNOMEが有ったけどな。 NextStepとかIrixとか知らねーの? Solaris(Open Windows)だってDisplay PostScriptをサポートしてて、既にWindows98よりもずっとマシなGUIだったけどな。 WindowsのCUIって貧弱だろ。 ログインも含め、全てCUIだけで完結出来るのか? >>117 > Windows98ではバックグラウンドでタスク実行が出来ない え?w UNIXで漢字かな変換は悩ましいな。 atok, vje, wnn はあったけど、有料だったせいで大半のユーザに使ってもらえないままで消えてしまった。 個人的にはSKKでよかったけど、ブラウザで漢字かな変換が必要な場面が増えたり、Windows でMS-IME を使っていたから、どちらかに統一したくなるんだよね。 >>108 > 自分の所属する研究室のワークステーョンの入れ替えが彼らの世界そのものだなのだ。 他で新型のワークステーションが導入されたという話を聞けば、可能であれば、他所の研究室だろうが直ぐにリモートアカウントの申請はしたけどな。 研究室のワークステーションは古びてても、所属学部や研究科で共同所有のは比較的こまめに新型が導入されてたぞ。 TCP/IPの通信プロトコル自体、BSD標準の通信プロトコルだし、非匿名ではあったが、mnewsというアプリで5chみたいな掲示板でインターネットは楽しんでいたし、 逆にWindows95のせいで、インターネットがエロバナー広告だらけになって迷惑だったわ。 5chも、専用ブラウザを使用している限り、当時のCUI時代と大して変わらんな。 ウチの大学はクラスBアドレスだったけど、Unixマシンにtelnetやftpしかしない様なMS-DOSマシンにすらIPv4グローバルアドレスが付与されてたから、杜撰に配られていたという点では同意する。 >>109 当時、「Sunも遂にWSではなくPCに成り下がった」って周囲ではバカにしてたわ。 もうその頃は、確かにUnix WSは終焉だったのかもな。 でも、俺はSunの真価はハードウェアではなくソフトウェアだと思ってるから。 NFSやNIS、Java、ZFSなど、数々の当時としては先進的な製品を世の中に送り出し、その多くをオープンソース・プロジェクトに寄贈してきたしな。 ZFSは便利だぞ。 >>117 > Windows95も98も、頻繁に「メモリアクセス違反」が発生し そうだね。だが魅力的なとして普及した そういうことだよ。 つまり誰もが高い高級料理を食べようとは思ってない 安い大衆料理で普及させて、高級料理並みの味になったのが今の世界 それが戦略なのさ >>117 > しかも、Unixと違い、16bitOSのDOSやWindows98ではバックグラウンドでタスク実行が出来ないし。 > FTPでファイルのダウンロード中、テキストエディタでファイル編集とか出来ないだろ? できた。認識時点で間違ってるから それじゃ議論にならんよ Windows 95でほぼ完全に32bit化して 完全なマルチタスクを実現したのは Unixの崩壊の原因の一つだと思う >>121 確かに、数百万円もするUNIX WSを使ってた時は、高級料理を食べたくて使ってたな。 PCでは体験出来ない圧倒的なパフォーマンスで、しかもSS5では個人1台の様な贅沢な使い方が出来たしな。 大学の電子演算室に70台近いSS5が導入された当時、FPUバグ付きPentium60マシンが売られてたが、 それよりも倍近いCPU性能が有ったからな。 でも、個人所有のPC-Unixで求めてたのは、高級料理ではなく、当時のWindowsには無い高い動作安定性だったけどな。 WindowsXP以降は、Windowsも随分安定してきたし、Windows10はかなり安定している方だと思う。 >>122-123 Windows3.1だったな。認識不足だったのは認める。 アプリがプログラムマネージャの囲いから脱出出来なかった酷いOSだったよな。 当時使ってたi486マシンのWindows3.1が余りにも酷すぎて、HDDを全部消してFreeBSDを入れて、それっきりだったんだわ。 大学の研究室のマシンは、PowerMac、MSDOS、NEWS、BSD/OS、Linux、NT Serverで、95〜Me迄は全く使った事無かったんだわ。 >>111 ウソこくでねぇ! NT3.51や4.0の安定性はヒドイものだったぞ 社内の鯖缶やらされてえらい目にあったわ >>124 当時の個人は高い安定性なんか求めてなかったよ 使いやすさとMS-DOSの資産の活用とゲーム対応 だからこそWindows95が普及した >>125 ネットをググって、NT3.51や4.0の安定性の酷さを 詳しく解説してるページ見つかる? ないでしょ。そういうこと >>127 サーバで使いたい奴は少なかったんじゃないか? せいぜいファイルサーバー。 当時はサーバ用のパッケージも出してたけど、レジストリ2ヵ所変更すればWorkstationがServerに、ってなって、サーバって何かな、と思ってたけど。 >>126 セキュリティアップデート等で年に数回程度しか再起動されないシステムに慣れ親しんでいると、毎週どころか毎日再起動しないとまともに使えないシステムは耐え難かったんだよ。 ゲーム対応って、Unix界ではnethack等のインターネット・オンラインゲームが94年頃には既に市民権を得てたし。 理系・文系の違いなんだろうな。 ソースコードを何処かから拾ってきて、自分でコンパイル出来るかどうか、コンパイルが上手く行かなかったら、ソースコードを書き換えて何とか出来るかどうかの違いだろう。 そもそも、PC98じゃなきゃ、国内には日本語対応のMSDOS資産なんて殆ど無かったし。 というか、92年頃に買ったのがAT互換機(オウム系マハポPC)だったので、自分の場合DOS資産そのものが皆無だったし。 DOSゲームでよくやったのは、BRIXとかだったな。 https://en.wikipedia.org/wiki/Brix_ (video_game) ところでWindows95ってメモリ何MB迄対応してた? 俺、96年頃には自分のFreeBSDマシンには既に64MB積んでたけど。 >>127 当時、個人向け無料WEBサイトとして人気を得ていたインフォシークやジオシティーズが、運営会社の都合で相次いで閉鎖し、当時のWEBページの大部分が消滅したからな。 何度も言うけど90年代にUNIXは普及してないからな。市民権など得てない。 80年代から90年代にかけてほとんどWS市場は拡大していない。急拡大したDOS市場に比べたら0.1%未満の規模。 大学に100台WS納入されところでその生徒は数千人は個人用でDOS機買ってるんだから。 急拡大した需要はPCゲーム市場、オフィス市場(ワープロ、表計算)が主。エディタの使いやすさも圧倒的。 vi+ccのためにWS買うなんて需要は全く増えてない。アプリ開発するにもIDEが当たり前のDOS-Windowsのほうが圧倒的に効率よく品質の高い製品が作成可能。なによりデバッグ環境が天地の差でUNIXの開発環境ではマルチスレッドのテストやデバッグはまともにできない。なので長らくGUIの品質がずっと低迷して安定しなかった。 > そもそも、PC98じゃなきゃ、国内には日本語対応のMSDOS資産なんて殆ど無かったし。 これほど悲しい負け犬の遠吠えは聞いたことがないw そのPC98では、アキバや日本橋行けば、新品ソフトだけでワンフロア、中古ソフトでまたワンフロア専有するような店が何件もあるほどの市場のでかさ。 >>127 安定性の酷さを詳しく解説してるページがないからといって、安定していたとは限らない 逆に安定性していたことを詳しく解説してるページはあるのかね? 俺はNT3.51や4.0で苦しめられた点をwebで公開してたけど、とっくの昔にクローズしたよ >>128 ネットをググって、NT3.51や4.0の安定性の酷さを 詳しく解説してるページ見つかる? もしかして見つからないのに 不安定だってって適当なこと言ってるの? >>129 昔の人って脆弱性を放置したまま運用していたらしいね(笑) 「一年もそのまま動かしてるー(自慢)」 セキュリティパッチも当てずにね(呆) >>132 > 俺はNT3.51や4.0で苦しめられた点をwebで公開してたけど、とっくの昔にクローズしたよ インターネットアーカイブで見れるだろ NTカーネルはド安定だったよ。そもそもNT4.0workstationは企業向けに馬鹿売れしてるから、 そんなに不安定なら当時の情報が未だにいっぱいあるはずだよ。仕事で使ってたが一度もコケたことがない。 たいてい不安定連呼してるNTサーバ向けのサービス。 IIS関連やOracleだのメモリリークによる定期的に再起動が必要だったこと。 そもそもNT3.51や4.0で苦しめられたというがMSのサポートをちゃんと受けていたのかと。 だいたいunixでdb、web運用だって当時は禄に枯れてないのにド安定だったというほうが話がおかしい。 大量にあるWindowsクライアントと違って、接続端末は数台で元々負荷がなかったからメモリリークに気付かなかっただけというのが本当のところだろう。 >>125 IIS稼働のNT4が毎日再起動必要になったーって泣きついてきたからFreeBSDにしてやったら アクセスカウンター動かなくなったーって騒いだので見たらCount.exeで笑った記憶 >>135 生憎URLも覚えていないから確認できん そう思いたいなら別にそう思っとけばいいよ お前を信用させる義務も必要もない 大学にEWS4800があったがとても安定と呼べる代物ではなかった。 一般ユーザー権限で使ってるだけなのにサーバが落ちるもんだから、その度にシステム管理者に謝罪して復旧してもらわなければならなかった。もちろんこっちとしてはPC98-DOSの安定性を知ってるものだから、その理不尽さにゴミOSのレッテルを貼らざるを得ないだけでなく、学生もみな使いたがらなかった。 その後、あの有名なNT開発記を読んで、MIPSがボロクソに書かれていて、あーやっぱりなという感じだったわ。 俺が思うかどうかじゃなくて、 他の人がどう思うかでしょ?w 「お前」が誰であっても同じだよ そんなことも分からんのかよw 日本の電気街では国民機一色だった1992年になぜかAT互換機を買って 日本語ソフトがないと文句を垂れるのはIT音痴とは言えないだろうか。 Macを買ってWindowsが入ってないと怒ってる人と変わらない。 >>143 誰であっても同じというのなら 俺が信じないなら他の人が全員信じないってことだよ せっかくお前に証明するチャンスを上げたのにねw > 俺、96年頃には自分のFreeBSDマシンには既に64MB積んでたけど。 96年にはPen Pro+NT4.0が出た時代。386でアドレスバスは32bit(4G)あったし、PenProは36bit(64GB)に拡張されてる。NT4.0は32bitOSだが4GB近いメモリは扱える。 これは単にボクはお高いメモリをたくさん買えたという自慢ということでよろしいか。 >>127 海外のサイトも探してみよう! http://www.lege.com/unix-nt/ >>139 > 大学に100台WS納入されところでその生徒は数千人は個人用でDOS機買ってるんだから。 実際には100台どころではなかったしな。キャンパスが隣の県にも有ったし、各キャンパス毎に一般学生に開放されたWSがその位有ったといった方が正しいだろう。 汎用機にTSS接続されたHITACHI 2020やFMRからのダウンサイジングによるリプレースだから、FORTRAN77からCへのね。 主な目的は、学部生の授業の課題レベルの小規模な科学技術計算。 自宅からもダイヤルアップPPPで大学のWSに接続出来たから便利だったぞ。 大学院生や教員が行う様な大規模な科学技術計算は、別途VPP300等でFORTRAN90等で行ってた。 > vi+ccのためにWS買うなんて需要は全く増えてない。 確かに、当時でも周りではvi派よりはemacs派の方が多かったしな。 > アプリ開発するにもIDEが当たり前のDOS-Windowsのほうが圧倒的に効率よく 高いお金を出せば、Unix環境でもIDEは有ったけどな。 お前らが現在Windowsで使ってるアプリも、その起源はUnix上で開発されてたりしたんだけどな。 Firefoxの元となったNetscapeとかな。 > なによりデバッグ環境が天地の差でUNIXの開発環境ではマルチスレッドのテストやデバッグはまともにできない。 つ DTrace >>131 あと数年もすれば、ガラパゴス仕様のPC98アーキテクチャは滅びるという確信が有ったからな。 適当なテキストエディタとTeXが使える環境、適当なプログラミング言語が動けばそれで良いと思ってたから。 PC98用のエロゲーでもやるんでなければ、理系学生なんてそんな程度だよ。 まぁ、今現在、最大のUNIXのシェアはデスクトップPCのMacOSだろうけどな。 >>145 >俺が信じないなら他の人が全員信じないってことだよ うわ、バカだこいつw 他の人全員が自分と同じだと思ってるのかよw これは恥ずかしいww >>141 EWS4800は使った事無いので知らないが、OSの安定性とハードウェアの安定性をごっちゃにしているのかもな。 1年の内、360日位は稼働させっぱなしだったりするから、数年でハードウェアの何処かが駄目になる。 ハードウェアが故障すれば、当然動作も不安定になる。 大抵は、HDDやNIC、HBAの故障だったりする。 >>133 実体験として不安定だったと言ってるなら、そういうページの有無など関係ないじゃん 自身の体験を話すのに、他人の同様の事例は必要ないやろ >>147 で、市場シェアが0.1%未満だと認めるの? 市場のでかさはそのまま技術者の数、質の差でもあるよ? なぜLinuxブームは速攻で消えたの? netscapeにしろコケまくってまともに動かなかったからでしょ。 unixユーザの多くは大学デビューでとにかくプログラミングスキルが低い。 まず同期が書けない。メモリリークしまくり。ずっとviなんかで開発してるから。emacs使っても同じこと。 そもそもCP/M、DOSの流れを組む輩はガキの頃からバイナリを読み書きしてるんだから敵うはずもない。 >>150 実体験なら具体例を出せばいいだけ。 結局、不安定の理由は何で、MSのサポートはそのバグのパッチを出してくれたのかい? NTのSPのバグ一覧ぐらい今でも見れるだろう。 >>151 > メモリリークしまくり。 まぁ、大学でのプログラミング教育って、特定の言語への依存度が低く(但し、LispやPrologは除く)、アルゴリズム中心だからな。 物理学科だったけど、プログラミングの授業では、やたら数値的安定性ばかりが強調されてたわ。 >>151 あと、学生がプログラミング言語、特にC言語を学ぶのに使っている教本が、メモリーリークしまくりなコードで書かれてたりするからな。 scanf()やgets()を普通に使ってるだろ? K&R本とか。 プロセス落とせばメモリは開放してくるからと開放コードは省略するというアホ習慣があったり、 サービス側で確保させといて、自分は勝手に落ちるコード書く馬鹿が多い。 >>152 別に具体例を示す必要はないと思うが、まあお応えするよ(ワシは>>125 ) 単にファイルサーバ運用だったが、しばしばフリーズして再起動に迫られた Netwareとは雲泥の差だったな ブルースクリーンを含め他にも色々あったはずだが、四半世紀前のことだからよく覚えていない 原因は結局不明 MSのサポートは受けていないと思うが、これも記憶が定かでない 当時Windows NT Users Groupのメーリングリストでも、ブルースクリーンにみまわれた話は時々あった でもアーカイブは残ってないぽいね 当時、NTはSP3からとか言われるぐらいバグが大量にあったのは事実。 そもそもリリース当初はUNIXよりあるかに先進的な設計てんこもりで枯れてない。 それよりもサーバ運用するのにプレミアムサポート受けてない時点で運用してはいけない人or会社だろ… だいたいBSoDするってことは原因を特定できるログがあるということだ。 それで原因不明ということは元々スキルが全く足りてなない。それで不安定連呼はただのクレーマーだよ。 後にNT系サーバは馬鹿売れして、オフィスはNTドメイン、AD一色でNetwareはあっさり駆逐されてしまった。 >>158 つ IIS www 今、大規模サイトで実運用されてるのって、ApacheかNginxくらいしかねーんじゃね? 昨今オフィス業務はクライアントはWindowsばかりでNTサーバにAD構築してるのだから ms-office、outlookも連携してasp.netでそのまま社内システム組むのが普通でしょう。 そこで商用サポートも受けずSambaだのAppache、PHPだのフリーで固めて運用とか よほどの貧乏会社で、一人のUNIXオタクがいて、その担当が飛んだら保守不能になるのがオチ。 >>158 バグが大量にあったんなら、「NT4.0は不安定」でも何ら不思議じゃないワケだ なら具体例なんぞ述べる必要ないじゃねーか サポート契約は結んでいたと思うが、そもそもサポートとかスキルとか、そんな話はしてない read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる